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両親がわりと駄目な人達だった話

私の両親は、正直あんまり立派じゃない。
特に父親はまぁクズって言っても過言ではないんじゃないかなと思う。
スーパーの社員だったんだけど、
朝早くから仕事に行って、夜遅くまで帰ってこなかった。
こう言うと立派に仕事してるお父さんじゃんってなるかも知れないけど、
仕事は実質、ろくにしてなかったらしい。
店のバックヤードでダラダラして、気が向いた時だけ店に出て、本当に駄目な仕事ぶりだった
昭和の、馴れ合いが許された田舎での話
朝の4時とかに家を出て、夜の9時とかに酔っ払った状態で帰ってくる。
家から逃げてたんだと思う。
母と祖母の仲が悪かったから。

我が家はド田舎だったから、当然のように三世代同居だった。
祖父は早くに亡くなったからよく覚えてないんだけど、
母と祖母はめちゃくちゃ険悪だった。
というか、母が祖母のことを嫌っていた。
すごく嫌っていた。
きっと色々あったんだと思う。
祖母が同じ部屋にいると、露骨に不機嫌になる母。
肩身の狭そうな祖母。
そして、板挟みになってしんどくなる私。
弟はあんまり気にしてなかった。
父は、そんな家から逃げていた。
で、帰ってきたらひたすら酒を飲んでた。

父は不潔だった。
風呂にはいるのも週に1回とか2回とかで、体臭も凄かった。
髭もそらない髪も切らないから、まるで浮浪者みたいだった。
水虫だらけの臭い足を私や弟に擦り付けてきてわらったりしていた。
正直、私は父を父親だと思ったことがない。

母は、鈍感だった。
人の情緒に、ただただ鈍感な人。
母と祖母が険悪で、私が心を痛めていたことにも、気づいてなかったと思う。
だから感情剥き出しで、祖母に対してぶんむくれて怒りを撒き散らしていた。
父に対してもそう。
両親は仲が悪かった。
私は両親が仲良くしている姿を、ほとんど見たことがなかった。

ただ、救いだったのは
大人同士の関係性はそんな感じで壊滅的だったけど
母も祖母も父も、私や弟のことは、彼らなりに愛してくれていたと思う。

父はろくに育児に関わらなかったし、幼児性がとんでもなく強い人だったけど 
私や弟のことは、子どもが子どもを可愛がるように、無責任なりに可愛がってはくれた

母も、鈍感で共感性が低い人だけど、私たち子どものことは、愛してくれていたと思う。
何を考えているのかよく分からん人で、愛情表現もほとんどなかったけど、今思えばとんでもくマメに世話をしてくれた
食事もほぼ一汁三菜作ってくれたし、洗濯も掃除も凄く行き届いていたと思う
寝る前には毎晩本も読んでくれた
それが母の愛情だったんだと思う
ただ、『大好きよ』とか『可愛いね』とかそういう分かりやすい言葉がけとか、
抱き締めてもらったり頭を撫でてもらったり、といったスキンシップは、してもらった記憶がほとんどない
苦手だったんだと思う。

祖母は、ものすごくものすごく可愛がってくれた
一番バランスの取れた愛情を注いでくれたと思う。
でも、なんせ私達と祖母が仲良くしてたら母が不機嫌になるっていうのがあって
私はそれが一番心が痛かった
祖母は癌で私が16の時に亡くなった

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