「幸福の意外な正体」読書メモ

これも前に読んだ本ですが、そこまで印象に残らなかった内容です。
科学的に(ドーパミンがとか)言われても、それにはあまり興味がなく、もう少し哲学的な方が興味があるのですが、その中でメモっておきたい部分です。

ウェルビーイングの基盤は愛と仕事(フロイト)

フロイトの言葉のようですが、どういった文脈でこの言葉があったのか忘れてしまい。。。
ただ、愛というのは家族愛から始まり、人類愛までを本当に感じられたらそれは幸福に繋がるのだと思います。ただ、嫉妬ややっかみ、他人との比較など素直に愛を感じられない環境が多いですが、、、SNSとかも。

最近とても気に入っている「世界は贈与でできている」から考えると、愛という概念を素直に出しやすいです。個人的には。

ここでいう仕事は、社会との繋がり、関わり、社会に対する奉仕といった意味だと感じます。ブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)じゃないことだけは確かです。

ガンジーが「働かない日に食べるパンは、盗んだパンである」と言っていますが、やはりこれは社会への奉仕といった意味合いの「働く」で、マネーゲームで稼ぐ人の「働く」と同じものでないことは明らかです。

むしろ、家事、育児、地域ボランティア、農業、とかの方が「働く」に近いでしょう。働く=お金を稼ぐ、という一見当たり前の図式を考え直したいと思います、自分でも。

幸せのパラドックスとは、幸せそのものを追求しようとすると、かえってそれを遠ざけてしまい、逆に何か別のことを追求すれば、はからずも幸せを引き寄せることがある。という考え方。

そうなんでしょうね、幸福は捕まえるのではなく、気がつけばそこにあるもの(あれ?ミスチルの歌詞であったような、、、さすがミスチル)

見栄を張るのをやめることは、その願いがかなうのと同じぐらい、清々しい安堵感をもたらす。1つの分野で自分が無であることを確信を持って受け入れるとき、心は不思議と軽やかになる。若く見られたい、あるいは細くなりたいという願望にとらわれるのをやめた日の、その心地よさといったら!やれやれ助かった、と私たちはつぶやく。「ようやく幻が去ってくれた!」

これもわかっちゃいるけどやめられない!という人が多いんでしょうね。
ただ、本当に見栄を張るのをやめると心が軽くなるというのはあるのでしょう。ただ、それも一度やってみないと分からないと思うので、20代のうちに思いっきり見栄張って、30-40代ぐらいに、あの頃は見栄張っていたよな、、、と思えるのが良い気がします。

まだ、中身が成熟していない若い頃は、外見でカバーして、中身の成熟とともに、外見のカバーを取っていくのがいいんじゃないでしょうか。

幸せとは蝶のようなもの。つかまえようとすると、手の届かないところへ飛んでいってしまうが、こちらが腰をおろして休めていれば、そっと羽を休めに来てくれる

あれ?このセリフ、どこかで聞いたような、、、
!!!バチェロレッテでスギちゃんがデート時に言っていたセリフだ!
このフレーズ、いつ使えるは分からないけど、覚えておこう、、、

あとは、性別とか、社会階級とかで幸福の変動はあるのか?というのを示すデータです。

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つまり、性別や年齢では幸福かどうかはほぼ全く関係なく(まあそうでしょうね)
所得や、社会階級、結婚の状況でも幸福には対して影響せず(隣の芝生は青く見えるんでしょうね、あと年収750万ぐらいまでは幸せと相関関係があるという研究結果もあります)

性格や、社交性や外向きな人などは結構幸福と相関関係があり、神経症的傾向(不安障害とか敏感なメンタルとか)が一番幸福感には影響する可能性が高い、、、と。

すごく平たくいうと、あまりその人の置かれている状況は関係なく、それよりも気の持ちようで幸福かそうじゃないか影響する、ってことですね。

我々は幸せになりたい!と思って何かする時に、幸せになるために結婚しよう!幸せになるためにお金を稼ごう!と思いがちですが、実はそれよりも内面を変える方が幸せにはなりやすい、てことですね。

総じて、うーん、なんとなく分かる、というものではあります。


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