出産記

出産の主役はお母さんじゃなくて赤ちゃんだと思っていた。出産とは赤ちゃんが自力で回旋して出てくるもので、お母さんはその間痛みに耐えて最後の一押しをする補助的な役割だと。医療の発達した現代だと出産でめったなことは起きないものだし。だから私のメインは出産ではなく産まれた後のお世話の役割だと思って、出産後に向けて色々準備していた。そんな私が実際体験して、出産はそんな甘いものではなく、医療が発達した現代でも何が起きるか分からない命がけのものなんだということをいやというほど思い知ることになった。

40w1d 最後の妊婦検診

一週間おきの妊婦検診もすでに4回目。予定日を超えたこの日、期待もむなしくあかちゃんはまだ全然降りてきていなくて産まれる兆候がないことを知らされた。37wの検診からずっと同じことを聞かされてもう4回目だった。その間毎日1時間以上のウォーキング、陣痛促進ヨガ、スクワットを続けてきたけれど、なんの変化もなかった。
当初は赤ちゃんの発育がよかったことから、38wあたりで産むことになるのかなぁとぼんやり思っていたし、無痛計画分娩を希望していたことから、出産日は臨月に入ったあたりで産院と相談して決められるものだと思っていた。けれど、計画分娩の進め方は産院によって異なっているみたいで、私の産院では子宮口が開いて赤ちゃんが降りてきてから2、3日後に出産日を定めるような形だった。37wの検診で「まだですね」と言われたとき、「この子は週数よりだいぶ大きめで、私はかなりの瘦せ型の体型なので、早く産まないと骨盤が通らなくなってしまいませんか」と言ったら、「痩せ型でもあなたは背が高いので骨盤はそんなに狭くないので大丈夫でしょう。羊水もまだ十分あるし様子をみましょう」と言われた。私は後からこのやり取りを走馬灯のように思い出すことになるのだった。
40wの検診も「まだです」で終わりそうになった時、私は「赤ちゃんも大きいし心配です」と食い下がった。今日時点で3427g。それでようやくその週の週末(40w5d)に入院して誘発分娩を行うことになった。もしこの時私がおとなしく帰っていたらどうなっていただろう。たぶん何も起こらず翌週の検診を迎え、そこからようやく誘発分娩を計画することになっていただろう。その場合、事態はもっと深刻なことになっていたと思われる。最悪の場合、死も。

40w1d 検診後のお腹の痛み

検診から帰ったその日、夕食の後からだんだん胎動が激しくなってきた。最近では胎動が激しすぎて、胃を蹴られては吐きそうになり、あばら骨がおれそうに痛み、足のつけねが突然しびれて足が動かなくなるほどになっていたけれど、その日は尋常でなかった。23時を過ぎたあたりで、もう痛みがひどすぎて息もできないくらいになってきた。母が「こんなに痛いのは陣痛では」と言い出した。私は「これは胎動だから陣痛ではないんじゃない?」と思ったが、産院に連絡してみたら確認するからすぐ来てください、と言われた。夜中の25時に産院に到着し、内診してもらったらやっぱりただの胎動だった。今日の検診で内診した時に陣痛促進のために刺激をしてもらったことで、赤ちゃんが少し興奮したんじゃないかとのこと。だんたんおさまってきたけれど、その夜は眠れなかった。

40w5d 誘発分娩1日目(入院1日目)

朝8:30に産院へ。PCR検査をして陰性がでてから病院に入れると聞いていたけれどあっさり中に入れたなぁと思っていたら、中でPCR検査が始まった。検査結果が出るまでは部屋の中でぼーっとして、そこから陣痛室に移った。陣痛室にはベッドが二つ。もうひとつのベッドにはすでに先客がいた。その妊婦さんに対して病院スタッフが今は分娩室が空いてないからいったん帰ってもらえないかと言っていたが、彼女は上の子を今日はダンナにみてもらってるからリスケはきびしいと訴え、続行が決定し、陣痛促進剤を打ったらすぐにお産がはじまると思うけれど、部屋が空いていないからとりあえず待機で、ということになった。その言葉通り、分娩室が空いたタイミングで陣痛促進剤を打ったらすぐに彼女は分娩室に旅立っていった。
彼女の後にもう一人妊婦さんが隣にやってきて、同じように過ごしてまた旅立っていった。私は二人を見送りながら、他の人はあっという間なのに自分はまだなのかなぁと少し焦っていた。
私はこの日、10時から1時間おきに飲み薬を5回飲んだ。子宮口を柔らかくする薬ということで、飲んだらお腹が痛くなってきて6分半くらいの間隔で陣痛が来た。これは薬で起こしている陣痛で本当の陣痛ではないとのこと。本当の陣痛は起きることなく、夕方になって薬を飲むのをやめたら晩には痛みもおさまっていって、シャワーをあびることもできた。結局この日は子宮口は柔らかくなって2cm開いたけれど赤ちゃんは全然降りてくることなく終わった。

40w6d 誘発分娩2日目(入院2日目)

2日目は陣痛促進剤の点滴を実施。10時の診察時点で子宮口は3cm開いていたから、陣痛促進剤の点滴をして痛みが出たら、お昼ご飯後くらいに無痛の処置を開始し晩くらいには分娩室に移れるのではないか、という見込だった。私は自宅で待機している夫に夜出産になりそうだから昼の間に寝ておいてほしいと連絡した。いよいよかと私も期待した。点滴は一定時間経過するごとに量を増加していったけれど、点滴がMAXになっても昨日ほどのお腹の痛みはなく、赤ちゃんが降りてくることはなかった。夕食前にその日の点滴を終えるとすぐに陣痛もおさまり、それにつれて「本当に出産できるのかな」と疑問がうまれてきた。このままもう赤ちゃんは降りてこないんじゃないか。これだけ誘発しても全然降りてこないのに、ウォーキングとかヨガとかスクワットで降ろすなんて無理だったんだろうな。この一ヶ月やってたことはなんだったんだろうとうっすら思いながら眠りについた。

41w0d 誘発分娩3日目(入院3日目)

昨日の薬は効果がないんじゃないかと思っていたけれど、同じ薬を続行することになり、これは今日もダメだなと思った。昨日の夕方の回診に来てくれた看護師さんには別の点滴もあると言われて、そっちに期待していたから、ちょっと期待外れだった。いよいよの時に夫を呼ぶ、ということだったけれどこの分だといつになるのか分からない。先に夫に会っておきたいと思い、お産はまだだけれど夫を呼んでいいか相談して許可をもらった。昼過ぎに夫が到着したらなんだか安心した。
15時の回診で先生に内診で刺激をされたら、一気に陣痛の間隔が2~3分になって痛みが激しくなった。腰が痛くてたまらなくて横を向いて夫に腰を強くさすってもらったら、ぐわーっと来てぱちんと音がした。破水だと分かったけれど、夫に伝えようにも声が出ない。「看護師さん呼ぼうか」との声かけにかろうじて「呼んで」と言うのがやっとだった。夫は泣いていた。産まれたら泣いちゃうかもって言ってたけど、まだ産まれてないけどなんでもう泣いてるんだろう。後から聞いた話、私がすごく痛そうでかわいそうで泣いてたらしい。
看護師さんが来て分娩室に移動した。子宮口は5cmほど開いていて、麻酔の準備をすると言われたが、準備が整うまでの間が長かった。実際にどのくらいの時間だったかは分からないけれど、痛みが強くて息ができなくて、看護師さんの「はいてー」に合わせて、息をはこうとしても全然はけなくて必死だった。早く麻酔を入れてほしい、とそればかり考えていた。
やっと麻酔がきいて痛みが軽くなってきたのが19時ころ。そして21時ころには子宮口は8cmほどに広がっていた。24時ころに低血圧で嘔吐。その後はだいぶ楽になりそのまま分娩室で夫と一夜を過ごし、私も麻酔のおかげで少し眠ることができた。麻酔の副作用とお風呂に入れていないこともあるのか、胸元や頭がかゆくてかきむしっていた。5時ころには子宮口は9cmに広がってほぼMAXだけれど、あいかわらず赤ちゃんは全然降りてきていない。先生から、これだけやって無理ならもう経膣分娩は難しい、帝王切開に切り替えようと言われ、11時半の手術が決まった。

41w1d 緊急帝王切開(入院4日目)

手術室に入った。手術服に着替えさせてもらい、帽子をかぶらせてもらった。胸の下あたりに衝立のようなものがあり、そこから先が私から見えないようになっていた。夫も私の頭の方にいてくれたが、私からは見えなかった。
手術が開始され、おそらく執刀されて赤ちゃんが出た瞬間、意識がふわっとなった。後から知った話だがこの時2リットル近く大量出血したらしい。「大丈夫ですかー」と先生から何度も呼びかけがあった。赤ちゃんの産声が遠くの方で聞こえたと同時に「血圧70に低下。脈拍上昇」という声が聞こえた。吐き気がして吐こうとしたけれど何も出なかった。昨日の昼から何も食べていない。看護師さんから「おめでとうございます」と言われて一瞬なんのことだか分からなかった。しんどくて死にそうでもおめでとうって言われるんだなと思った。看護師さんが赤ちゃんを連れてきてくれて、眼鏡をかけさせてもらったけれど、全然見えなかった。抱っこは無理ですよね、という話になった気がするけれど、このあたり意識が朦朧としていたからよく分からない。緊急輸血することになり、夫が同意書にサインをしてくれた。輸血がはじまって、どんどん意識がクリアになってきた。2本目に差し掛かった時に、看護師さんが目の周りが赤く腫れていると言われてすぐに先生を呼びに行かれた。気がつけば、何人もの看護師さんや先生に囲まれていた。輸血アレルギー症状だろう、すでに1本は入っているから後は鉄剤で大丈夫だろうということで鉄剤点滴に切替られた。点滴が進むにつれて徐々に気分が楽になってきた。意識がはっきりするにつれてお腹の痛みもはっきりしてきた。傷口ではなく後陣痛の痛みだろうとのことだった。夜に発熱した。後陣痛でお腹も痛くて、夜はうとうとするくらいで寝られなかった。出産後丸一日は15分間隔で血圧と脈拍が自動測定、酸素測定の機械がついて、看護師さん付添でずっと点滴されていた。赤ちゃんはどうなったんだろう。この部屋は新生児室が近く、泣き声が聞こえてくるけれど、うちの子もいるんだろうか。

4000g超のビッグベビー

あとから聞いた話、赤ちゃんは4036gのビッグベビーだったらしい。大きすぎて私の骨盤を通ることができなかったんだろう、とのこと。もともと痩せてはるし、妊娠中に増えた体重はほぼほぼ赤ちゃんの分やったんやろうね、と驚かれた。たしかに妊娠して10kg太ったけれど、お腹以外の見た目は全然ふっくらしていなくて妊娠前と変わってなかった。お腹だけ明らかに目立っていて、「私の時こんなにお腹膨らんでたやろか」と母も首をかしげていた。入院中色んなスタッフの方からこんな痩せ型のお母さんからこんな大きい子が産まれてくるなんてとかわるがわる驚かれた。かなり珍しいケースだとのこと。痩せてはるし骨盤も狭かったんやろうね、と言った先生は妊婦検診の時に私に痩せてても身長が高いから大丈夫、と言った先生だった。大丈夫じゃなかったじゃん、と思った。もっと早く誘発分娩をしていれば経膣分娩できたんじゃないか、あるいはどうせ経膣分娩できないなら4日も痛みに耐えないでさっさと切ってしまったらよかったんじゃないかとも思った。産まれたら抱っこして、カンガルーケアして、家族写真撮って、、と色々夢見ていたバースプランの通りにいかなかったお産が悲しかった。

41w2d 術後1日目(入院5日目)

通常の帝王切開だと術後翌日から歩く練習をするけれど、私は出血が多かったのでまだ無理だろうということで、とりあえず赤ちゃんを病室に連れてきてもらって初乳を飲ませることができた。赤ちゃんもよく吸いついてくれた。ミルクもよく飲んでいるみたいで、パパに似てよく食べる子になるのかなと思った。
授乳後いつの間に方針が変わったのか、やって来た看護師さんに歩く練習をさせられ、めちゃくちゃしんどかったけれど問題なしと言われて個室に移動させられた。導尿も取ろうと言われたけれど、自力でトイレに行ける気がしないのでそれだけは待ってほしいとお願いした。導尿を長くやると身体によくないと言われたけれど必死にお願いしてしぶしぶ了承してもらった。
15時から家族が順番に面会に来た。夫が面会している時に、看護師さんが元の部屋に戻ろうと言いに来られた。元の部屋だと看護師さんの部屋も近くて世話もしやすいし、まだ心配だからとのこと。その話を聞いて移ろうとしている時にナースコールで別の看護師さんから「移らなくていい」と言われた。
この一連のやり取りにはちょっとしたパニックになった。産後の不安定な時期だったこともあったからか、それぞれの看護師さんがちがうことを言って、方針がころころと変わるのが不安だった。家族との面会は15時から17時の2時間だけで、それ以外はずっと一人で、すごくひとりぼっちな気がした。

41w3d 術後2日目(入院6日目)

硬膜外麻酔が切れて、飲む痛み止め(ロキソニン)だけになって、お腹の痛みが増した。ビッグベビーで子宮がだいぶ大きくなっていたから、それが元に戻ろうとして通常より後陣痛がきついんだろうと言われた。お腹が痛くてほぼほぼベッドで寝ていたけれど、授乳の時だけ起き上がって赤ちゃんを抱いて左5分、右5分、ミルク30ml飲ませた。それだけでもお腹が痛くてたまらなくて終わった後ベッドに耐えるように横になっていた。こんな状態で、まだ全然歩けてもいないのに、退院後赤ちゃんのお世話どころか自分のこともできるんだろうか。私は大量出血で産後の経過もよくないから、入院は延びるものだと勝手に思っていた。でも退院前日診断で病気が発見されない限り、経過がどうので延びることはないらしい。帝王切開の場合の退院日はこの産院では術後5日目。Twitterを見ると退院日は病院差があるみたいで、他の病院はもっと入院期間長そうだった。看護師さんから、この病院で産後ケアをやっているから、それを利用する形で入院を延長できる、と教えてもらった。2泊3日46,000円。高い!でもうちの家族はみんな延長に賛成した。
退院後の話をして、退院後の生活のことを考えると一気に不安になって夜寝られなかった。お腹の痛みや思うように動かせない身体のこともそうだし、誘発失敗からなし崩し的に帝王切開になって、大量出血からの騒動も振り返ると怖くて仕方ない。ボロボロ泣いていても、この個室には私ひとりでなぐさめてくれる家族もいない。ああ、そうか。分かった。私が入院延長に消極的なのはお金の問題だけじゃなくて、ひとりが不安でたまらないからだ。

41w4d 術後3日目(入院7日目)

これまでは自室に赤ちゃんを連れてきてもらっていたけれど、はじめて歩いて下の階の授乳室まで行けた。陣痛室、分娩室、手術室、術後回復室がある階で、入院初日から6日目まで過ごした場所なのにもうすでになつかしい気がした。点滴の台を歩行器がわりに持ちながらゆっくり移動したが、その間もお腹が痛くて何度も途中に休憩した。ほかのお母さんが上の階から階段を走り降りてきて、そのまま授乳室に入っていった。同じように出産をしていても、スタスタ歩くどころか走ることまでできるなんて、私とえらいちがいやな。授乳室では他のお母さんも授乳していたし、助産師さんがいっぱいいてずっと横についてくれて指導してくれたから部屋でやるよりずっとためになった。
赤ちゃんは時々こっちをじっと見つめてきて、まだ目は見えないはずなのに見えている気がした。しかも時々新生児微笑じゃなくて本当にニコッと笑ってるように思える時がある。大きく生まれてきたから、1ヶ月発育が進んでるんだろうか?

41w5d 術後4日目(入院8日目)

朝起きた時点ではまだお腹が痛くてまともに動ける状態でなかった。お腹の痛みは日にちが経過しても全然おさまっていってなかった。ところが今日劇的な変化が訪れた。今日術後はじめて排便があった。その前に便通があったのは入院3日目だったから5日ぶりだった。お腹が痛くて腹圧がかけられなくて本当に少しずつだったから、1時間半くらいずっとトイレにいた。終わった後立ち上がるとこれまでの痛みがうそのようにおさまっていた。えっ、こんなことでこんなに変わるものなの?私はトイレから出た後は歩行器を使わず、スタスタと歩いてベッドに戻った。先生の話では、便がたまっていたことで腸のとぐろを巻いている部分が癒着して、その部分が帝王切開の傷口と重なって強い痛みになっていたのだろうとのこと。よかった!歩ける。これで大丈夫だ。出産後ずっともやもやしていた不安が一気に晴れた。よし、退院しよう。

41w6d 術後5日目(入院9日目)

朝から支度したり、授乳したり忙しい。夫が迎えに来た段階で私はまだパジャマだった。昨日の朝まで全然動けていなかったから、何もかもバタバタ。退院用に準備した服を着た娘はかわいい。赤ちゃんはまだ目が見えてないっていうけれど、ぱっちり目を開けた我が子はこっちをじーっと見ていて、ものすごく目が合っているような気がする。私は結局入院中一度も夜娘といっしょに過ごさなかった。前日の朝まで歩けなかったこともあるけれど、回復したその日の夜も新生児室に預けてひとりで寝た。退院後はたしかに助産師さんはいないし自分でこの子のお世話をしていかないといけない。けれど私はひとりで育児をするつもりはないし、夜のワンオペに慣れる必要はない。
病院の外に出た。何日ぶりの外の世界だろう。病院では動けなかったこともあって窓の外を見ることはほぼなかった。数日前と同じ景色のはずなのに、はじめて見た景色のように見えた。はじめての景色、はじめての我が子。これからはじめての育児がはじまる。

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