「OOPTOY」第2話:箱庭

 二十平米ほどの部屋。

 両開きの窓を繋ぐアームが自ずと外れ、風に押されるように内側に開いた。そこへ大きな鳥が飛び込んできた。

「トゥルッポ! トゥルッポ! へいへいモーニングバードの参上だぜ! まだベッドでおねんねしてるのはどこのどいつだい?」

 鳥は家具や床をぴょんぴょん跳ね回り叫び回り暴れ狂い、最終的に「ふぉおおおお」と奇声を撒き散らしながらドアに突進し、頭を盛大に打ち付けたことで気絶した。

 カートはベッドの上で億劫そうに身体を起こした。
 漂白されたように真っ白な瞳が、横たわる鳥を鬱陶しそうに見つめた。
「別の鳥にすれば良かった……」
 短い溜め息を一つ、ルームシューズを履いて立ち上がった。

 鳥を抱えて窓際へ。鳥は目を覚まして「トゥルッポ……」と不安そうに鳴くと、バッと跳ねて外に飛び出し、そのまま滑空していった。

 カートは安堵の笑みで行き先を追った。彼は塔の半ばにいる。ちょっとした山の高さであり、山頂からの景色のように眼下には広大な世界が広がっている。ここは盆地であり、縁取る山並みまでを平らな土地が続く。塔の足元から目の届く範囲は全て平らな森林だ。鳥はその半ばに消えた。

 窓を閉じて、カートは近くに飾る花瓶を確認した。赤い花が一輪。十の花弁のうち四ひらが落ちていた。

「そこそこ凶兆」

 そんな占いをもらって部屋を出た。行き先は隣の部屋。トイレと手洗い場だ。ワイン樽サイズの水瓶の上にグースネックの金属の管が設置され、管の下に手を入れると自動で水が流れる。用を足して手を洗い、それから顔もバシャバシャと洗った。

 水を止めて、水瓶のふちに手を置き「はあ」と溜め息をこぼす。
 水瓶の底を覗く顔は泥水のように澱んでいた。毛先からぽとぽとと水滴が落ちる。

 左腕に彫られた五つのタトゥー。

 カートは悲しげな瞳でそれを見つめ、
「俺はまだ最後までやりきったと言えない」
 言い聞かせるように呟いて、顔を上げた。

 大きな歩みでドアへ向かう。頭はすっかり乾き、毛の一本一本がふんわり立ち上がった。表情も少しばかりマシになっていた。
 ドアを開けると、対面の壁にフクロウが立っていた。カートの胸ほどの身長で、紳士のような服を纏っている。

「おはようユーメルドク」

「おはようカート。さっそくですがお客様がお出でです」
 物腰柔らかい大人びた態度でフクロウは言った。

「……ユルマリか?」

「はい。今食堂に上がっているところです」

「分かった。報告ありがとう」

 一つ下の階は丸々食堂だ。海賊が宴会を開けるぐらいに広い。
 奥に、円のふちに沿うように、九つの店舗が並ぶ。プレート、パン、デザートなどと料理のジャンルに分かれている。

 そのうち『軽食』の看板が掲げられた店舗に立ち、メニュー表からレタスとトマトと半熟のスクランブルエッグがトルティーヤに包まれたものを頼んで、皿と水のコップを受け取ってからすぐ近くの席に座った。

 トルティーヤ包みが半分になった頃、エレベータが開き、男が降りてきた。二十代後半の細身で二メートル近い長身、肩にかかる緑色の髪、街を歩けば女性からの熱視線が途絶えなさそうな爽やかイケメン。名をユルマリ・ウォーカー。くたくたのマントが如何にもな浮浪者だ。


 ユルマリと出会ったのは初めて大々的に『全能』を使った翌日のことだった。
 絶望してうずくまるカートのもとに、彼は今日と同じ格好で、好奇心全面の笑みでやってきた。嫌な予感がしてカートは警戒を示した。


「一週間ぶりだね。ちゃんと食事は摂っているかい?」

 ユルマリは柔和な瞳で尋ねた。カートと同じ白い瞳。

「心配されなくても、この通り」
 もぐもぐしながらトルティーヤ包みを持ち上げて見せた。彼はふふと微笑を返し、『プレート』とある店舗で四種類のおかずとパンのワンプレートを受け取ってカートの正面に座った。

「タダで食事にありつけるなんてやはり天国だね」

「また三日ぐらい食ってないのか?」

「金が無いからね。ここに泊まれたらなおいいんだけどなー」

「そんな目で見ても無駄だからな」

「ああ神様、彼はあなたのような力を手にしながら私にこのような仕打ちをするのです。どうか彼に天罰を」

「おまえが信仰してるのは〝子供〟だろう」

「あっ、それで思い出した」ユルマリは少し怒った様子で。「この前また『小児性愛者』だと誤解されたんだよ。想像力の乏しさとは本当に嘆かわしいね」

 彼の愚痴は止まらない。

「出産は命懸け、生まれた命は極めて脆弱。ゆえに子供は神のように大切にせよ。子供を神様とする信仰が現れるのはとても自然なことだし、実際同様の信仰は世界中にある。これを理解できない文化集団は往々にして女子供を見下す傾向にあるというのが僕の最近の調査結果さ」

 おそらくそれは偏見に基づき収集された歪んだ結果だろう。カートは話半分に聞き流した。

 ユルマリは頬杖をつき憂うように、

「つい彼らの頭を『拡張』してやろうかと思ったよ」

「おい」

「やってないよ。流石にそれは悪魔の所業だ」

 ならいいけど、とカートはぐったり身体を背もたれに当てた。水をぐいっとあおる。皿はすでに空である。

「しかし僕は真剣に君を『拡張』してはどうかと考えているよ」

「分からないな」

「いやね、君のつまらなさに僕は非常にがっかりしているんだ」

「余計なお世話だ」

「君が〈ホルダー〉になって一年になる」ユルマリはフォークをベーコンの束に突き刺した。「色々やってきて悉く失敗に終わったのは確かに見るに堪えないし、心を折るには充分と言えるけれど、しかしそれでこんな僻地に引きこもるのもどうかと思うよ」

「『定期試練』はこなしている。おまえが一切手伝わないあれだ」
「あれは半月に一度じゃないか」
「そうだけど」

「僕がどれだけ楽しみにしていたか分かるかい?『全能』に選ばれるなんて史上初の出来事なんだ。なのにちっとも面白いことをしない」

「そりゃ悪かったな」

 俺だって別にこのままでいいとは思っていない。
 それでも今の俺はナイフを渡された子供のように危なっかしい。制限をかけ、使いどころを見極めなければ、また大惨事を引き起こしかねない。

 まあいいやとユルマリはフォークを置いた。

「今日ここに来たのは朝食を食べるだけじゃないんだ」

 彼は腰に提げていたものをテーブルに置いた。一メートル程の筒で両端にレンズが付いている。

「望遠鏡か?」

「君に会ってほしい人がいるんだ」

 彼は不気味な笑みを浮かべていた。


 二人は海沿いの大きな街に来た。オレンジ色の屋根と広大な青い海の対比が美しい観光都市だ。貿易も盛んで港には多くの船が繋留してある。雲一つない快晴、長袖一枚でちょうどいい気温だった。

 そんな華やかな風光とは対照的にカートは暗澹としていた。凶兆が気がかりだ……。

「あっち、内陸の方」
 望遠鏡で指示された方に、カートは彼共々瞬間移動を行った。


 適当な集合住宅の屋上に着地した。周囲より頭一つ高く見通しがいい。

 こちらは慎ましい面持ちだった。新緑の森が間近な静かな住宅地で、迷路のように細い道が入り組み、間に架かった物干し竿で洗濯物が揺れている。悪臭が漂うほどではないが道端にゴミが散らばっており、少し治安が悪そう。人通りがないのがなおのこと不気味だ。

「それで、見てほしいものって?」
「ちょっと待ってね。探すから」ユルマリは辺りを見渡す。「いつもここら辺を歩いてるんだよ」

「見つけたら呼んで」
 カートは反対側に向かった。……なんか嫌な予感がする。

 そもそもユルマリは生粋のトラブルメイカーだ。風貌の怪しさは嘘をついていない。それでもこいつと友人でいるのはこいつが憎めないやつだからであり、何より、彼の被害者を助けるためだ。

 屋上の端から路地を見下ろすと、男が大きな荷車を引いていた。箱が山のように積んである。彼は神経質に周囲を気にしていた。カートは荷台をジッと睨む。

「あれは蓋か」

 透視したらば箱の山はハリボテだった。バケツを返したように中は空洞で、若い女が二人寝かされている。口と目を布で覆われ、手足を縛られている。

 華やかな街でもこういう部分はあるものだ。むしろ無い方が異例と言える。

 カートは男を指差し、軽く左に振った。

「彼女たちが最も安全に解放される形で自主してこい。あと取引相手やおまえの属してる組織について告発しとけ」

 男はゆっくり反転して、来た道を戻り始めた。

 その姿を眺めながらカートは不安そうな顔をした。これが正しい保証はどこにもない……。

「力の使い方が上達してるね」ユルマリが背後から感心したように言った。「でも僕が求めるのは『全能』の名にふさわしいだけの大活躍だよ」

「見せたいものは?」

 カートは背を向けたまま言った。

「こっちだよ」

 ユルマリの指示に従って反対の路地側へ戻り、突き当りの建物までジャンプした。そこで路地に振り返り、

「彼女だよ」

 指差されたのは左に伸びる路地の真ん中だった。石畳だけで人はいない。カートは眉をひそめながら望遠鏡を覗いた。

「!」

 人が走っていた。黒のローブを纏いフードを目深にかぶる小柄な人物だ。肉眼に戻したらまた見えず、再び望遠鏡を覗いた。

 こちらから遠ざかる方へ走っている。少し追っていると、ちょうど脇道との合流地点で熊でも見つけたように驚き、逆方向――壁に直進した。とち狂ったのかと思ったが、なんとそのまますり抜けた。

「幽霊?」

 などと呑気に呟いたところ、そこに槍やら剣やら持った大人たちが肉食獣のような形相で押し寄せてきた。ざっと十数人。

「向こう側だ! 追え! 追え!」

 彼らはフードの子が消えた方を目指し左右に分かれて迂回を始めた。半数がこちらに走ってくる。カートたちは一歩退いた。

「あの子を助けろって?」

 カートは嫌そうに尋ねた。

「大雑把に言えば、そういうことだね」

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