私の記憶

 記憶、と一言で言っても、山ほどある。考えても、それについて考えている時には思い出せない事のほうが殆ど。何かの拍子にぶわっと思い出して、それに対して私はぶつぶつ独り言を言って解消?している。シャワーだったり、帰り道だったり、ドライヤーをかけている時だったりする。思い出すことも、未就学児の頃のことだったり、数年前のことだったりする。

 文章にしてまとまるのか、まとめて意味があるのか、文章になるのか?文章の書き方も分からない、かと言ってそれをしっかり調べ実践出来る気力も必要も今の私にはないので、ちょっとよくわからないが書いていく。

 間違いないのは、私がぶつぶつと独り言を言う相手は、必ず過去の私だ。「あー」だけの時は殆どなく、「あーやばい。(私が)」「キモイキモイキモイ(私が)」と言っている。酷いときは「死ね(私よ)」と繰り返し言っていた時もある。でもこれはみんなあまり他言しないだけで、まあまあの人に共感してもらえると思う。最近はちゃんと一人の時に言えているし、「えらいこっちゃー」や「どうすっかなー」みたく穏やかになったが、結婚前、まだ前職で働いていた時は酷かった。帰り道、独り言を言いそうになっては堪えていた。と同時に、そろそろ自分が精神的にやばいなと思っていた。辞める結構前から、頭がおかしくなる前に辞めようと思っていた。独り言を言いながら歩いている知らない人は、ちょっとおかしい人かなと思う。だからこれは辞めどきが近いぞと思っていた。

 結構すぐに、公共の場でまあまあ大きな独り言を言った。まだ覚えているけれど、近所の小さな中華屋さんの前だった。なんて言ったかは覚えていないけれど、はっとした。周りに数人歩いてる人がいたから、びっくりされたかもしれない。遂にやばいなーと思いながら、どこまでももやっとしていた私は結局特に辞めるでもなく、バイトや稽古が終われば、最寄りの駅のコンビニで酒を買い、飲みながら帰った。冬は寒いから、缶を持つ手が冷たくて嫌だなあと思っていた。ワンカップがあるよ、と誰かに教えてもらった。稽古のない日は、起きたら大体桜木町へ向かった。駅前のコンビニで黒ラベル缶を買い、広い芝生で飲んだ。最後の方になると、スピッツを聴きながら階段を降りた所の景色の綺麗な(だが水は汚い)河原で飲んでいた。分かりやすい絵に描いたような末期だった。今だったら、その末期の入り方は笑ってしまうからやめてくれって突っ込みに行きたくなるくらい。とりあえず、始終もやっと暮らしていた。でも本当たまに、何かに対する憎しみみたいなのもあった。

 書いていたら事務所の事や大学時代のバイトの事、いろいろ思い出したけど、今は眠れなくなるからとりあえずやめておく。


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