環境が全てではないだろうけど。

 こちらのツイートで紹介されている記事を読んで、思い出したことがある。

 大学卒業後就職したが、再度専門学校に行き直し、別の職業に就いた友人との会話だ。確か彼女が専門学校に通い始めてからそんなに経っていなかった時だと思う。

 彼女の、「何か違うんだよね」という感じの発言が起点だったと思う。

 私は「そりゃそうじゃないの? 年齢差もあるだろうし」と返した。その専門学校には高校卒業後通う子もいる。大卒+社会人経験ありの彼女とはそりゃあ話も合わないだろうと。

 すると、彼女は「そうじゃない」と言い、続けた。

「勉強という行為に対する興味……というか関心というか……そういうのが少ないというか、私とは違うなぁって。専門学校に通ってるんだから、その職に就きたいって気持ちはあるんだろうけど、何か『手に職持ってたら食いっぱぐれないから』って通ってるって感じ? 話してると違いを感じるのよ。話を聞いてると親御さんもそんな感じみたいで……」

 相槌を打ちながらも、私は(いや、そりゃ一度仕事やめてまで『やっぱり私はこの職業に就く!』ってなった君のモチベーションは強い方になるんじゃないかなぁ)とぼんやり思っていた。意識の差が違いの原因になっているのでは?と。

 ただ、「親御さんもそんな感じ」と、彼女が家庭状況にまで言及したのに、私は少し引っかかりを覚えた。彼女は続ける。

「この話をお母さんにしてみたらさ、『それが格差だ』って言われたんだよね」

「格差? 意識の差じゃなくて? 同じ学校に通ってるんだから格差も何も……」私は思わず口に出して彼女に聞き返す。彼女は頷いて、答える。

「そう、格差。私も一瞬どういうこと?ってなったんだけど……、その後話して、あぁそういうことか、ってなったんだよね」

  きっとその時の私は、相槌を打ちながらも「どういうことだってばよ」な顔をしていたのだと思う。少し考える素振りをして、彼女は話し始めた。

「私たちの高校って、何だかんだ言っても、進学校だったでしょう? 基本的にみんな大学進学を目指していたわけでじょう? だから、口ではめんどくさいなぁとか言いつつも、勉強することは当たり前で、少しでも良い大学に行こうとみんなが努力してた。勉強にある程度興味があったのよ。私たちだけじゃなくて、私たちの親も」

「親も?」

「親も。あの高校、私立にしては学費は良心的な方だったけど、それでも公立よりは学費が高いわけじゃない。それに、塾に行っている子もいた。それって、『進学や勉強、そういうジャンルにコストをかける価値があるって親が思っている』って言えない? でもそれは──当然のことじゃないんだなって」

 確かこの会話はこのあたりまで話して、何か一旦の終わりみたいになった気がする。おそらく、自分の性格的に「なるほどなぁ」ぐらいは言っていたとは思うけど。


 両親は大卒じゃないが、職場には大卒の方がゴロゴロいて、子供も大体大学に行っている。兄も大学に行った。「ある程度成績が良ければ、大学に行くのは当たり前」というのが何気なく共通の認識としてあった。

 でもそれは私の属するコミュニティにとっては多数派の考えでも、その考えが少数派になるコミュニティも、この世にはある。

 「環境が全て」とは言いたくないし、思っていない。

 きっと「マイナス」と評価されてしまう環境にありながらも、努力して夢を叶えた人を知っているし、一方で環境は整っていたはずなのに自らダメにした例もあるだろうし(ここ自戒ポイント)。

 ただ、大学に進学することや勉強をより深めることについて価値を見出されていないコミュニティにおいて、「大学に進学する」「〇〇の研究をしたい」と言うことを想像すると……やはり環境は大きいよね、と思うのだ。






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