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第1章 その2 36歳で中小企業診断士になったものの・・・仕事を始める

学生からいきなり起業というのは難しいものです。
そのため、多くの場合、いったん就職ということになります。自分自身がそんなに立派な勤め人だったかというと、とてもそんなことはありません。確実にできが悪い部下だったのではないかと思います。ただ、会社の居心地が良ければ独立など考えなかったのも事実です。
人生100年時代を迎え、弱みを強みに変える人生設計が必要なはずです。

1. 普通の仕事を始める

当時私が働いていた日本電産ってどんな会社でしょう?

創業者である永守重信氏1代で、1兆円を超える企業に成長したモータ(というより、駆動装置)の会社です。仕事柄いろいろな企業を見た今だから言えますが、日本電産は相当厳しい企業です。ここでいう厳しさとは妥協を知らない売上の追及、利益を出しつづけることへの執念、なにより、それを創業からずっと続ける社内風土のことです。従業員として働いているうちはここら辺がよく理解できなかったのですが、起業すると理解できるようになりました。

ただ、同時に従業員として「経営者視点を持つ」というのはかなり難しいとも思うのです。なんとか持てそうな視点は、経営者の言っていることをサラリーマンの立場で相当程度理解できるであって、一から事業を始めた創業者の視点とは完全に異なります。

ということを偉そうに書きましたが、就職をして最初に求められるのは日常の仕事をテキパキこなすこと。これが難しいのです・・・最初に私が配属されたのは人事部の中途採用係。なんというか、求められることを黙々と続けることができないのですね。教えてもらっても間違ってしまうと言うか、ここら辺は最初に教育を頂いた先輩も、直属の課長さんも、大変困ってしまったと思います。

大学時代の労働法の知識は確かに役立つのですが、それ以上にルーチンの仕事ができないとそこまでのレベルの仕事にならないのですね。その後、経営企画部に行った後も上司と同僚の皆さまから仕事の進め方についてかなり教えて頂いたのですが(このときの経験は独立後も大いに生きています)、新卒で入ってきた社員さんのほうがうまくできたりして、なかなかキツかったです。

既卒者という立場ながら、新卒者のほうが若くて柔軟性もある。専門性といっても研究職の博士ならともかく、法科大学院卒業程度では実際に弁護士資格を持っている方を雇った方がよい。そこらへんの中途半端さを身にしみて感じたのでした。

結局、人事職として転職したもののこの傾向は変わらず、10年後に向けて生き方の方向性を夫婦で考え込んでしまったのでした。ただ、人事制度を作るようなお仕事の過程でアクセンチュアやIBMコンサルティングなど、様々なコンサルタントと一緒に仕事ができたのがとても良かったです。プロジェクトの進め方、数千万円の高い価格を納得させるアウトプット、特に人事制度策定にあたって作成しなければならない資料など、この時期に自分も手を動かしながら学びました。企業側で働いたことで、「え、コンサルタントって、ここまでしかやってくれないの??」という疑問も多かったです。困った経験があるので、自信がコンサルタントになったときは注意して仕事を進めるようにしています。

2.中小企業診断士という資格を知る

中小企業診断士という資格を法学部生に聞いたとしても、まず知らないと思います。私も知りませんでした。最初に知ったのは日本電産時代の人事部の課長さんから、「僕も中小企業診断士くらい持っているといいのだけどな・・・」という一言を聞いたときです。同僚から「僕の父が中小企業診断士ですよ!」という話しも飛び出して、どんな資格なんだろう?と思ったのがきっかけです。

書店で試験問題を眺めたところ、なんだか面白そう!と感じました。司法試験のときにはなかった感覚です。一言で言うと、中途半端な専門性をもった資格だな・・・という感じでしょうか。ちょうど自分のような。でも、考えてみれば普段の仕事で研究をするわけではありません。ある程度の専門性を元に、限られた情報で方向性を定めていく。試験が興味深いのだから、それを元にした仕事も面白いのではないか?と考えて、勉強を始めました。

ただ、中小企業診断士って普段の仕事と関係ないよね?会社を辞めるつもり?というコメントを社内で頂いたのも事実。中小企業診断士って、社内で仕事をする上では必要ないよね?という視点がつきものです。それを言ってしまったら、サラリーマンってほぼ仕事のために勉強する機会がないと思うのですよね・・・。

あと、開業している方がどんな仕事をしているのか見当もつかなかったので、同僚のお父様に会いに広島まで行きました。とても楽しそうなお仕事をされていて、こういう仕事で食べられたらいいだろうなー、と思ったのでした。

3.中小企業診断士に合格する

中小企業診断士試験はそれなりに難しいです。仕事をやりながらではほぼ無理な司法試験や公認会計士試験とは、もちろん難しさのレベルが違います。ただ、ストレート合格率が4%程度と、多くの方が何回も受験してようやく受かる試験であるのも確かです。短答式の1次試験を合格した後は記述式の2次試験に進みます。この2次試験が解答が公表されず、また難しい。

ちなみに、2次試験の代わりに、指定の学校を修了することで中小企業診断士のになれる養成課程に行くという方法もあります。ただ、お金がなかったのでこの方法は断念しました。大学院の奨学金を結婚式のご祝儀で返すような状態でしたので、あまり貯金もなかったのです・・・。

1次試験はサラリーマン時代に3年かけて通過することができました。ただ、これも夫婦でがんばったから取れたようなもので、1人だと途中で諦めていたと思います。
2次試験は1次試験の合格の年と翌年、2回まで受けることができます。2次試験最初の年は不合格。翌年の試験に落ちれば、また最初から1次試験をやり直すことになります。それはさすがに嫌だ・・・というわけで、仕事を辞めて、失業保険をもらいながら勉強に専念することにしました

もちろん、単にお金をもらうわけではありません。公共職業訓練という制度を使って、金属加工と溶接を学びながら、自分で中小企業診断士の勉強をするのです。滋賀県にあるテクノカレッジ米原という施設に毎日通っていました。

毎月16万円程度のお金が入ってきますので、贅沢をしなければ暮らせます。妻も働いてくれていましたので、私が家事をしつつ、二人でゆっくりと生活をしていました。トップ画像の鉄でできたマレーバクは、溶接ロボットの授業で実際に作ったものです。
仮に試験に落ちたとしても、職業訓練の成果もあり、製造業に就職するつもりでした。ちなみに、工業高校の生徒さんが受ける旋盤加工の技能検定3級という資格があり、こちらは滋賀県で2位を取れました。滋賀県は製造業が全国的にも多い土地柄で、このときの経験がコンサルティングでも多いに生きることとなったのでした。

そうこうしているうちに2次試験に合格し、その後の面接試験にも通ったのでした。試験会場には夫婦で行き、二人三脚で合格した感じです。

実務補習ではチームのリーダーをつとめました

4.独立を目指して仕事を始める

中小企業診断士試験に通った後、なんとか実務補習&実務従事要件というものをクリアして、晴れて中小企業診断士として登録ができました。ただ、どうやって暮らしていけるのか検討もつきません。
妻から、とりあえず滋賀県にも中小企業診断士協会というものがあるらしい。そこに行って話を聞いてくるのだ!というアドバイスを受けました。実際に訪問すると、会長自ら大変親切にしていただき、いくつかのお仕事を副担当として担当できることになりました。

そこでわかったのが、そもそも企業様と知り合う機会がなければ、資格も行かす場所がない、ということです。妻から、滋賀県・彦根商工会議所の公募がIndeedに載っている。応募期限まで数日だけれども、すぐに応募するんだ!というアドバイスをもらいました。年単位の更新ということでしたので、逆に独立を希望している中小企業診断士には好都合です。給料がかなり安いのが気になりましたが、まあ、逆に高給取りだと独立しようという気概がなくなりそうなので、よいでしょう。面接を経て、無事に契約社員として採用されました。

こういう流れで、いよいよ中小企業診断士の仕事を始めることになったのでした。そんな中、中小企業政策の矛盾もだんだんと分かるようになってきたのでした。

【夫婦が得た教訓】

会社勤めをしていたときの自分に足りないもの・・・目的に向けて謙虚かつ必死に学ぶ姿勢。そもそも、目的がなかったです。中小企業診断士になって行動していると、ここら辺がきっちり定まってきました。資格を取って、動いてから初めて見えることもあると思っています。
いったん、目的を定めた後は、そこに向けて戦略的に行動をすること。
逆に、サラリーマンとして毎日を淡々とこなす時期が数十年もある場合、ここら辺の調整に手間取ってしまうケースが多いようです。

次回に続きます!

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滋賀県のびわ湖のほとりでコンサルティングと伝統工芸のお仕事をしています。今後もnoteを通して皆様と交流できれば幸いです。

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