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呪い

ずっと自分で何とかしなくては、人の手など借りたらそれは自分が乗り越えた事にはならないと思って生きてきた。
この考えは、自分の高校時代に刷り込まれた考え方なのだと私は知っている。

あの頃はとにかくしがみつくのに必死で、自分の考え方を全て否定されても、声を上げることも逃げることも許されず、否定されながらでも言われた通りの事をするしか出来なかった。その時の私はそうするしかなかったけれど、でも、そうしたかったわけではなかったので、あまりにも苦しかった記憶がある。どうせ否定されるのに、何か言われる度に自分の中に色々な気持ちが出てくるのが嫌で、もしかしたら今回は、と淡い希望をもって伝えた自分の気持ちは見事に毎回へし折られて。その繰り返しだった。

その頃何度も言われた言葉

「全部お前のせいだよ。」
「なんで自分で解決しようとしないの?」
「人に頼って解決しても何も意味が無い。」
「人に答えを聞く、それで良いと思ったの?」

口の開き方で、息の吸い方で、この言葉が来ると分かり、全身に力が入るくらい聞いてきたこの言葉。あの感覚は今でも忘れ無いし、夢でも何度も言われてきた。高校3年間で数えられないぐらい聞いてきたこの言葉達は、しっかりと私への呪いの言葉となり、生き方になってしまった。

この呪いによって、"困った時に人に助けを求める事は悪であり、所詮人が考えた事は自分には当てはまらない"とあまりに醜い考えを心の底から信じていた私は、人へのヘルプの出し方が分からなくなってしまった。全ての感情を飲み込んで自分にぶつけるしか出来なくなってしまった。自分の力だけでどうにか出来るわけが無い事も、それを知りながらも「何故どうにも出来ないの?」とずっと自分に聞き続けた。でも、そうやって聞き続けても解決はもちろんしないのだから、ボロボロになっていくだけで、自分にはそうするしか選択肢が無かったので、ギリギリまでそうして自分を追い詰めて、細く細く今にも切れそうになりながら命を繋いできた。

ある時本当にボロボロになって、死に限りなく近い所まできてしまって初めて、このままの考えで生きていくことはもう出来ないと思った。

そうは言ってもこの考えは仕方が無いと諦めている部分があった。だって23歳までこれで生きてきたのだから、ギリギリになりながらも23歳まで生きてこれたのだから。
でも、そんなことよりも、この考えを変えてしまったら、あの呪いの元生きてきてしまった8年程の自分を全否定する事になる気がして、それがたまらなく嫌で怖かった。自分が間違っていたとは絶対に思いたく無かった。

ここ最近になって、あまりにも素敵な人や出来事との巡り合わせがあって、やっとこの考えが解れてきた。残念ながら解れてきたというだけで、無くなってはいない。でも、0にしなくても良いとも思っている。

最終的に決めるのは、乗り越えるのは自分でも、それをする場所はここと決まっていないし、それは1人でしなくてもどうやら良いらしい。どうやら自分とは違う人間だということを分かりながらも、それでも一緒に立ち向かおうとしてくれる人がこの世界には居るようだ。なんということだろう。

これまで全てを自分にぶつけるしか無かった私へ
あの時の私は私で、合っていたよ。大丈夫。良く耐えてくれたよ。でも、これからはもう少し自分に優しく出来るよ。安心してね、と言ってあげたい。

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