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【禍話リライト】かわいそうな家

 真っ暗な廊下に立っている。
 かろうじて見える壁や造りからは、今居るこの家がかなり立派な家だと推測できる。
 闇に目が慣れると、廊下の奥、十メートルほど先に人が立っているのが見えて、酩酊状態なのか、体はグラグラと揺れている。
 その人は揺れながら、こちらに近付いてくる。
 段々と声が聞こえてくる。
「ヘェァ……ヘェァ……ヘェァ……」
 性別がはっきりしない人物は変な発声で、笑っていた。
 廊下の壁に体をぶつけたり、擦り付けたりしながら、こちらへこちらへと歩いてきて……。


 そこで目が覚めた。
 あまりに奇妙な夢を見たSさんはその原因を考えた。
 Sさんは女性。結婚を意識している彼氏が居る。この彼氏は性格も良く、裕福だ。友達に恵まれ、職場にも不満はない。悪夢を見るようなストレスに晒されてはいなかった。あるいは、ホラー映画か何かで類似する演出を見たのではないか、とも思ったが、覚えがない。
 結局、原因らしきものも見つけられず、二、三日経った夜、再び同じ夢を見た。

 同じく真っ暗な廊下に自分が立っている。
 廊下の奥から、「ヘェァ……」と笑う人物が体を揺らして歩いてくる。
 近付いてきて、近付いてきて、そして目が覚めた。
 前回よりも自分に近付いてきた気がした。
 その人は時に遠くから、時に近くから自分に向かって近付いてくる。微妙な違いがありながら、同じ流れの夢を何度か見た。


 そのうちに彼氏から「一回実家に来ないか」と言われ、Sさんは彼の長期休暇の帰省に同行することにした。
 外観からして立派で広い彼の実家は旧家を思わせた。戸を開けて玄関に入った瞬間、Sさんはドキッとした。玄関から伸びた廊下は例の夢に出てくる廊下にそっくりだったのだ。しかし、夢に出てくる廊下も目の前にしている廊下も、立派な家の廊下、と言われれば誰もがイメージ出来る、典型的なものだったため、あまり気にしないように努めた。
 その家の家族構成は父、母、彼氏と彼の弟で皆、気さくで知的な印象を覚えた。出される料理は悉く美味しい。多少、緊張していたSさんも安堵した。ご両親から宿泊を勧められ、そのままその家に泊まることになり、二階の部屋で彼氏と共に布団を並べて寝た。

 途中、目が覚めてしまった。その時ちょうど彼氏が部屋を出て行くところを見た。時計を確認すると深夜二時。トイレにでも行ったのだろう、と思ったが、何故か気になったSさんは起き上がって彼の後をつけた。
 一階まで降りると、廊下に備え付けてある固定電話で彼がぼそぼそと話している。
「はい。えぇ、えぇ。……えぇ、そうですね」
 深夜に何の電話だろうか、と不審に思いつつ聞き耳を立てた。
「はい、はい。うん、でも、かわいそうですね」
 半笑いで脈絡のない発言をすると彼は電話を切った。
 こちらに戻ってくるかと身構えたが、彼は一階の別室へ向かう。その隙に、Sさんは寝室に戻って布団に潜った。
 目を閉じた瞬間、意識が切れた。

 すぐに夢が始まった。
 かなり近い所からいつもの人物は近付いてくる。
「ヘェァ……ヘェァ……ヘェァ……」
 壁に体がぶつかる振動を感じられるほど近くまで来ている。
 そこで初めてSさんはその人が女性だとわかった。
 長い髪が額や頬、首や肩に張り付いていて、皮脂か何かでベタベタしているように見えた。
「ヘェァ……ヘェァ……」
『来る! 来る! 来る!』

 そこで覚醒した。夢の中ではごく短い時間に思えたが、既に朝になっていた。
 身を起こそうとすると気怠い。熱を測ると高熱が出ていた。突然の体調不良、しかも彼氏の実家とは間が悪い。
 しかし、彼氏やその家族達はこのまま休んでいるといい、と優しく接してくれた。Sさんもどうしようもできないため、彼らに甘えて眠ることにした。
 しばらくすると、階下がガタガタと騒がしくなって起きてしまった。どうしたのだろう、と思っていると彼氏がやってきた。
「悪いけどさ、今日は家族みんなでお墓参りに行かないといけないんだ。ごめんね。夕方には帰ってくるから」そう説明された。
「いいよ、いいよ。急に体調崩しちゃってごめん。構わずに行ってきて」
「いやいや、謝ることはないよ。それは、仕方がないことだから」
 そして、彼氏達は出ていき、再びSさんは眠りに落ちた。


 今度は妙な寒さを感じて、目を覚ました。すると、すっかり部屋は暗くなっていて、どうも夜になっているらしい。電気を点けて時計を見ると、午後八時。家の中からは物音ひとつしない。
 部屋を出て、家中くまなく確認するも自分以外に人はおらず、彼氏達が帰ってきた形跡がない。念のために、ガレージの方にも行くが、車は停まっていなかった。
 連絡しようと、携帯電話を取り出したものの電源が入らない。この家に来てから、何もかも間が悪い。
 その時、昨夜彼氏が使っていた廊下の固定電話を思い出した。一階の廊下に出て、使おうとしたところ、電話線が繋がっていない。
 刹那、二つの可能性が考えられた。
 一つは、自分に外部へ連絡を入れさせない為に今日電話線を抜いた可能性。
 もう一つは、そもそも昨夜から電話線が繋がっていなかった可能性。
 いずれにせよ、おかしい。
 どうすれば良いかわからずに立ち尽くしていると、急に人の気配を感じた。物音や声がしたというわけではない。ただ、居間の方に確実に誰か居る気がする。とにかく居間へ向かうことにした。
 廊下から暗い居間を覗く。昨日、皆で和やかな時間を過ごした部屋。テレビがあって、それに向かい合う形でソファが置かれている。そのソファに、誰かが座っている。こちらからはその後頭部しか見えないが、確かに誰かが座っている。まるでテレビを観ているかのようだが、テレビの画面は真っ黒だ。
『誰だ、この人!』
 一目見て彼氏の家族の誰でもないことがわかった。昨日、見ているからわかる。並の背丈の大人ならば、背もたれから頭ひとつ丸々見えるほど出る。ソファに座っているその人の頭は、背もたれから少ししか出ておらず、頭頂部だけ見えているのだ。この家にそれほど小柄な人は居なかった、はずだ。
 何か声を掛けようとする前に、その人は自らの右隣、二人掛けのソファの空いている所をパン、パンと手で叩いた。そのジェスチャーが意味するのは『ここにお座りなさい』だ。
 恐る恐る近付いていくと、強烈な臭気が濃くなっていった。臭いの源はこの人らしい。腥い。およそ人が出す臭いとは思えなかった。
 それでも、土地勘のない田舎に一人飛び出したところでどうしようもない。この人の話を聞いてみる他ないだろう。
 遂にその人の顔が見える近さまで来て、直感的に思った。
『顔を見てはいけない。見れば失礼にあたる』
 顔を見ないようにして隣に座った。
『顔を見てはいけない。顔を見てはいけない』
 座ってからはまっすぐと前を向いて、テレビの真っ黒な画面を見つめていた。周辺視野で捉えるその人は何も言わず、また動かずに座っている。
 テレビ画面を見つめる。見つめていて、気付いた。
 外からのぼんやりとした光の影響で、真っ黒な画面には部屋にあるさまざまな物の曖昧な像が映っていた。自分も映っている。しかし、自分の隣に人は……映っていない。確かに視界の隅でその人は、いる。画面に映っては、いない。
 我に返って、何故自分は『顔を見てはいけない』と思ったのか、急に怖くなった。
 何を言うでもなく、何をするでもなく自分の隣に座っているモノ。この状況から脱する為に行動を起こす勇気はない。
『いつまでこうしていればいいんだろう。熱もあるのに。なんで誰も帰って来ないの?』
 焦り始めたその時。

 ドン!

 廊下の奥で音がした。

 ガタン!
「ヘェァ」

 その奇妙な声に血の気が引いていく。

 ドン!
 ズズズッ……。
 ゴン!
「ヘェァッ」

 廊下から居間に入る扉は開けたままだ。
 何かが壁にぶつかり、何かを壁に擦り付けている音、そして声が近付いてきている。

 ドン!
 バタン!
「ヘェァ」
 ズズズ……。
「ヘェァッ」

 開け放たれた扉の前に気配がする。

「ヘェアァ!」

 遮蔽物無しで直接声が聞こえた。
『入ってくる!』
 全身の毛が逆立つような気がした。
 が、予想に反して声は居間の前を過ぎ、やはり壁にぶつかりながら玄関の方へ向かっていった。

「ヘェァ」
 ドン!
 ドン!
 ズズズズッ、ズズッ……。
 「ヘェァ」
 ドタドタ!
 ガシャン!

 転んだような音がした。玄関の框で転んだのだろうか。

「ハッ、ヘェァァ」
 ガラガラガラ……。

 戸が開く音がして、出て行ったようだった。
『出て行っ、た? 良かっ……』
 思うも束の間、意識の外に出ていた隣のモノが小刻みに震えているのに気付いた。
『震えてる!』
 直視できないまま震えを感じていると。
「……クッ、フフフッ、プッ。クッ、クク、か、かわいそうですね! かわいそうですね!」
 笑いを堪えて堪え切れずに声を漏らし、男とも女とも分からない高い声でそのモノは話しかけてきた。


 気付くと、朝になっていた。
 Sさんはソファに横になっていて一人で座面を占めていた。
『あれ、居ない!』
 飛び起きると熱が下がり、怠さが失せていることに気付いた。
 今のうちに帰ろう、そう思った。
 見回し、耳を澄ましたが、いまだに彼氏の家族は誰一人帰ってきていないようだった。
『出て、最初に道で会った誰でもいい、その人にコンビニなり、タクシーが捕まる所なりを教えてもらおう』
 心に決めた。そして、自分の荷物を取りに行こうと廊下へ出て、何気なく玄関の方を見やった。すると、朝の光が差す玄関、その三和土の上に自分の荷物が散らばっていた。
 驚きつつ散らばっている荷物を確認すると、持参した物が全てあった。不思議なことに、洗濯してもらっていたはずの、初日の着替えも綺麗に乾いた状態で落ちていた。
 急いでかき集めて鞄に詰めると、伽藍堂の家に向かい「お邪魔しました!」と叫び、すぐに飛び出した。


 その後、電源が入らなかった携帯電話をショップに持って行くと店員が言う。
「お客様、こちら、水に浸けました? この壊れ方は水没の時のそれですよ」
「……私は浸けてませんけど、そうなんでしょうね」
 自分は何かに巻き込まれる寸前だったようだ。


 探りを入れたところ、今尚あの家にあの家族達は帰って来ていないらしい。





※こちらは私が採集した話ではなく、FEAR飯のかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』にて語られた「かわいそうな家」という話を再構成し、文章化したものになります。
※ 公式ルールに基づき、公式関係者以外の本リライトの使用(朗読のテクストなど)を禁じます。

「元祖!禍話 十三夜」
こちらが「かわいそうな家」が語られた放送回です。是非、かぁなっきさんによる語りも聞いてみてください。

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