20240120.0153

【気付き】
自分の存在を許してくれる場所を探してる、求めてる。誰かの許しに期待してる。

自己愛高めな私、自己中心的な生き方。

どんなにそのつもりで生き続けても、心の奥底に飢えがある。「許し」が欲しい、誰かの許しが欲しい。誰でもいい自分でもいい。なのに未だに飢え続けるのは、自分にすら許されてないから。実はそう。認めたくない、向き合いたくない。自分だけは自分の味方だと、ただそれだけでも信じようとして信じたくて、なのに信じ切れない。
「私は存在していい」
ただこれだけのことなのに、ここに「許し」がない。なんで。なんでこうなってるんだろう。
分からないよ。私はどこで息をしたらいい、どこになら居ていいんだ。誰なら私に「許し」を与えられる。


ここまで書いて、少し軽くなった。少し冷静になった。

深夜病みタイムの私へ
これはとある私からの教えです。夢の中で教わりました。「普通ってなんだろう」へのアンサーです。「普通なんて概念だから、ないものを気にしてもしゃーない、気にしたやつの負け。」でしたっけ。
私の欲する「許し」とやらも概念に過ぎません。「許し」とはないものなのです。ないものを探してもないものはないです。ないものを探すのは無駄です。精神を無駄にすり減らすだけ、気にしたやつの負けです。
やめましょう、「許し」とか考えるの。居場所に困ってるんでしょ、寂しいだけでしょ、ね。それでいいじゃん。
人間はほぼ皆そうですよ、皆寂しがりです。私めちゃめちゃ普通です。普通の寂しがりです。なにもおかしくありません。

この長文で結局何を言ってるかって、
「私は寂しがりです。」
それだけですね。

凄く無駄な文章…

お疲れ様、私。

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