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#1-1 世の中には実は陰キャしかいないんじゃない?

こんばんは、kioです。
私はただの一般人で、生粋の陰キャとして社会の片隅でひっそり生きていくはず(だった)人間です。
ところがひょんなことから、高校の同級生のワギ、ケイゴ、しのぴーとラジオを始めるに至り、ワギの勧めもあってラジオを振り返り、不発弾と泥団子処理(#-1で説明しています)をするためこのnoteを始めました。

そういうわけで#1-1の不発弾を探すべく、前回に引き続き音源を聴き直してみたのですが、今回もあらかたお題が決まっていたことも自分が話したい内容が決まっていたこともあって、不発弾探知機に引っかかってきませんでした。むしろ自分のフィールドに2人を引き込んでいた節があったので、珍しくもいつも以上にイキイキしている気すらします。

#1-1の結論は結局のところ、このタイトルにある通り、この社会の中には実は陰キャしかいないんじゃない?です。うそです、ちょっとだけ盛りました。実際にはラジオ内で定義した通り、陽キャも存在しているし、彼らを軽視するわけでも排他的であるわけでもないです。
ただ私の狭い狭い世界の中には、類は友を呼ぶだけあって陽キャは1人いるかいないかです。ワギとケイゴが(高校時代の私から見て)そうであったように、そして#1-1ラジオ内冒頭での私のとってつけたような安っぽい(?)話し方のように、実際にはクソ陰キャだけど、陰キャであることへの抵抗や陽キャへのあこがれからくる努力によって、もしくは持ち前の明るさが輝きすぎたがゆえに、陽キャの様相を成している人ならもう少しいると思います。とにかく身近に「本物の陽キャ」がほとんどいないこともあって、陽キャの定義は非常に難しかったですが、他者の土俵、懐に何の障害もなくひょいと入り込めるという性質は、陰キャにはない陽キャの特徴のように思います。

少し話は変わりますが、なぜ自分を陰キャ(もしくは陽キャ)と自認しているかという経緯はとても興味深いですよね。多くの場合はなんとなく徐々に気づいていく気がするので、ワギのように自覚するターニングポイントが明確にあるパターンはとても珍しいと思います。エピソードの内容自体は休み時間のドッジボールなので小学生らしいですが、そこでの気づきや考えが小学生離れしすぎていて、ちょっとばかり引きました。同じように驚きの感覚に陥った人は私だけではないでしょう。
私はきっとこれまでも、そして今も、自分自身を中心に据えた小さな"私の世界"の中で自分を捉えていて、自分と他者を完全に別の世界として捉えているきらいがあり、小学3年生のワギのように、他者との関わりの世界の中で自分を位置づけることは、もしかしたら一回もしたことがないのかもしれません。そう考えれば、他者に開かれていない、閉じた世界の中だけで生きている私はやっぱり本当に生粋の陰キャのようです。(笑)

小学生時代の2人のエピソードを聞いていると、私よりはるかに陰キャムーブをしていて驚きます。この場合、驚くべき対象が2人なのか私なのかはわかりませんが。ちなみに小学6年生の音楽会の楽器はドラムでした。演奏中、一番目立つといっても過言ではないあの花形の楽器、オーディションでお情けで選んでもらったほろ苦い思い出付きです。(笑)

#1-1はこちらからお聞きいただけます。
Spotify以外の方はリンクまとめからどうぞ。


付記)
noteを書き始めてまだ3回目ですが、すでに書くことの難しさを感じています。挨拶は毎回するとして、前提のお話はいつまでどこまで書くべきか?本題にはどうやって入ろうか?など書き始めて早々クソどうでもいいことで頭を悩ませています(ついでに終わり方もわかりません!)。連載や短編長編、作品をいくつも生み出す創作者の方々や新しい企画を考えながら毎日投稿をするYouTuberたちをただただ尊敬する日々です。
こんな風に悩むだけ悩んで、大した太さもない小さな木の枝先の葉っぱばかり考えているから、付記だけがどんどん増えていきます。さすがにそろそろ本題を書くとしましょう。

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