三億円事件序

「三億円事件」なんて書くと以前あったあの事件か、と思う人が大半だと思うが、ここではそれを表してない。

「三億円も手に入ったら姉さん、事件です」ということを略して「三億円事件」と言っているのだ。

しかし、三億円も手に入ったらまあとんでもないし、夢物語だ。だが1000万円なら?100万円ならどうだ。決して莫大な額ではない。しかしそれをコツコツと積み上げていけば、それを300個積み上げていけば、道理の上ではいつかは三億円にも到達できるかもしれない。ここで書きたいのはそんな寝言話だ。

 正直言って世間に山ほどある儲け話には心底うんざりさせられている。やれなんとか学校を出たらすぐなになにになれるだとか、なになにになれば月収いくらいくらも夢ではないだとか、その学校に行くためにそもそも40万だとか使った挙句にはコロナで就職難、というのも珍しくはないだろう。要するにいかにうまい口車に乗せるかがあるし、それにうかうかと乗ってしまったらお金奪われて貴重な時間は失って何も得ることなくおしまい……今や巷にはそういうケースが珍しくなくなってしまった感がある。それに見合うだけのもの、というのがいかに稀有になったかだし、ないからこそなんとかして誤魔化さないと金が稼げない。そういう儲け方、片足詐欺師に突っ込んだような儲け話に一石を投じたいと思ってこの話を書いている。そういう儲け方をしている連中に一円分でも栄養分をくれてやる、なんてのはまっぴらごめんだ。

 ここであげるアイデアというのは、クッソ苦労もする、時間もものすごくかかる、手間暇もかかる、でも確実に儲ける側に人を導くようなアイデアだと思っている。それは規模によってはプラスにはならないかもしれないが、マイナスを打ち消す効果はあるかもしれない。あるいは膨れ上がって大いなるプラスをもたらすような話かもしれない。そういう話をしたい。

 例えば日本では減反政策を2018年まで長いことやっていた。それによって田畑は荒廃し、害獣だらけになり、誰も農業に見向きもしない状況が生まれてしまった。それによって失ったものというのはたんなる田畑だけを意味するものではない。自らの土地で米を作り、それを食べること。それに伴う文化や習慣。さらには具体的にこうやってこうやれば米が作れるという経験とそれに基づく概念の構築。さらには食料品の代金を直接そこで払わなくて済むということ。様々なものを失ってしまった。そして今や農業の仕方も忘れ、そういう人が多くなり、実際に米を作ることも困難な状況がもたらされてしまった。日本のコメ作りの仕組み事態の破壊である。そしてこの状況を喜ぶ連中もいる。仕組みが破壊されれば新しい流れができ、米の量が減ればパンだと、それによって儲けられる連中にとっては、まさに垂涎だと言える。半世紀もかけてコツコツとやってきた結果が、まさかこのような形で花開くことになろうとは。

 それを踏まえてここで言いたいのは、このアイデアはそれと真っ向から対立するものだということである。

 ここで「ああなんだ、この人米作ろうぜと言っているのか」と思われたとしたら、それはそれでいい。とはいえそれは50点でしかない。米作りはもう廃れたし、そもそも農機を買うのにも1000万円単位で金が要る。それを今からやるのはナンセンスだ。

 じゃあどうするか。ここで言いたいのは、これはその連中に対する対抗策としてのアイデアだということだ。そのアイデアを実践も交えて、この数年間どのように考え、どのようにしてきたかを具体的な形で販売したいと思う。10年後、オレが45になったらこれを無料公開しようと思う。そういうだけのものを書きたいと思った。

 いやまあ日本人はそう遠くない未来に滅ぶかウイグル自治区的になると個人的には思ってるけど、アイデアもない、実践もない、何も抵抗もできないではいくらなんでも可哀想だもんなあ。武器も防具もない日本人がなすすべもなく一方的にでは。そう思って、まあアイデアだけでも出しときたいし、それをまとめておきたいと思ったわけだ。







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