好きはものはたくさんある

そう。好きなものはたくさんある。
なのに、たとえばこのnoteのプロフィール、書くことが見当たらない。
FacebookやTwitterのアイコンを決めるときも、頭の中は『???』でいっぱいに。
自分に聞くのに、答えが出てこない。
そんなはずないでしょ!
だって、アレもコレも・・・。
う~ん。それって、プロフィールに書くほど?
アイコンでコレがわたしです!ってアピールするもの?
驚き。驚きだ。
ボーッと生きてたつもりはないのに。
ボーッと生きてたのか!

数年前までは、コレってものがあったと思うのに。
やっぱり、きっかけは出産か。
それから、わたしは育児・・・では無く、こどもに夢中だった。
脳みその90%をこどもの為に稼働させていた。
残りの10%をフル稼働して仕事に当て、だんな様の割り当ては、そういえば無かった。
うん。そのため、だんな様は非常に育った。
あぁ、こんなこと書いてたら、いかにだんな様に1人で頑張ってもらってたか気づいてしまった。
反省だ。
やっぱり書くっていいな。
気づけないことにたどり着いてくれる。

話がそれてしまった。
とにかく、かわいいアホなむすこに手がかかり、そして、手がかかることを極力避けるために、先に手を回し、先に口でいい、むすこの自主性をことごとく奪ってしまった。
そのことに気付いてから、『見守る』をはじめる。
修行だ。ほんと、修行。
手を出し、口を出す方がずっと楽だ。
はじめは本当につらかった。イライラしてしまうのだ。
人の事なのに、自分がやることと思っていたのだろう。
だから、うまくやれない、集中してない、忘れる、が気になってしょうがない。
『嫌われる勇気』を読んだあとは、“それは息子の課題”と少しずつ離れることができた。
とはいえ、自分にそう言い聞かせて、気にならないようにと努力していた。
むすめが産まれた。
同じようにお世話好きを発揮してしまう私。
だが、むすめもそうだったのだ。
話せないうちから、手を出すと泣いて怒る。
靴下なんて履かせてあげようものなら、泣いて怒り履かせた靴下どころか、ズボンも服も全部脱いで、そこから1人で着るから再スタートする。
忙しい朝なんて『まじか・・・』と立ち尽くす。
そんなことが繰り返され、たとえまごまごしても本人にやらせるのがスムーズに進むと体が覚えて、『見守る』に徹するようになった。
わたしもむすめも、失敗したって、まごついたって、できるようになり、自分で出来るようになる喜びを知り、失敗したって乗り越えられることを知る。
そして、それを自分でやった!と自信が付く。
自立することが育児の目的となれば、まさにこれが育児だと思った。
後に先程の『嫌われる勇気』の次作となる『幸せになる勇気』を読んで、さらに実感する。
むすめは自分から手を出すことを断ってきたから、それが出来た。
タイプが変わると人それぞれって、ほんとに思う。
お世話したいわたしと、お世話されたがりのむすこは、ある意味相性が良すぎた。
『お世話されたがり』をさらに育ててしまったのだ。
そこからの脱却。
大好きだから、いつも見ていたくなるけど、ちょっと他のことに気がいくようになってきた。
これまでは、むすこや、むすめが好きなものに乗っかって、楽しむことを味わっていたんだと思う。時間はないから、好きな人たちと好きなことを共有できる楽しみも味わえて、一番効率的だったんだなと今になって思う。
一時期は仮面ライダーのことどんどん覚えてストーリーに盛り上がったし、仕事中にダンゴムシをwikiで調べたこともある。今となってはなぜ仕事中にまでダンゴムシが気になった?と笑えるけど。
ハマるの好きな私は、やっぱりハマる楽しみがやめられないんだな、と今気付く。

そして、思う。
じゃあ、わたしって、何が好きだっけ?
何が嬉しいって思うんだっけ?
そうだ!これ!書くこと!
書くこと好きだな。
うまくないから、人には見せれるレベルではないし、誰かに向かって書いてるのでは無い気がする。
わたしに向かって、わたしの中の整理として『書く』ってことをするのが好きなのかも知れない。
実際、今、楽しい。うん、楽しい!
そうとなると、文章を上手に書けるようになりたいとも思ってる気がしてきた。
そうか、そうだったのか。
こうやって、自分を掘り下げていこう。
ちょっと怖いけど。
ダメ人間な部分にも恐れずに書いていこう。
話がそれても、なんでどうしてその話をしたくなったのか、突き詰めていけば、何かにたどり着けるかも。
さぁ、出発だ。

今日の発見
『書く』が好き。

我が家についに来た『アナと雪の女王』ブーム。
真剣に観ている娘に甘えてこれを書く。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?