「哲学と宗教全史」読書メモ

出口治明さんのような人がまさに「知の巨人」なんでしょう。。。
論文のような小難しい感じでもなく、自分で解釈したものを分かりやすく述べてくれているような本でして、とても読みやすかったです。

その分厚い本の中で、なるほど!と覚えておきたい部分などを抜粋してメモします。

エピクロスのいう快楽主義とは、一時的現世的感覚的な快楽ではなく、真逆の身体的に苦痛を感じることがなく、精神的に不安がない静かな状態でいること。そのような「魂がかき乱されていない静穏な状態」を「アタラクシア」と呼んだ。

快楽主義と聞くと欲望にまみれた酒池肉林のようなものをイメージしてしまいますが(僕だけ?)実際は全然違いますね。
体に苦痛がなく、精神的にも不安がない状態。現代の日本人は、この「不安」がとても大きい人が多いように感じますが、どのようにこのアタラクシアの状態になれるのか、改めて考えると良いですね。ヨガやってからサウナ入った後の水風呂に入った瞬間の10秒ぐらいは、完全にアタラクシアになってますね。

エピクロスは物質的充足は苦であって、精神的充足が快であると説いた。

特にモノに溢れているわけでもない時代に、、、足を知る者は富む、もそうですが、いつの時代も人間の欲望ってのは難しい。。。

ストア派は幸福とは、徳を追求した結果として得られる、パトス(激情、情熱)に動揺しない心(不動心)に至ることだと考えた。その状態をアパテイア。
4つの徳とは、知恵、勇気、正義、節制。悪徳は、無思慮、臆病、不正、放埒。最大の悪徳は、人間が守らなければならない4つの徳が存在することを無知にして知らないこと。

宗教も哲学も、幸せとはなにか?といったことを説いているものが多くて興味深いです。言い方は表現は違っていても、根本がどれも似てくるものはは、本当に重要なものなのでしょう。

徳を学びとるために知識を磨き、それを実践して生きることで初めて、心の平静が得られる。

学びと実践というのは本当に重要で、生涯学び続ける大事さを感じます。東洋思想の「道」というゴールのないものを探究していくこと、人間であることや、自分を探究していく、自分道といったものでしょうか。

自然の理法に従って今の自分に生まれたのだから、その定めを運命として受け入れて生きる。その上で徳を実践してアパテイアという心の平静をたもて、幸福になる。

宗教っぽい言い方ですが、哲学も宗教もアプローチの方法は違うものの、人の幸福など考えるものですね。

儒教はストア派と似ている。
帝王たるもの、多少の私的な楽しみを抑えても国家の安定と民衆の幸福を考えなさい。というもの

リーダーの心得ですね。果たして、政治家で本当にこういった気持ちで仕事をしている人ってどのくらいいるんでしょうか、、、選挙で勝つことしか考えていないように見えてしまうのは、僕だけ?

老荘は頑張るだけが人生ではない、万物の絶対性は人間には動かせないのだ、自然に任せて悠々と生きよ。心の遊びを大切にせよ。

老荘大好きです。自然に任せて悠々と生きる、最高ですね。

一般の民衆の建前としての儒家思想。先祖や親や家族を大切にし、世の中の進歩に合わせて生きていく。
無法者は法で裁かれる。法家や儒家がまじめすぎてばかばかしいと思う知識階級には老荘思想があった。
諸子百家の思想は共存が可能。

儒家思想は、社会の枠の中でよりよくしようとしていて、老荘はその社会を枠の外から見るような感じですね。老荘の知識階級はちょっと鼻につく感じのイメージですねえ、、、学者とか大学教授?

ニーチェ。
「神は死んだ」、世界に絶対的なものは何もない、そう考えると人はどうなるのか。
囚われるものも頼るべきものもなくなります。
そうすると人は虚無と向き合うことになります。
そしてニヒリズム(虚無主義)に落ち込んでしまう、ただ、それだけではない。
神は死んだという事実を受け入れて、世の中は虚無であっても、それでも人間の中には前を向いて生きていくという、能動の姿勢でニヒリズムを受け入れる人がいるのだ。
ニヒリズムにも受動的なものと能動的なものと2つのタイプがある。
人間はさほど賢くなく、同じ過ちを繰り返してきた、進歩はしていない。歴史は直線ではなく、永劫回帰するという円環の時間なのである。とニーチェは考える。
その運命の中で、その運命を完全と受け入れ、前向きに頑張っていく人がいる、その強い人間を「超人」という。
そういった頑張っていく人たちの力や意志によって世の中は動いていく。

このニヒリズムの中の、前を向く人、超人はすごいですね。ただの受動的なニヒリズムはいわゆる腐った人で、虚無を乗り越える強い人間もいる。と。
そして、時代を作るのはその強い人たち。

この、神が死んで、ニヒリズムを経て、「人間至上主義」が出てきて、今もなお人間至上主義なのでしょうが、今後はどう変わるんですかね。気候変動などを考えると「地球至上主義」みたいなモノになる気がするなー。
ESG投資やSDGsなんかも人間至上主義と地球至上主義の両方な感じですね。

キリスト教は、支配層や富裕層の圧政に苦しみ、彼らに対して貧困層が抱いているルサンチマンを巧みに利用して、信者にしている。
その結果、多くの人々が、本来は彼らも持っている強く生きるべき心、すなわち「力への意志」を諦めてしまった。
ニーチェは運命を甘受して神に身を任せてしまう受動的なニヒリズムになっているとキリスト教を批判した。

マルクスは宗教を「貧者の阿片」と言っていますが、宗教も、完全受動的、思考停止で受け入れるとそうなりますね。いかに、主体的に自分で考えた上で宗教と付き合っていくのか、AIの進歩などで、この「思考停止」に陥りやすくなるので、いかに考え続けるのか、というのは本当に大事と思います。

産業革命とネーションステート(国民国家)の成立という人類史上最大規模の2つの大きなイノベーションがおきて、ヨーロッパが世界の覇権国家へと勃興していく中で、ヘーゲルという壮大な哲学大系を成立させた父を持つ3人の子供たち。
ヘーゲルの考え方に反抗して神に救いを求めた、繊細な長男キルケゴール。
父を尊敬しその理念をもって科学的に推し進めようとしたマルクス、絶対精神を認めず、神とも絶縁して1人で生きぬいたニーチェ。

歴史は進歩していくという考え方(ヘーゲル)
進歩するなら、頼るものは不要。

進歩しない(ニーチェ)
進歩しないなら、宗教のような絶対者に頼るか、または自分自身の力への意志で生き抜くのか。

この親子関係で表現するところとか、分かりやすく説明してくれてありがとうございます。難しい本だとさっぱり理解もできず、言葉のみ残ってしまうので、こういった表現とかメモさせてもらいます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?