形なき「思い」の原型を崩さぬように 思索メモ #17
昨日、「声で書く」ことについて書きました。
後半は音声入力のやり方についての話になってしまいましたが、今日はその補足であり続きとして、「思いを言語化するためのひとつの選択肢として音声は有効かもしれない」という話です。
「思い」には形がない。
でもハッキリとした形を持っているとも言える。たしかに心にあるのです。
そんな心の中にある「思い」のままなら、自分自身にもある程度は輪郭が見えていたはずなのに、「言葉」にして外に出してしまった瞬間にその輪郭や色や弾力がわからなくなってしまうことがある。
あるいは反対に、言葉にした瞬間に「これだ!」と思えても、同時に何かが欠けたような気がすることもある。
人と人の言語コミュニケーションというのは、そんな、“明確で曖昧な「思い」を、人工的な「言葉」に嵌めて、そこに「意味合い」を乗せて交換するもの” だと、僕は思っています。
言葉は、「思い」を人に伝えたり残したりするための、星やハートのような “型” でもあり、ネジのような“部品” でもありスコップような“道具” でもある。
それを組み立てて、ひとつの思いを相手に送る。
そんな曖昧で必ずしも明確な形がないのが「思い」です。
それを、なるべくそのまま伝える手段が、すべての人に共通しているとは思いません。
鉛筆で紙に書くことなのか、PCにキーボードで打つことなのか、声で空気中に発することなのか、あるいは絵を描くことなのか、曲を奏でることなのか、身振りをすることなのか。それは人によって違うでしょう。
だけど、声に出したことが空気中に消えてしまうことなく、文字になったり、ボイスレコーダーに残したりできることで、特に「書く」ことにおいて、思いの原型をなるべく崩さないままに吐き出す1つの選択肢になる。
そうして、どうにかこうにか、思いの元の形をなるべく崩さず外に出してみる。
それが、より楽しめればいいなと思うのです。
ライター 金藤良秀(かねふじ よしひで)
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