#7 一歩、"外"へ
自分が興味あるテーマの1つに、日本人と天皇制のルーツ…とゆーのがある。
大学の時に文化人類学のゼミに所属していて、人間に関する事なら何でもいい…と教授に言われて、逆にテーマを絞り込むのに苦労したのだが、その時の卒論のテーマも天皇制で、それ以来、今も古代史関係の本を読み漁っては、その奥深い沼にハマッている…。(^_^;)
そもそも、何で日本人と天皇制のルーツ…などというテーマに興味を持ったのか?…と言うと、
「自分は日本人なんだ」
…と、強く自覚をさせられる経験をしたことがあるからだ。
ーそれは、海外での生活である。
わずか2年くらいで、しかも現地の日本人学校に通っていたのだが、多感な時期であった事から、今もその経験は強く自分の中に生きている事を感じる。
しかし、その当時は、何で日本のTV番組が見れないんだ…とか、日本製品のあれもない、これもない…とゆー不満ばっか言ってるだけの単なるガキで、自分は日本人だ…などと考えてたワケではない。
むしろ、日本に帰ってから、その事を自覚するようになった。
それは、一人暮らしをはじめて、はじめて親のありがたみを知る…みたいな感覚に似ている。
日本て、何て快適で便利な国なんだ。
蛇口をひねれば、水道の水が飲める。
24時間開いてるコンビニがそこら中にあり、治安もいい…。
ーしかし、そんな事は、日本にずーっと暮らしていると気付かない。
それが当たり前になってしまうからだ。
親に食事も洗濯も掃除も全部やってもらっていても、子どもにとってはそれが当たり前で、感謝も何も感じないのと同じである。
日頃、我々は、そーゆー"当たり前"…とゆー"枠組み"の中で生きている。
そんなの常識だ、当たり前だ…とゆー"思い込み"の中で生きてる事に気付かない。
ちなみに、"ありがとう"の反対は、"当たり前"…だそうだ…。(゜_゜;)
感謝の気持ちとは、当たり前のことは当たり前じゃない…と気付く事から起こる。(ーー)
今日、元気に生きていられるのは、当たり前の事ではない…。m(_ _)m
我々は"当たり前"とゆー思い込み、"枠組み"の中で、どれだけ多くの事を見逃しているのだろろか?
どれだけ、自分の見る"世界"を狭めているのだろうか…?
大人になり、多くの事を経験してくると、
「あー、あれね…」
…と、かつて自分の経験した何かに分類してしまうクセがつく。
子どもの頃のように、純粋に、新鮮にその事を経験する事がなくなってくる。
そーゆー大人は魅力がない。
心が老いているからだ…。(ーー;)
魅力的な人は、いつも純粋な、子どものような好奇心を持っている。
自分の狭い"枠組み"にしがみついてる人は、さぞ窮屈だろうに…。(ーー;)
…でも、その事にも気付いてないんだけど…。(^_^;)
一歩、"外"へ…。
常に自分の常識や、当たり前だと思っている"枠組み"から、軽く踏み出せる自分でいたい…。(*^^*)
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