「頂戴姫」第3話

「じゃあ寄越せ‼」
 ギアロはしゃがんだ姿勢で頭上にある彼女の髪を見上げていた(ニコラオは何メートルか後ろに逃げていた)。
 悲しげな目でミリアを見る。

「なんでこんな……⁉ 何があったんだよ⁉」

 彼の悲痛な叫び。彼女はむしろ自分が被害者のような悲しげな顔で項垂れた。
「嘘つき……」
 呟きは彼女だけに聞こえた。彼女は牙を剥く猛獣のように口端を吊り上げて怒鳴った。
「この嘘つきがァ!!!」
「は⁉ 何が⁉」
「黙って寄越せよ‼」
「ギアロ‼ 話は無理だ‼」ニコラオが彼の腕を掴んだ。逃げようと引っ張る。
 彼はためらいを見せたが、髪が再び鋭い先端を向けたため逃げると決めた。苦渋の様子がぎゅっとつぶった目に表れていた。

 ニコラオがスプレーとライタ―で火炎放射を行い髪を怯ませつつ後退、その隙にギアロも立ち上がり、坂に戻る。軽く駆け上がって彼女からは死角となった。

「追え‼ 殺さなければなんでもいい‼」
 彼女の身体から雷のようなものが八つ放たれる。それらは開口枠付近で地面に落ち、光のまま人型となった。空を飛んで二人を追う。

 ギアロは悔しそうな顔で坂を上っていた。さっきの命令が聞こえていた。

 門が見えた。ちょうど通過する大人が六人(ミリアの父もいる)。
「閉めてくれ‼ 追われてる‼」ニコラオが叫んだ。彼らは二人の背後から何か迫って来るのに気づき、すぐに扉を動かしにかかる。二人が抜けるタイミングを見計らって扉は閉められた。
 全員が扉を押さえるため張り付く。しかしなんの衝撃もなかった。しばらく待って彼らは離れた。警戒の視線を向けるがやはり開く気配はない。「魔法か何かか……?」不安そうに誰かが言った。「とにかく逃げよう。詳細は帰りながら話す」とニコラオが険しい顔で促した。皆は坂を駆け上がる。ギアロは悲しそうな顔で真っ赤な目を扉へ向けた。
「ミリア……どうして……」
 頬を雫が伝う。


 祭壇でミリアは怒ったように目を大きく見開き、唸るように言った。
「誰もくれないなら奪いに行くまでだ」


 二十人全員が港に集合した。小さなレストランの前だ。
「ゾンビを一人捕まえて色々調べてみた」
 ガタイのいい男がレストランを親指で示す。中の椅子にゾンビがロープで縛りつけられていた。
「意思がなく、肌が冷たく、筋力は普通。ゾンビらしい動きをするが、噛まない。腕を口に近づけてみたが噛む素振りすら見せなかった」
 危ないことするなぁ。とニコラオが感心する。
「行動原理が読めないが、関わりがある人間には優先的に近づくようだ」
 俺たちが調べたことは以上だ。そっちはどうだった? と斜向かいの女性に話を振る。

「医療ロボで調べてみたけど、表面体温が低いだけで他はほとんど正常な人と変わらないのよね。正直、理屈がさっぱり。まるで魔法ね。当然、戻し方も謎」

「食事や排泄はするみたいだよ」と彼女の隣の男が言った。

 そうか。ありがとう。と難しい顔で頷き、ガタイのいい男は続いてニコラオに振る。「きみたちはどうだった?」
 彼はレストランの壁に背中をつけて膝を抱えているギアロを一瞥し、次にミリアの父親を見てから、男に向き直る。
「見たことをありのまま話す。もちろん動画もあるぞ」


「にわかには信じがたいな……」ガタイのいい男は腕を組んで難しい顔をする。「しかしゾンビがいる時点でな……」
 ニコラオは片手を腰にあて、もう一方の手のひらを上に向けた。
「特殊性からしてゾンビを作ってるのは彼女だろうな。彼氏へ容赦なく暴行を働けたあたり悪魔にでも憑りつかれたのかもしれん」
「あ、頂戴姫にお願いされたとか?」端の男が言った。
「いい冗談だ。ちょっと黙っててくれ」
 ガタイのいい男が不満そうに切り伏せた。ニコラオが密かに鼻で笑う。

「とにかく超常的な事態なのは間違いない。ひとまずそのミリアという女性に起きたことを調べてみよう」

「調べるったってどうするの?」あの端の男がおずおず尋ねる。
「それをみんなで話したい。これだけいれば有用な案の一つや二つは出るだろう」
「この島の歴史を調べるとか?」端の女性が言った。
「世界で同じような事象が起きてないか調べるのもいいんじゃない?」と医療ロボの女性が言った。
 他の人たちも意見を出し始め、話し合いが熱を帯びてきた。

 ミリアの父親はその輪から外れ、未だうずくまるギアロの横に座った。
「ギアロくん、話は聞いていたかい?」
「……ええ、まあ」
「落ち込むのは分かるよ。私も娘に同じことをされたら泣いてしまうだろう。でもね、凹んでばかりではいられないよ。私たちがやらずして誰がミリアを救うんだい?」
 ギアロは目を見開いた。
「……そうですね。俺が助けなきゃ意味がないですよね」言いながら彼は顔を上げた。「俺、頑張りま」言いかけて固まる。

 ミリアの父親の隣にゾンビがいた。

 ゾンビは彼の腕をガシッと掴むと無理やり立ち上がらせ、腹に腕を回して脇に抱えると、そのまま連れ去ってしまった。極めて俊敏な動きでギアロは反応できなかった。
 そして、今のを見た『輪の中』の女性の一人が「きゃああああああ」と叫ぶ。
 なんだなんだと『輪』の人たちが辺りを見渡し、そこで重大な事実に気づく。全員が愕然とした。

 いつの間にか周囲をゾンビに囲われていたのだ。二十、いや三十はいる。それも先程と雰囲気が違った。

 ゾンビたちが一斉に走り出す。今までより明らかに速い。普通の人と同じくらいの速さで襲ってきた。ギアロも慌てて立ちあがる。
 男からも悲鳴のような雄叫びが聞こえ、場がパニックに陥りかけた。次の瞬間ニコラオがスプレーとライタ―で火を吹いた。ゾンビたちが明らかな警戒を見せた。
「俺が道を作る! 付いて来い!」
 彼は走り出し、みんなが付いて行く。ガタイのいい男がしんがりを務め、後ろからのゾンビたちを投げ飛ばしていく。今度は殴ったり蹴ったり噛みついてきたりしたが彼はうまくいなしていた。噛みつかれて少し怪我したものの、全員を守り抜き、彼らは船に戻れた。


 ゾンビたちは泳ごうとはしなかった。船は港から少し離れたところで留まることにした。しばらく様子を窺うためだ。彼らは堤防で腕をこちらに向け、求めるようにふらふらさせていた。
 徐々に数が増え、一時間ほどで更に二十人増えた。そしてその二十人目が、ミリアの父親だった。彼もゾンビの仲間入りをしていた。
 ギアロはガタイのいい男を見た。腕を噛まれて怪我をしていたがゾンビになる気配は欠片も見当たらない。どうやら感染はしないらしい。
「父親でも愛は足りなかったんだ……」おずおずした男がぼそりと言ったのをギアロたちはしっかり聞いていた。
 このまま停泊しても何か進展することはなさそうだった。船は本土へと帰還した。


 港は結果を待ち望む人たちで溢れていた。
 ギアロとニコラオは彼らに囲われる前に抜け出して、人気のない道を辿ってホテルへ向かった。
「とにかく早くミリアを元に戻す方法を見つけないと。ミリアの母さんにも顔向けできないし……」
 ギアロに気まずそうな雰囲気はない、それよりも覚悟ができた感じの顔つきだ。
「でも焦ればいいってもんでもないぜ? 食事を送れば死ぬこともないだろうし、ゆっくり焦ればいいんだよ」
「……ゆっくり焦るってなんだ?」
「そこはおまえ、ノリだろうが」
「いや分からん」
「ふははははははははー、私も分かんないわー」
 横から突然の声。同時にギアロは頭を撫でられていた。驚いて振り向き、彼は愕然としてしまう。明るく社交的な印象を与える丸顔。金髪は背中までのストレート。薄黄色のワンピースを着て、

「ミリア⁉」

 そう見えた。
「……いや、おまえ誰だ⁉」ギアロは慌てて頭に乗ってる手を振り払った。
 彼女は裸足で宙に浮いていた。
「ミリアだよ?」
 可愛い顔を不思議そうにして彼女は言った。
「いや、違う」
 ギアロは確信して言った。
「雰囲気がおかしい。ミリアはこんなに天真爛漫一直線じゃない」

「あはははははははは、流石と言うべきなのかな」

 彼女はフィギュアスケートのようにくるりと回転して二人の前に移動した。
 何か奇跡が起こって元に戻れた……なんてことではない。ミリア以外の何かだ。

「一応ミリアなのは間違いないんだけどね」彼女は困ったように頭をかいた。「正確には、彼女から生まれた分身体ぶんしんたいみたいなものだよ」

 分身体? とギアロは首を傾げる。
「目的はなんだ?」ニコラオが険しい顔で尋ねた。
 彼女はクスクスと可笑しそうに笑う。
「あんたを殺すために来たって言ったら?」
 ニコラオはスプレーとライタ―を構えた。
「待って待って!」
 慌てたように彼女は両手でストップのジェスチャー。「冗談、冗談だから」
 ニコラオは下ろさなかったが、表情には話を聞こうという緩みが窺えた。彼女はひとまず安堵の溜め息をついて、アンニュイに笑った。

「私はあんたたちを追いかけた人型の雷の一人だよ。受けた命令は『ギアロを連れてくること』。殺すなと言われてるから殺せないよ。とはいえ、半殺しにするのはアリだけど」

「じゃあなぜそうしない?」ニコラオが怪訝に問う。
「命令なんだろ?」とギアロも眉をひそめた。
 溜め息をつくように彼女は悲しげに笑った。


「好きな人を傷つけたくないって普通じゃない?」


 え? と二人はぽかんとしてしまう。
 彼女は少しだけ明るい微笑になった。

「頭部から産み落とされたからかな、あの子の気持ちを強く受け継いでてね。だからこの気持ちは本物。ミリアじゃないって言われて死にそうなほど傷ついてるぐらいに私はミリアとしてギアロが好きなんだよ」

 彼女の瞳が潤んでいく。
「大好きなんだよ」
 呆然とする二人。
 彼女は無理やり明るくした感じで精一杯の笑みを作った。

「このままじゃあの子が可哀想でしょ? だから協力してあげる。あの子を元に戻す方法、心当たりあるから」


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