20240723.2014
またひとつ気がついた。
名前がないんだ。名前を呼ばれている感覚がない。自分の名前だという認識がない。
戸籍の名前="私の肉体を指す文字列"
そんな感じの感覚で受け取って、脳内で処理されていた。
まぁ、ここまでは前にも似たようなことを書いた。
(今日は)あの感覚にかなり近いワンシーンを見つけた。この表現なら(誰でも)イメージしやすい(かもしれない)、と気がついたのだ。
病院で呼ばれる時のアレ。
「受付番号586番の方~。」
「はーい。」
この感じだ。戸籍上の名前を呼ばれてそれに答える私の感覚は、コレに酷似している。
586番は私を指す数列としてあてがわれているので、586番は私である。だがしかし、私の本質(人)として何者かというと、私は586番ではない。
うーん、そうなんだ。この感じ。
noteの私が本物すぎるから、必然と表社会の私が偽物臭くなる。
いやまて、偽物臭いは違うな、偽物ですらないのだ。虚構じみている、が的確か。
本物ぽい私はnoteにいて、やや本物の片鱗を覗かせる私は心療内科のカウンセリング室にいる。
(それ以外の)日常の私は虚構そのものだ。本物は現実と内界の間を彷徨いながら、チラッとnoteにやってくる。
現実で文字を打つ私の表情や感覚は、記事の内容とあまり似ていない。(ことがある。)
明るい心情で幸せそうな内容を書いていながら、目からは涙がにじみ口角も下がっていたり。などは往々にしてあることだ。
人に見られようものならその姿は辛そうに映るかもしれない。でも、間違いないのは記事を書いている私は上機嫌で、書いている内容も偽りはなく、現状幸せであるということ。
人格未満たちによる解離状態。
それが私の正体…というか、そうとしか表現できそうにないな、今のところは。
基本人格や主人格の存在は、未だ確認されていない。
なんでこんなことを書いているのか。
これは毎度考えるが、私が書く動機はそんなに多くないな、と今は考える。
暇でしょうがない、満たされない感覚、寂しい、落ち着きたい、吐き出さないと楽になれない。
うん、だいたいコレ。の、どれかかな。
今はね、暇でしょうがないのと、
えっと、
あ、今はただの暇人かもしれない。
以上、暇人の戯言でした。
楽しめた方はラッキーですね。
追記。
木金月と、3日連続で仕事を休んでいた私。
なんと!今日はお仕事行ってきたよ!今日はなんか元気風だった。
休んでた間のことは書かない。今書かないと書く機会はもうこない気もするけど、今は今にしか興味ないや。
機会があれば書くんだろうか?
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