「OOPTOY」第3話:ルルエル

二年前。

「あの子は助けちゃダメだ!」

 マルンは必死でカートを羽交い絞めにした。国境の平原を一人の女の子が歩いていく。その先にいるのは百人を超える鉄砲部隊である。

 それがあるのは城壁の向こう側。カートは門扉の前で暴れていた。

「離せマルン! あの子を見捨てろって言うのか!」

「彼女は何百人も殺めてる! それが彼女の望まなかったことでも、彼女は今、その罪を償おうとしてる!」

「だからって――」

「それに!」マルンは言葉を遮った。「彼女は極めて政治的な立場にいる。彼女が死ななければこの国は戦争を仕掛けられる! なんの罪も無い人まで命を失うことになる!」

「分かるけど、でもあいつは!」


 ……嫌なことを思い出した。

 カートは目をつむっている。背後にはユルマリが立ち、「だーれだ?」という遊びのようにカートの両目を覆っている。

「そもそもの話、あの子は助けても大丈夫なのか?」

「下調べは済んでる。母親思いのいい子だよ。小柄だけど年齢は十七だからもう大人。あんな状態になっても親の生活を助けてるんだ」

 答えて手を離した。

「なんの『オープトイ』だ?」
「それは彼女と会ってからにしよう」

 二人は変わらず同じ路地を眺めていた。

 少し経つと、先程の壁から少女が姿を現した。慎重に周囲を確認し、やり過ごせたと確信したところで彼らと反対方向へ駆け出した。路地を進む。

「見えてるかい?」
「大丈夫」

 望遠鏡はユルマリの腰に帰っているがカートは肉眼で彼女を捉えていた。

「行くぞ」
 と言って瞬間移動を行い、彼女の正面に姿を現した。

「⁉」

 突如目の前に現れた二人組に少女は足を止めた。しかし慣れた動きで二人を窺いながらゆっくりと後退を始める。

「危害を加えるつもりはない」

「僕たちも同じ〈ホルダー〉だからね」

 警戒心が深まったように見えた。首を傾げるように頭を右に傾けたが、これはフードで顔を隠しつつ片目で二人を目視しようとしたからだった。

「ああいう人たちは〈チャレンジャー〉と呼ばれている。『オープトイ』は一人にしか力を与えないから所有者を殺す必要がある。つまり彼らは〈ホルダー〉の敵だ。敵の敵は味方になれる。俺たちは力を貸せる」

 カートは緊張の面持ちで言った。

 少女は。

 逃げ出した。

「あははははは。カートフラれちゃったね」

 腹を抱えて大笑いする友人の後頭部をカートはぶん殴った。頭を抱えるユルマリ。

「しかしどうする。善意の押し付けは良くないぞ」

 そう言った直後、彼女の逃げる先――T字路の角を曲がって大量の人影がわらわら現れた。先程のやつらが戻ってきた。

 少女は立ち止まる。前も後ろもダメ。左右にも道がないため逃げ場はない。ただユルマリは焦らず彼女の出方を待っていた。もちろん壁など無意味だからだ。しかし想定外が起こり目を丸くする。カートが飛び出していた。

 彼は少女の目前に瞬間移動した。

「ぼーっとしてちゃダメだ」

 言いながら彼女の手を取ろうとした。引っ張って、連れて行こうとした。しかし彼の手は空を切る。否、すりぬけた。まるで幻影でも掴んだようだった。目を丸くしたがすぐに思い出した。そういえば壁をすり抜けていた。

 ならば、と彼女だけでも逃がそうと瞬間移動を試みたが、飛ばなかった。困惑せざるを得ない。見えない、触れないまでは分かるが、能力まで受けつけないのか。

 少女は意を決したようにユルマリの方へと走り出した。

 同時に追っ手の一人が槍を投擲してきた。狙いは少女である。命中の直前でカートは槍の中程をがっと掴んだ。マーチングのようにくるりと反転させて投げ返す。

 先頭の男が剣でそれを弾いた。その瞬間槍は細かく飛散し煙幕のようになって彼らを呑み込んだ。追っ手たちはばたばた倒れていく。しかし二人抜けてきた。

「『全能』のカートだ! ヤツも殺せ!」と男が叫ぶ。

〈チャレンジャー〉は様々なものを有してる。中には『オープトイ』の影響を無効化するものもある。

 残り二人へカートは「あっちに行け」と手を振った。瞬間移動で適当なところに飛ばしてみた。消えたのは男一人だった。

 最後まで残った女はついに武器の間合いまで詰めた。即座に鉈を振り下ろす。カートは左腕で受け止めた。途端、肘から先が爆散し血肉が互いの顔面を汚した。女は一切気にした様子なく、衝撃で跳ね上がった鉈を再び振り下ろす。

 カートは終始冷静だった。

 肘の断面から、植物の根のようなものを無数に生やした。それは女の腕を絡めとり、一瞬にして肉体を縛り上げた。口には猿轡みたく何重にも根を巻きつけた。

「原因のアイテムはどれだ?」

 呟きながら、ウーウーと抗議の声をあげる女の頭に触れて、気絶を試みる――抗議は続いた。ただネックレスの一部が欠けるのを目撃した。無効化のたびにネックレスの金属の棒が消える仕様らしい。残りは二つ。

 一瞬で二つ消し去り、三回目の試みで彼女は意識を失った。斧を取り上げて消滅させて、彼女をその場に寝かせた。

 腕を生やして振り返る。

「きゃー、カートこわーい」

 ユルマリがニヤニヤとからかうように言った。

 フードの子は彼に羽交い絞めにされていた。流石にユルマリなら触れるんだなとカートは納得の顔をした。

「それで結局、彼女の『オープトイ』はなんなんだ?」

「『不干渉』だよ」

「へえ、そんなのあるんだ」

 言いながら腑に落ちて、二人の接触点を見た。「つくづく『全能』なんてのは名ばかりだと感じるな」

「君の世界は僕がどれだけでも広げてあげるよ」

「きしょい」

「ひどいな~」

 けらけらとユルマリは笑い、「さて」と状況を改めた。

「まあ要するにね、『不干渉』のせいで困ってる子を見つけて、好奇心半分心配半分で助けたいと思ったわけだ。僕は彼女とその母親を再会させたいんだよ」

「⁉」

 少女の頭がぴくっと動いた。

「興味を示してくれたかい? ちなみに、見えるのは当然ながら、さわれもするし、声もにおいも伝わるよ」

「ほ、ほんとに?」

 フードの下から半信半疑の小声がした。

「本当さ。ただし、大きな問題が残ってる」

 ユルマリは寝っ転がる追っ手たちを見た。

「『不干渉』の所有者は他者から認識されなくなる。でも、そこの彼らは認識を可能にする道具を手に入れてしまったんだ。それを取り上げなきゃ終わらない」

 なるほど、それで俺を呼んだのか。

「規模は?」カートは尋ねた。

「ちょっと大きい組織」

「……」

 それはマズいな、とカートは少し目を伏せた。

 やっぱりためらうか、とユルマリは苦笑して、

「いいじゃないか。持て余してどうする。その力は君だけのものじゃないだろう?」

 普段通り煽り口調で言った。

 カートはギッと睨んだ。睨むだけで何も言わなかった。

「了承が取れたところで」ユルマリはふふと笑い、少女を解放した。

「最終的な決断は君が下さなきゃいけない。このまま逃亡生活を続けるか、リスクを負ってでも解決するか」

 少女は、振り返って、「……見返りは?」とうつむき気味に尋ねた。

「そこの彼と仲良くなること」

「は?」カートが怪訝に眉を寄せた。

「別にねんごろな関係になれと言うんじゃない。たまに話し相手になってくれればいいんだ」

「俺はそういう相手に困ってない」

「君の意見はどうでもいいよ。大事なのは関係の有無だ」

「事実上無いに等しくても?」

「〝それでもある〟という事実が重要なのさ」

「そんなことでよければ構いません」

 少女は答えた。

「それじゃあ交渉成立だ」


「私はルルエル・レムレスと言います」

 フードを取って少女は名乗った。

 十七と聞いたがもっと幼く見える。そのあどけなさも含め可愛らしい顔立ちだ。目はまんまると大きく、口はほっそりとしている。怯えは無くなったが気弱そうな表情は変わらず、『不干渉』の持ち主らしい控えめな雰囲気。

 髪はくせ毛で、ローブに仕舞いきれてないのがもっさり溢れていた。元々毛量が多いのだろう。前髪は目の上で乱雑に並んでいる。切り揃える器用さがないのか、鏡に姿が映らないのかもしれない。

 髪は(眉やまつ毛も)瞳と同じくらい白い。よく見れば灰色がかっているのだが、ワイスの姿が脳裏をよぎってカートは苦い顔になった。実際ワイスと同じ奇病かもしれない。

 挨拶を終えるとルルエルは再びフードをかぶった。

「なんで顔隠すの?」カートは尋ねた。

「修道女のフリをしてます。案外ごまかせます」

「へえ、うまいこと考えたな」

「あなたたちはなぜ隠さないのですか?」

「僕は逃げ足速いし、カートは引きこもりだからね」

「隠すのを忘れていただけだよ。もう面倒になってる」

「そうですか」

 ルルエルは反応に困ったようにジトっと横目で言った。

 ふふとユルマリは微笑して。

「さて、挨拶も終えたしアジトに向かおうか」

 と促した。しかしカートはバカを見るように、

「いや、まず組織の情報を集めるのが先だろ」

 と言った。やれやれとユルマリは肩をすくめる。

「ノリと勢いはどうしたんだい」

「そんなもの……もう捨てたよ」

 カートは訳ありげに言って、追っ手たちの元へ歩き出した。その背中にルルエルは不思議そうな目を向ける。

「『全能』なんて無敵の力があるのに慎重ですね」

「そうなんだけどね」ユルマリは黄昏れるように目を細めた。「有り体に言えば、それを使うのは所詮人間ってことさ」

「? 分かりません」

 だよね、とユルマリは微苦笑した。

「彼が初めて『全能』の力を使ったのは一年前のこと。お世話になった孤児院とその周辺地域への恩返しを試みたんだ。人がもっと通って経済が回れば仕事も増えると考え、小さな町をたった数時間で大都市に作り変えた」

 続ける。

「すぐに相応の疲労がカートを襲って眠ってしまい、目が覚めたのは翌朝のこと。彼は驚いたようだよ」

 ユルマリはあの日見た光景を思い出して苦笑した。

「大都市が全て焼野原になっていたんだ」

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