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なぜ神聖かまってちゃんが好きなのか

こんにちは、基岡です。

8月からnoteを始めてもう二ヵ月が経過してまして、
初投稿である『おまじない』に神聖かまってちゃん要素を入れ、
その一週間後にはかまってちゃんの夏曲を紹介し、
8月31日にはアルバム『8月32日へ』を呟き、
9月の短編にも要素を入れ、
10月からSKCファン小説まで始めて、
そろそろこいつのかまってちゃん押しはなんなんだと思われてる気もするので、ちゃんと話そうと思います。


『電波女と青春男』って作品ご存じですかね?
 このアニメのOPに使われていたのが
 『OS-宇宙人』
 という、の子さんの書き下ろした曲なんです。
 (の子さんは神聖かまってちゃんの作詞作曲でありGt.&Vo.)

 当時高校生でした。
 すごくキャッチ―で、強烈なインパクトがある曲で、すぐに好きになったのですが、このときはあくまでこの曲が好きになったのであって、かまってちゃんが好きになった訳ではありません。

 また、確かちょうどこの頃に(記憶が定かではないんですが)、友達がかまってちゃんにハマったんです。
 いい曲だから聞けと言われて実際に聞いたんですけど、このときは大していいと思わなかったんですよね(『黒いたまご』と記憶してるんですが、知らないバンドを薦めるときにあれはどうなんだ)。

 なので、神聖かまってちゃんは知っているけど、曲は別に……って状態でした。

 で、これは良くないことなんですが、そのときに音楽データを無理やり渡されていたんですよ。暇なときに聞け、と。聞かなかったんですけどね。


 そして大学生のときです、進撃の巨人二期が放送されたんです。
 ED好きだな、と思ってアーティスト名を確認したら、まさかの神聖かまってちゃん。『OS-宇宙人』の印象ばかりありましたからね。こんな曲も作るのか、と。

 それで他にどんな曲あるんだろうと思い、データを渡されているのを思い出して聞くことにしたんです。

 当時の僕は環境の変化や自分への嫌悪感など様々な理由で躁鬱病(双極性障害二型)に片足を突っ込んでいました。
 タイミングが完璧でしたね。
 渡されていたのは『つまんね』と『みんな死ね』という二つのアルバム。
 最初に『みんな死ね』の一曲目である『ねこラジ』を聴きました。

「あれ? 歌はアレだけど、結構聞けるな」

 これが素直な感想です。歌は上手いわけじゃないのに妙に惹きつけられる。不思議な感覚でしたね。

 で、二曲目、三曲目と順番に聴いていき、

 どっぷりとハマっていきました。


 それから色々とあって、増々躁鬱病が悪化していきました(診断を受けてないので正確には違う可能性もありますが、鬱病の類は間違いないです)。
 大学に行けなくなり、毎日毎日泣き続けて。死にたくて。
 でも親には隠して、まともなフリをして。

 そのとき僕を支えてくれたのが神聖かまってちゃんでした。
 かまってちゃんしか支えが無かったと言うべきですね。
 誰かに頼るなんてありえなかったし、病院に行くのは怖かったし、唯一自分を受け止めてくれる場所でした。かまってちゃんだけは苦しさを理解してくれるように感じられたし、距離感がちょうど良かったんです。

 鬱病って心の病であると同時に脳の機能障害なんですよ。
 脳が正常に働かなくなって、普通なら考えられることも考えられないし、普通なら受け入れられることも受け入れられない。それでいて苦しい感情が溢れ続けますから、増々脳が機能不全になって、負のサイクルです。

 結局大学は中退しちゃって、ニート状態になって。
 正確な期間はなんとも言えないですが、2,3年は病んでいたと思います。地獄でしたね。

 今はもう躁鬱病は回復してますが、今もまともな生活はできてません。
 自分の性質を考えて鬱病の再発を予防するとなると、どうしてもまともな生き方ができないんです。
 だからと言って親に甘え続ける訳にもいかない。
 なんとかしないといけないから色々と頑張ってるし、noteを始めたのもその一環です。新人賞にずっと落ち続けてるので、いいかげん違う形で足掛かりを作らなくちゃいけなかった。

 話が逸れましたが、つまるところ。

 神聖かまってちゃんには恩がある。
 そして根本的に、かまってちゃんの音楽が好き。

 そういうことです。
 の子さん天才ですよ、マジで。

 というわけで、僕が神聖かまってちゃんを扱ってる理由をご理解いただけたんじゃないかと思います。
 まあファン心理と作品は切り分けるのが正しいと思うので、テーマ的に取り入れても大丈夫な場合のみそうして、基本的には自分の作品であることを意識しています。
 で、抑えられない気持ちをSKCファン小説として書いてしまうことにした訳です。


 ついでに、かまってちゃんと言えば「歌が下手」と言われるのですが、メンタルが回復した状態での個人的な見解を述べておきます。
 まず、下手と認識する人がいるのは理解できます。そりゃいますよね。
 僕としては、下手とまでは言わないけど上手くもない、と捉えておりますが、これはファン補正が入ってる可能性が大いにあります。
 ただ、上手ければいいってものでもないんです。

 これはどのくらい賛同を得られるのか分からないのですが、
 病んでるときって歌が上手ければ上手いほどに聞いていられなくなるんですよ。
 整い過ぎてる、優れている、そういったものが病んだ心には毒になる場合があるんです。自分を否定されてる気持ちになると言いますか、もっと複雑なんですけど。
 なので歌が上手いとダメなんです。
 だからと言って下手な方がいいかと言うと、そうじゃない。

 つまり、の子さんの歌はちょうどいいところにあるんです。
 それに声質も心地いいんですよね。

 まあ、そんな感じです。


 それともう一つ、
 僕のペンネームである夕理ですが、これも神聖かまってちゃん由来です。かまってちゃんって夕方の曲が結構あって、だから
 夕方の理
という意味で夕理にしました。

 あと、こんな女の子みたいな名前ながらがっつり男です。
 心も体も男です。
 普段の一人称は「俺」です。
 とはいえ100%男かと言うと、そうでもない。
 そこら辺の感覚があるんで、ペンネームを元々はの子さんみたいに中性的な名前をつけようと思ってたんですが(『の子』の由来は単に響きが可愛いからであって、『男の子でも女の子でもないからの子』というのは後付けらしいです)、色々考えたけどピンと来る名前に出会えなくて、それで、

 夕理にしよう。可愛いし。

 そんな感じで決まったんです。

 いやあ、色濃いかまってちゃんファンな感じですね。
 それほど思い入れがあるってことなんですけども。

 ということで。

 僕が神聖かまってちゃんを好きな理由でした。


 長々とご付き合いいただき、ありがとうございました。
 これからも僕の作品をどうぞよろしくお願いします。

最後まで読んでいただきありがとうございます