「1日3時間だけ働いて穏やかに暮らす思考法」読書メモ

ちょっと前に読んだ本のメモです。

要約とかではく、なるほどなー、と思った部分、参考になった部分です。まず、この本を読んでいる時点で自分の傾向がわかります。

21世紀においては、知識はお金にはならないが、コストを下げることはできる。

穏やかに暮らすこと、は人によって定義は違いますが、多くの人は「お金を稼がなきゃ」というストレスを感じずに暮らせれば穏やかに暮らせるのではないかと思います。その先に、人との繋がりとか、やりがいとかが出てくる。

お金のストレスは、月30万使う人は30万稼がないとストレスを感じるが、月5万で満足して生活できる人は月10万稼げば穏やかに暮らせるのだと思います。そこで、この知識というのは21世紀においてはお金を稼ぐためのものではなく、コストを下げるためのもの、という認識はしておきたいです。

デジタルの限界費用ゼロ社会や、モノが溢れている現代では、知識をうまく使うことでコストを下げられることは事実ですし、それはうまく使いたいです。そもそもが経済成長至上主義とかではもうないだろうという志向なので。。

考える目的は、「代替案を出すこと」「具体案を出すこと」「全体像を明らかにすること」「本質を見抜くこと」

Googleやアレクサがなんでも知っている今は、考える力が衰えやすいと思うので、こういった思考力は努力しないと衰える一方になりそうです。

信用をお金に変えることは簡単にできても、お金を信用に変えるのは手間がかかる。

カネ余りで、お金の価値が相対的に減る一方で、信用とか信頼というものの価値は上がっていくのでしょうか。日々の積み重ねですね。

お金という取引が発生することによって、それまでのつながりや物語といった文脈が漂白されてしまう。

これは確かに。。友人のあいだのやりとりをお金で解決しようとしたらそうなっちゃうんでしょうね、お金くれないとやらなーい、みたいに。

マルチコミュニティの時代。
セーフティネット(家族など)、インセンティブ(会社など)、価値観(趣味のグループなど)のいくつかのコミュニティを渡り歩く

気になるのは、このセーフティネットの部分が今後は弱くやってきそうなので(独身や、家族関係の希薄化など)、このセーフティネットになるコミュニティを作ることや、そこにも参加しておくことは重要だと感じます。

相手を尊敬するから、自分も尊敬される。
ーエーリッヒフロム

メモ。

拡大・膨張路線を行く先進国では、いまだに大量生産、大量消費のサイクルによって経済を回し続けることが前提となっており、実際の人が生存していくために必要なものは余っている。
日本では全国的に人手不足で長時間労働も問題であるが、これ以上人を集めて長時間働いたところで一体何を生み出そうとしているのだろうか?

大量消費、大量生産は持続可能な未来のあり方ではないので、どう生活を変えていくのか、ライフスタイルを考える必要もあるし、マーケティングという言葉やセールスプロモーションという言葉なんかもそろそろ使われなくなるんじゃないだろうか、、、もう企業に何かを勧められることにうんざりしている人は多いと思う。

しかも日本で働くサラリーマンの実態として、仕事の大半は価値創造とは無縁の会議や、他の部署の仕事を作り出すための資料作りなどをしており、会社の多くは価値を生み出す経済体ではなく、月30万の給与という名の年金を配る社会福祉団体となっている。それを銀行や政府、行政が必死になって支えているという壮大な虚構である。

ブルシットジョブってやつですね。壮大な虚構だけなら良いが、それが地球環境に負荷を与えるのだとしたら、何もせずにお金を配る方がまだまし、、、ベーシックインカムは20-30年後には実現するんじゃないだろうか、、

その理由はアイデンティティだ。
虚構の中で自分のアイデンティティを確立してしまった人はその虚構を直視しようとしない。
仕事は遊び、ビジネスは価値と信用を創造するゲームにすぎない。と悟れたらパラダイムシフト完了

自分のやってきた何十年にも及ぶ会社員生活で生み出したものが価値がない、となってしまうとそれは自己否定にも繋がってしまう。。ただ、やはり会社だけに自分の全てを捧げるのはバランスも悪ければそういった時代でもない。

もう必要なものとか別にないので、仕事は遊びと考えて楽しめる人はこれからも強いのだろうが、わかっちゃいるけど、それを本気で悟るのは難しいようにも感じます。ただ、そうできた方が間違いなく良い。

お金という数字によって社会でのコミュニケーションが一元化すると、人間の個性と社会の多様性が奪われていく。
お金の持つ強すぎる汎用力は、個性や心を犠牲にした。それが私たちが潜在的にお金を嫌う理由である。

メモ。

人は濃厚な意識の交流こそ、健康と幸福の源泉であると再発見するようになる。
人間の不幸には2種類ある。
1つは「自分に降りかかる不幸」で、
もう1つは「他人に降りかかる幸福」←SNSはこっちを誘う

人の幸福を素直に喜べれば良いのでしょうが、なかなか心の底からそう思いにくいのが人間ですね、、、

最近のFacebookは年齢層高めかつビジネス報告の場所みたいな印象です。そこで投稿されるのは、基本ポジティブ系が多いので、それを見ることによって「自分はなんてダメなんだ。。。」と自己肯定感を下げるのでしょう、、、そしてわかります、その気持ち。

「新しい事業始めます!」「独立します!」「本を出版します!」「おかげさまでお店開いて10年」というのを見て、最近は毎日のようにNBAで八村&渡邊の活躍を見るのを楽しみにしている僕の自己肯定感もダダ下りします。

インスタに関しても、もっとプライベートな投稿が多いですが、どうしてもプチマウントの相互応酬のようにも見えてしまうので(性格が素直じゃないので)この著者の2種類の不幸には共感しました。




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