「頂戴姫」第1話

「……愛して」
 縋りつくように女性は言った。ぺたりと割座で、両手を伸ばして何かを挟んだ。

 頭だ。青年の頭。

 青年は横向きに転がされ、顔だけを天井に向けられている。彼の瞳は目の前の恐怖に微細に揺れていた。
 辺りは暗いが、遠くのシャンデリアが二人をぼんやりと白く照らしている。
「……愛してよ」


 彼女の手からパチっと火花が上がった。

 少しして男はだらりと立ち上がった。

 肌は青白く染まり、猫背でぐったりと、まるでゾンビのようになって、ふらふら歩いていく。


「あいつも違う!」


 彼女は髪を振り乱して叫ぶ。

「満たされない……。満たされない……!」

 石の壁が無情にその声を反射する。岩盤を削って作られたこの地下聖堂は体育館のように広く、そこにぽつんと一人でいる彼女からはどこか寂寥感を感じさせた。彼女は苛立ったように目を細め、歯茎が見えるほど口の端を吊り上げた。
 膝まで伸びた長い白髪、不健康に痩せた体躯、顔立ちは丸く可愛らしいが、長い前髪が顔の半分を隠し、もう半分から覗く白みがかった瞳孔が病的な視線を青年の背に向けている。裸足で、その肌はまるでゾンビのように青く、それを薄黄色をしたボロボロのワンピースが申しわけ程度に覆っている。
 それは悪霊という言葉が似つかわしい容貌だった。この薄暗さが一層おどろおどろしく演出している。
「次を寄越せ‼」
 彼女の咆哮は聖堂をひずませるようだった。


 いくつかの大陸に囲われた内海、その中央に浮かぶ火山の島は現在九月の頭で夏真っ盛り。漁港では漁業ロボットが釣り上げた魚を船から運び出し、市場では売り子ロボットがジェラートなどを売り、コバルトブルーの海には多くの人が海水浴に来ていた。近くの町は住民や観光客でごった返している。ペットボトルで冷たい飲み物をあおる人がちらほら。
 島の真ん中には標高千メートルを越える火山がそびえており、麓から中腹にかけて住宅が立ち並んでいる。

 その北側の麓近くの住宅街の一画、同じような一軒家が並ぶその一つにて。
 部屋の中をぐるぐる回っている男がいた。

「吐きそう……」

 白のシャツにベージュのズボン、やや長めのブラウンの髪はゆるくカーブしているがこれは生まれつきだ。水色をした切れ長の吊り目がクールな印象を与えるが、その顔立ちは凛々しく精悍であり、しかし今は攣りそうなほど強張っている。見るからに緊張していた。

 インターホンが鳴った。彼はショルダーバッグを掛けて勢いよく部屋を出た。ドタドタと階段を駆け下りる。「おっと」危うく転落しかけるもなんとか持ち直し、玄関ドアへ到着。サンダルに雑に足を通し、ゆっくりドアを開けた。

「おうギアロ。調子は……」

 ドアの向こうに立っていた彼は顔が現れるなり何気なく声をかけて、しかしその顔を見て声が知りすぼみになった。ギアロは今にも死にそうな青ざめた顔をしていた。歯を食いしばってはいるが、いつ耐えきれなくなるか分かったもんじゃない。

 彼の覇気のない顔があーあと言わんばかりに面倒臭そうなものになる。
「吐くなら今のうちだぞ」
 酔いつぶれたやつを介抱するような声。

 ギアロは小刻みに首を振った。

「吐かない。ニオイをつけたくないし」

 気丈に言ってドアを閉じた。鍵を掛ける。
 見るからに強がっていた。外面そとづらだけ見れば緊張に強そうなのになぁ……と彼は億劫そうに頭をガリガリ掻く。

「肩の力抜けって、失敗はありえないんだし」

「分かってるよ、ニコラオ。大丈夫、デートまでにはなんとかする」

 ギアロは歩き出した。

「ほら、行こうぜ。間に合わなくなる」

 ニコラオは大きく溜め息をついて彼に並んだ。すぐ近くに停めてある車へ向かう。

「指輪は持ったか?」

「百万回確認した」

「逆に安心できなくなるな」
 ニコラオがイジワルな笑みで言った。その脇腹をギアロは肘で小突いた。

 ――俺にはミリアというガールフレンドがいる。歳も誕生日も同じで、双子の兄妹きょうだいのように育った幼馴染みだ。去年の十月に揃って二十歳になった。
 まさか異性として見る日が来るとは思わなかったが、今では本当に大切な人であり、
 そして今日――
 俺はミリアにプロポーズする。

 ギアロとニコラオはビーチを見下ろせる遊歩道に来た。島の北部に位置して本土に近いが、比較的都会から離れ、有名スポットではないため、人はまばらにいる程度。恋人同士に限らず家族連れもいて、言ってしまえば地元の人が集まる場所だ。

 二人は遊歩道を進み、その突き当りまで来た。
 ぽつんと家が建っている。

 入ってみればカフェだ。他に客はいなかった。ここは普段からがらんとしている。ロボットが運営しており、二人はコーヒーを注文して席に座った。テラスだ。端の席なら海が見渡せて、眺めを楽しめる。潮風は柔らかく木々の揺れは微かなものだった。

 ウェイターロボが二人にコーヒーを運んだ。
 一口飲んで、ギアロは、下ろしていたバッグを手に取り、中から小さなケースを取り出した。中を確認する。きらりと銀色の輝き。ダイヤの指輪だ。

「それは何? 小人の王冠?」
 アホな顔で口をひょっとこみたいに尖らせるという気色悪い顔をして、胸の前で拳を握るという、総合的に見て気持ち悪い仕草で言うニコラオ。

「誰だおまえ」
「ミリアよ」真顔で言った。
「殺すぞ」ジト目。
「会話のシミュレーションもしておいた方がいいだろ?」
「ミジンコほども役立たないな」
「辛辣だなぁ、ミジンコに」
 ニコラオはコーヒーをぐいっと一飲みにした。
「気持ちだけ受け取っておくよ」
 ギアロは溜め息をつくようにして海を見る。
「緊張は解けたか?」ニコラオは肩をすくめる。
 ギアロは溜め息をついた。
「ああ。……おまえは最高の友達だよ」

 少し時間を潰したのち、ギアロは一人で待ち合わせの噴水広場に向かった。辺りは多くの人でごった返しており、広場に面するお店の壁に背中を預けた。頭の中で『コマンド 時計』と唱える。すると彼の視界に水色を背景にして時刻が表示された。手を伸ばすと届く距離に下敷きほどのサイズで、『11:50』とある。ちょうどいい時間だ。ギアロは安堵する。そのとき時刻のある部分を人が通って行った。時刻の表示は一切ブレず、人間の方が隠れた(と言っても表示が半透明のため服の色が透けて見えたが)。ギアロは表示に軽く手を伸ばし、はたくような動作で手を下ろした。表示は下に向かってそのまま消えた。『コマンド ミュージック プレイリスト1から ランダム再生』と頭の中で唱えた。彼の頭にロックミュージックがかかった。


 今や赤子の段階で体内にマイクロデバイスを埋め込むのは義務であり常識だ。彼らはそういう時代を生きている。


 しばらく待っていた。
 改めて時刻を確認『12:03』。

 ギアロは辺りを見渡す。続いてメッセージ一覧を確認。誰からも来ていなかった。彼は小首を傾げた。それから更に待って『12:10』。再び確認するも、やはり来ない。メッセージも来ない。
「珍しいな」
 たとえ遅れても十分以内にはメッセージを入れるはずなんだけど……。
 ギアロは仕方なくメッセージを送った。それから更に十分が経過して『12:21』。返信どころか既読も付かない。流石におかしい。ギアロはニコラオに電話を掛けた。

『どうした?』声は耳から聞こえているような感覚だ。もちろん彼は隣にいないし、その声は周囲には聞こえていない。周囲は何事もないように通り過ぎていく。ギアロは右耳をおさえて、頭の中で返答する。

『ミリアが来ないんだ。連絡も取れない。そっちには来てないか?』
『……カフェにも海にも来てねぇぞ』
『うーん。ミリアの友達はどうだろう』

 連絡を取ってみる。

『こっちはダメだった。ニコラオは?』
『こっちもダメ。あれだな、〝頂戴ちょうだいひめ〟にお願いされてるな』
 ギアロは壁から背を離す。
『ちょっと探しに行ってみる』
 彼は通話を切って走り出した。広場を抜けて坂を上っていく。

 頂戴姫というのはこの島に伝わる精霊だ。裸の赤子で、肌は赤色。生まれてまもなく父親に首を切り落とされ、母親を求めて這い回っているという。頭は背中に乗っている。母を見つけるため、また、見つけられないことの腹いせのため、彼女と目が合うと何かしらのお願いをされ、達成するまで解放してもらえない。ゆえに畏怖の意味を込めて『頂戴姫』と呼ばれ、それから転じて、『頂戴姫にお願いされる』という表現が生まれた。厄介なことに巻き込まれるという意味だ。

 厄介なことに、ミリアには逆パターンもある……。
 次第に民家が増えてきた。やがてサッカーコートの前で立ち止まった。汗をたらし、肩を大きく上下させつつ呼吸を整えながら、そこで走り回る子供たちを見る。十歳前後といったところで、五人対五人だった。キーパーを入れれば六人。キーパーは二十代という見た目と背丈をしている。一人は女性。

「見つけた」

 丸顔の可愛い系で、明るく社交的な印象を与える。髪は金色で背中までのストレート。ホットパンツに白のTシャツを着て、スニーカーを履いている。「よぉし行っけえええ」と拳を突き上げた。子供たちが相手ゴールに決め、彼女は両手を上げて子供みたいに跳びはねた。長い髪も大きめな胸も跳ねていた。

 ミリアだった。

「何してんの……」
 ギアロはがっくりと肩を落として敷地に入る。コートの脇を歩いて彼女のもとへ。その途中で彼女は彼に気づいた。忘れていたらしい、あっ、といった顔をした。ギアロはジト目を向ける。

 サッカーは一度中断してもらい、二人はゴールラインの後ろで対峙する。と言ってもミリアの方はバツが悪そうに目を逸らしているが。
 ギアロは呆れたように目を細め、片手を腰にあてて問う。

「なんでキーパーしてんの?」
「いや、その……誰もやりたがらないから……」
「……」とギアロ。

「いや、あのね」もじもじと指を合わせる。「待ち合わせ場所に向かってたらちょうどみんなが喧嘩してて……掴みかかって今にも殴り合いに発展しそうだったから仲裁に入るしかなくて……」
「それで?」
「喧嘩は私たちがキーパーをすることで収まったんだけど、ほら仲直りさせたいじゃない? だから『みんなでサッカーしよう!』って言っちゃって」
 そのまま今に至ると言いますか……。とミリアは尻すぼみに言った。

「まったく」ギアロは溜め息をこぼす。こういうところがいいところなんだけど、困りもするんだよなぁ。
「次はちゃんと連絡するから」申し訳なさそうに目を細めるミリア。
「頼むよ」
 ギアロは仕方なさそうな笑みをこぼした。


「バイバ~イお姉ちゃ~ん」と子供たちが手を振り、ミリアは明るく振り返す。
 二人は敷地を出た。
「さて、行こうか」
「あ、ちょっと待って」彼女は手を上げた。ギアロは「なに?」と呆れた目。
 彼女は真剣な表情で言った。

「服、着替えてきていい? あとシャワーも」

「ええ……」
 露骨に嫌そうな顔になるギアロ。
 彼女は目をぎゅっと閉じて、両手を合わせて上下させながら言う。
「お願い! ちゃんと身だしなみ整えたい! たぶん汗臭いし……」
「俺は気にならないんだけどな……そんなに気になる?」
「気になる!」
 その迫真の真剣な表情に、ギアロは困ったように頭をかいた。
「分かったよ」
「ありがと! 大好きギアロ!」
 花が咲くように表情をパッと輝かせ、
「先行って待ってて! 遅れた分はちゃんとお詫びするから!」
 言いながら彼女は坂の上へ向けて走り出していた。
 ギアロは両腕を腰にあて、しばらく心配そうな眼差しを向けていた。

 ギアロは来た道を戻りながらニコラオに電話した。
『無事で良かったじゃないか』彼は気楽に言った。

『それはそうなんだけど、もう少し大人になってもらいたいってのが本音だよ。また大事おおごとに巻き込まれたら洒落にならない』
『プロポーズやめるか?』
『それはない』
 あっそ、とニコラオは興味無さそうに言った。
『俺は変わらずカフェの近くで待ってるから、また何かあったら言ってくれ』
『昼飯は?』
『餃子をチミチュリソースで食ってる。それじゃ』と言って通話は切られた。
「さて、家にタクシー送っておくか」とギアロは呟いて、ふと、立ち止まる。……いま、揺れたか?

 火山の島だ、今は活発ではないとはいえ地震は時折起こる。ギアロは背後に聳え立つ巨大な山に振り返り、呑気な視線を向けた。噴火の前兆があったら知らせが来るし、大丈夫だろうな。とまた歩き出した。


 ――ギアロ、怒ってるかな……。怒ってるよね……。悪いの絶対に私だし。ああなんでうっかりしちゃったかなぁ。私のバカ。

 ミリアはそんなことばかり考えながら走り続け、家に到着した。
 ぱっぱとシャワーの準備を終えて風呂場へ。シャワーを浴びる。

 ――少し前までならきっとこんなに悩まなかった。ギアロは双子の姉弟きょうだいみたいなもので、いくら迷惑かけてもいいと思っていた。ギアロはいたずら好きだったし、あと保護者づらしてきたし、十歳のときに冗談で『どうせ一人じゃ生きていけないだろ。困ったら俺が結婚してやるよ』とか言い出した日には殴りそうだった。怒鳴りつけるだけで済ませたけど。
 でも、思春期を迎えるころから徐々に距離が離れていって、それである日、知らない可愛い女と一緒にいるところを見かけて、それがとても楽しそうで、自分の半分がもぎ取られるような痛みだった。嫉妬だとすぐに分かった。そして、そんな自分に酷く戸惑った。まさかこんなにも独占欲を持っているとは思わなかったから。
 あとでその子はニコラオの彼女だったと分かって嫉妬は収まった。だけど、それ以来あいつのことが気になるようになって、誰かに取られたくなくて、暇そうなときには積極的に遊びに誘うようになって……。

 境になったのは四年前だ。私は困っている人を見かけて、いつものように手を貸した(血を流してうずくまっていた男に声をかけて、行きつけの病院があると言うので肩を貸した)。しかしその人がマフィアで、付いて行った先は彼のアジトだった。彼は私を渡すことで再び仲間に入れてもらおうとしていたのだ。結局彼は殺されて、私は売られることになった。ジャミングが掛けられていて助けを求めることもできなかった。そして、まさに船に乗せられそうになったとき、ギアロが警察ロボを連れてきてくれた。彼らは取り押さえられた。解放された私をギアロはぎゅっと抱きしめた。

「間に合って良かった」
 私が恋に落ちたのは、このときだった。(無事を実感できて、ミリアは抱きしめ返して涙を流した)
 あれ以来ギアロは心配して私のそばにいて、それで二人で出かけることが増えるようになった。そしてちょうど三年前、私は確かめたくなった。

「私たちの関係ってなんなんだろうね」
「え? あ、うーん」
「ごめん変なこと言ったね」
「いや、俺は特別な関係だと思ってるよ」
「……特別って、幼馴染みってこと?」
「ううん、男女の仲」
「そ、そういうのは、ほら、言ってくれないと分からないって言うか、勝手にそう思われても困るって言うか」
 ギアロは真剣な顔で言った。
「付き合おう」
「……うん」私は言った。
 正式に付き合ったからと言って関係が大きく変わることはなかったけど、不思議と安心感があった。同時に、ギアロにマイナスな感情をいだかれることがなんだか嫌になった。きっと私はわがままなんだろう――。

 落ち込んだ顔をしていたミリア。しかし。
「でもあれは仕方なかったよね。子供たちのことを考えれば私は間違ってないと思う」
 口を尖らせるようにして言って、シャワーを止めた。
「分かってるよ、私がめんどくさい女なのは。でもそこは少しずつ改善していけばいいわけだし。切り替えが大事だもんね切り替えが!」
 ミリアは拳をぎゅっと握った。
「付き合って今日でちょうど三年だし暗いのはナシ! ちゃんとしなくちゃ」
 風呂から出て下着を身に着ける。
 そのときぐらぐらと大きめの揺れが。
「さっきより大きかったかも」
 なんだかやなかんじ~。と気楽に呟きつつ洗面所を出て、廊下を横切って向かいの部屋へ。タンスの前に立つ。
「ここは思い切ってがらりと変えてみようかな。うん、これだな。ふふふ、ギアロ驚くだろうなあ」
 ニヤニヤと企み顔のミリア。
 選んだのは薄黄色のワンピース。谷間が少し見えるぐらいに首回りが開けている。姿見の前でくるりと一回りし、すそを優雅に舞い上げる。
「うん、大丈夫」肩のそでを見て。「もうちょっと露出のある服の方がアピールになるかな……。ま、いっか」
 ミリアは納得したように頷いた。時間を確認。『13:13』。え、やばっ。急いでドレッサーでメイクに取り掛かった。「ギアロ、暗いの苦手だから急がなくちゃ」下地を塗っていく。


 ギアロは噴水広場に戻って先程と同じ壁にもたれていた。タクシーを使えばここまで五分ぐらいで着く。もうしばらくだろうな。
 とりあえず、あのカフェまで散歩というていで歩く、そこでコーヒーを飲みながら雑談して、いい感じの空気ができたところでプロポーズ。
 よし、大丈夫。
 ギアロは大切そうにバッグに触れた。

 それは急にやって来た。

 グラグラと大地が揺れ始めた。大きく左右に揺さぶられる。ギアロはすぐに噴水広場へと飛び出した。周囲の人は、立ち止まったり、うずくまったり、悲鳴も聞こえる。建物は崩れなかったがヒビが入り、二階のバルコニーから落ちる人がいた。噴水は流れ続けている。
 地震は揺れを強めていき、そして、

 ドゴンッッッッッッッッッッッッ。

 未だかつて聞いたことのない爆音と強烈な地震が島全体に伝播した。
 人々は島の中央にある火山に向いた。ギアロも向いた。
 火山が噴火していた。
 火口から溶岩と灰色の噴煙が、それこそ噴水のように噴き出している。それは徐々に天へと伸びていった。風で東へ流されつつ、噴煙に黒色が混じり、中で雷が迸る。
 誰もが突然のことに呆気に取られていた、しかし、

「きゃああああああああああああああああああ」
「逃げろおおおおおおおっっっ!!!!!!!」

 一斉に海岸へ向けて走り出した。
 ギアロはミリアを思い出し迎えに行こうと思ったが、人々が隙間なく向かってきて進めない。
 そうしているうちに噴煙は島の上空を覆い始め、島全体が暗くなっていった。軽石などが雨のように降り始める。衝突した屋根などがカラカラと鳴り、人々は頭を守る。ギアロは足に力が入らなくなり、その場にへたり込んでしまっていた。胸をおさえ、荒い呼吸を繰り返す。人々が走って行って舞い上がった砂埃を吸ってしまい、口をおさえた。咳き込みたい、しかし呼吸を止められない。彼は苦しそうに目をつぶった。
「君⁉ 大丈夫か⁉」
 通りがかった男がギアロの肩に腕を回し、心配そうに声をかける。
「任せろ! 担いでやる!」
 男はその筋骨隆々な身体でギアロを軽々と肩の上に担いだ。
「ミリアが!」ギアロは男へ叫んだ。
「なんだって?」男は訊き返した。
「彼女が中腹の辺りに!」
 周囲の悲鳴や怒号に負けないように大声でギアロは叫んだ。男も叫んで応じる。
「無理だ! 見てみろ!」
 道は海岸方向へ走る人で埋め尽くされている。救命ロボットが怪我人や老人などを運んでおり、警備ロボットが避難の誘導を行っている。逆走なんてできやしない。
「それに、入れ違いになったらそれこそ大変だろう! 大丈夫、ガールフレンドもきっと逃げられる。中腹なら間に合うはずだ」
 ギアロは何も言えず、悔しそうに口元を歪めた。
 口をおさえて呼吸に苦しみながら、ミリアのことを想う。無事に逃げてくれ……!

 ミリアはメイクを途中にして家を出ようとしていた。
 スニーカーをかかとを踏んで履き、飛び出す。噴火の凄まじさに唖然としてしまうもすぐさま我に返った。噴火の様子からしてまだ逃げる余裕はある。家の前の道路にタクシーが止まっていた。急いで乗り込もうとドアに手を掛けた。そのときだった。
 山頂から海の方向へ、地面がぱっくりと口を開けた。地割れだった。長さは一キロを越えているだろう、幅も数十メートル。極めて大規模であり、彼女はそのド真ん中にいた。まるで落とし穴だった。
「ギアロ……」
 そんな言葉を残して、ミリアは為す術もなく奈落へ呑み込まれた。

 ギアロはフェリーに乗り、島を離れていた。
 視線の先には火山。噴火は自体は収まったものの、噴煙はまだ火口と空を繋いでいた。噴煙は東に傾いている(ギアロから見て左)。彼は呆然と立ち尽くすしかできなかった。


 地下、砂埃が立ち込める真っ暗な瓦礫の中、ミリアは倒れていた。痛みに耐えながら目を開く。
 遠くに赤い赤子を見た。背中に頭が乗って、こちらを向いていた。


最後まで読んでいただきありがとうございます