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「実践 日々のアナキズム」読書メモ
実践日々のアナキズムの読書メモです。
アナキズムは過激な無政府主義者などではなく、あらゆる支配を否定して、相互扶助、自由を大事にする、という考え方だと思ってます。リバタリアンんなどは結構近い感じだと思います。
人は、自由を求め、いざ本当の自由を手に入れると何をしてよいか分からない、不安を感じる、そんな自由と不自由の間を行ったり来たりしているように感じます。
ある程度は自由でいたい、でもある程度は管理されたい、と。
ただ昨今の世界や日本においては、管理側が強くなってきているような気がします。そして、それに従っていった方が楽なのも確かです。
が、それでいいのか、いやよくない、と思う時にはこういったアナキズム関係の本が増えてくるのだと思いますし、そういった思いをしている人も増えているんじゃないかとも勝手に思います。
思考停止にならたいために、自分で考えて行動するために、こういったアナキズムの思想は取り入れていきたいものです。
以下は抜粋とそれに伴う雑感です。
遊びは目的がないことが明らかな他の2つの行動(睡眠と夢見)と並んで、社会的かつ身体的な基本となることがわかった。
子供はどんな場所でも勝手に遊びを考え出し、遊べます。それがいつからか、どう遊べば良いか分からない、こういったルールで遊ぶんだよ、と言った遊び方を学んでしまう。
本来、遊ぶとは、それ自体が目的であり、さらに睡眠とか夢を見ることと同じぐらい、体にとっても必要で基本的なものである、と。その通りだと思います。
何のために遊ぶのか?という問い自体がナンセンスで、遊びたいから遊ぶんだよ!そう思える時間を増やしていきたい。遊んでいる時間は無駄、非効率、そういった考えにはなりたくない。。。
受動的人間
アナキズム、自由民主主義双方の理論家が賞賛するところの人間に本来備わっている相互の関わり合いを生む力を欠いている人間。が生み出されるのではないだろうか。
人間は本来、相互に助け合い、関わりあいながら生きていくものだし、長い歴史の中でそうやって生きてきました(逆に言えば人と協力しなければ生き残れないような弱い生き物でもあります)
ただそれが近代社会になり、国家というものが強い権力を握り、国民を管理して行く中で、こういった受動的人間が増えてきているのが現代だと思います。
権力側の目線に立てば、この受動的人間は非常に扱いやすく、いかにそういった人間(思考停止な受動的人間)を増やせるか、というのは大事なのだと思いますが、自分がそういった人間になっていないか?そうなっていいのか?というのは自問自答し続けないといけないですね。
どんな仕事が工場労働よりも望ましいかのインタビュで商店かレストランか農業が出てくる。共通するのは、四六時中の監視からの自由と働く日を自由に決められること。小ビジネスリスクや長時間労働を補って余りあるもの。
自由でありたい、ということがいかに本性に根付いたものか、という感じがします。
フォード主義的な生産とマクドナルドの規格は「人間をも含めた生きた自然界の予測のしくにくさ、時間的不正確さ、移り気や強情といったものに対する反逆である。」
ちょっと好きなセリフです。自然界は、予測しにくい、時間も不正確、移り気や強情というものがあり、それを全部管理してしまおうというのは、人間の本性を抑え込むものである気がします。もっと「生」のエネルギーがを出せる暮らしをしよう!という感じですね。
「学校は、『単一の生産物』を作る工場へと変わってしまう危機にあった。
その生産物は、狭い知識と受験技術を測るために作られた
標準テストに合格できる生徒たちに他ならない」
最近でこそ変わってきているのかもしれないですが、僕らが子供の頃はそんな工場感あった気がしますね。
他にも深夜の全く車が走っていない見通しの良い交差点で、きっちり信号を守っている人を見て驚いた、というようなエピソードもあります。
僕も子供が見ている場合などは別ですが、見通しが良く、全く車も来ないような場合は渡りますが、それでも渡らない人も結構いると思います。
そういった人は「そういうルールだから」ということなのでしょうが、ではルールだったらいかに理不尽でも守るのか?自分では考えないのか?とも思います。
信号機がある本来的な理由は「信号機がないと事故などが起きる可能性があり、危ないから設置する」ことなので、自分で100%安全と感じられるのであれば、自分で考えて、自分で決断して渡っちゃえば、という感じです(幼少の子供が見ている場合は別ですが)
もっと自分で考えて、思考停止に陥らず、生のエネルギーをもっと高めていこう!人間に本来備わっている相互扶助、自由というのを感じられるようにしていこう!そのために、日々の生活の中でも管理や支配を感じることに対しては不服従などのちょっとした実践をしていこう!
そんな本でしょうか。最近好きです、アナキズム。
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