「21世紀の啓蒙」読書メモ

スティーブン・ピンカー「21世紀の啓蒙」の読書メモです。

雑誌Forbesでビルゲイツが絶賛。というのを見て、ついアマゾンにて購入。
大作すぎてなかなか大変でしたし、読みながら寝てた部分もあります。

1年前ぐらいに買って、読み終わったものの整理していなかったので、ここで整理しながらメモします。

そもそも、、、啓蒙主義って、、、?から始めます。

啓蒙思想とは、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。-Wiki

平たくいうと、科学的、合理的、理性的に考えましょう。という今となっては、基本がそうじゃないの?と思いますが、当時の神のおぼしめしとか、科学がまだ発展する前だと、かなり思い切った考え方なんだと感じます。

知識人、エリート、インテリなどには支持されそうで、一方で権力を持っている支配層と大衆からは支持されなそうですね。(支配層はそんな知恵を大衆につけられたら管理しにくい!大衆層はそんな難しいこと言われてもわからん!みたいな)今の時代のポピュリズムにも通じます。

カントは啓蒙とは何かの中で次のように述べています。

啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことが出来ないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。-カント 「啓蒙とは何か」

指示待ち人間になるな!自分の理性、頭で考えて主体的に動け!みたいなことですね。ある意味、自分が大衆でいる(指示待ち、考えない、受け身)方が楽ではあるので、そこでしっかり辛くても考えろ、みたいなことは何百年たっても変わらない感じです。

さて、この本では、そういった啓蒙主義の立場から話すと、ここまで人類がいかに改善されてきたのか、進化してきたのか、をデータを元に説明しています。この内容には反論はしにくいでしょう。

寿命は延び、健康状態は改善し、教育も受けられる人は増え、貧困も減ってきて、世界は安全になり、差別も減り、などです(もちろん完全になくなったわけではなく、よくなっているということです)

その前提を説明した上で、一方で「幸福感が豊かさに比例しない理由」などで、なぜ豊かになっても幸福とは感じられない(人が多いのか)のかを記載しています。

そして世界ではポピュリズムの増大、ヒューマニズムが退行しそう、科学が軽視されそう、という危機感を述べた上で、啓蒙主義を守って行こう、というのを書いています。

まあ、ざっくりすぎますが、、、
その中でメモしておきたい指摘や言葉などを書いていきます。

エントロピーと進化が支配する世界では、貧困は人類のデフォルト
物質は勝手に家や衣服に姿を変えてくれないし(エントロピー)、生物は私たちに食べられまいとあらゆる手を尽くす。(進化)

エントロピー増大の法則。は説明がなんか難しいですが、全ての物は自然のままに放置すれば、秩序ある状態から無秩序な状態になっていく。というようなもので、形があればいずれ壊れる。ですね。
自然に放置して壊れたお茶碗が元に戻ることはないですが、お茶碗はいずれ(長ーい年月をかけて)朽ちて、そしてどんどん細かく、広がっていきます。という、絶対的な法則です。

そして生物は、生存競争を勝ち残った子孫が我々である、と。

自然界に悪意がないのではなく、進化はまさに悪意との戦いのようなもの。
遺伝子同士の競争で、全てでライバルを押しのけた個体の子孫が私たち。利己的な遺伝子が利他的な生物を生み出しうることも説明してくれるが、その利他性は限定的なものでしかない。
人間は暴力を不道徳ではなく、道徳とみなしている。
その証拠に、世界のどこでも、またどの時代でも、欲を満たすために殺された人より、正義の鉄槌を下すために殺された人の方が多い。

この言葉はしっかり考えたいですね。正義の名の下に、というやつですね。1人殺せば殺人者だが、100万人殺せば英雄になれる。みたいな言葉もありましたね。

かといって人間はどうしようもないわけではない。
認知力の特性が大きく2つある。
①抽象化能力(メタファーやアナロジーで考えることができる。)
②組み合わせたり繰り返したりする力
宗教は道徳的善を人の幸福より上に置こうとする点で、ヒューマニズムともぶつかることが多い。
ナショナリズムとヒューマニズムは相容れない。個人<国家。
心理学の研究論文によって、人は得を期待する以上に損を恐れ、幸運を楽しむ以上に不運を嘆き、賞賛に励まされる以上に批判に傷つくと確証されている。
英語の語彙には、肯定的感情を表す単語より、否定的感情を表す単語の方がはるかに多い。
命や健康や自由は、他のすべての物事をなすために、必須のものだからだ。
そもそも人生で価値あるものは何かを考えると言う行為自体、命や健康や自由があるからこそできることだろう。
良い旅は、意識の領域を広げる体験にもなる。広大な空間、悠久の時間、雄大な自然、そして人間の果てしない独創性を自分の身に取り込むことができる。
もしこれまでの進歩に関わらず、幸せを感じられていないのならー寿命が伸び、健康が増進し、知識や余暇が増え、様々な体験ができ、平和で安全に暮らせ、民主主義が広がり、数々の権利を獲得できていても、幸せを感じるどころかただ孤独に苛まれ、自殺が増加しただけのなら、それは歴史が人類をからかった壮大なジョークじゃないか。
基本的な人間のケイパビリティ。
人は長生きをして、健康に恵まれ、刺激的な人生を送っていれば真に良い状態にあるといえる。
人に幸せを感じさせるものの多くは、他者とつながりがある、何かを生み出していると感じている、孤独ではない、退屈ではないなどは、人生を意義深くしていることがわかった。
世界幸福度報告では、「所得、健康、選択の自由」の他に、国の幸福感に同調するものとして次の3つの項目を挙げている。社会的支援(困ったときに頼れる友人や身内がいるか)、気前の良さ(慈善団体に寄付しているか)、汚職の少なさ(自国の商取引には汚職が多いと思うか)
集団で暮らすホモ・サピエンスにとって、社会的孤独は一種の拷問であり、孤独によるストレスは健康や生命を脅かす大きなリスクになる。
ジョージ・バーナード・ショー
「信仰をもつ者が懐疑論者より幸福だというのは、ちょうど酔っ払いがしらふの人間より幸福だというのと同じようなものである」
意義があると感じられる人生と幸福だと感じられる人生は別であり、意義のある人生を送っていると思う人々は、ストレスや苦労、不安を感じやすいからだ。
不安とは常に大人の特権である。

名言。

ダン・カハン
「人がなんらかの信念を肯定したり否定したりするのは、自分が何を知っているかではなく、自分が何者かを表明するためだ」

ここまでがメモです。

日本においては、戦後の大変だった頃から、豊かさを求めて経済成長をしてきました。その頃は、豊かさと幸せが比例していたので、良かったのですが、ある程度の豊かさを達成した以降に、どういった方向性が良いのかを見出せずにいるのが、平成と今のような感じがします。

そして、アメリカの後を追っている日本は、新自由主義がより進み、経済が政治を包摂し、これからも格差は拡大していきます。いくらお金を稼いだところでそれが幸せと比例するわけでもなく、方向性を失う人が多いように感じます。

その中で、こういった知の巨人たちのアドバイスはとても参考になりますし、大体みんな「利他主義」とか「人のために」「地球のために」というようなものです(言い方は違っても)

みんなが幸せになってこそ自分も幸せになれる。という言葉は本当にそうなんだとも思いますし、いかにそうできるのか、ということはしっかり考えていきたいと思います。

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