geb考察その3
ということでまた合間に。
・アリサとカノンはよく似ている。というかよく似ていた。
アリサは最初「フラフラしないでくださいよ!?」とか「グズグズしないでください!」とか言ってるわけだ。いかにも自分はしっかりしていて、主人公は頼りない行動をしていると言いたげ。お手並み拝見します、旧型は旧型なりの仕事をしてもらえたら、とかいちいちチクリとくるセリフを言う。
これって①傷つく前に先手を打つ②マウントできる相手にはできる限りマウントしといて事態を有利に運ぶ。つまり相対的にキャラを作ってしまう③できる限り他人には恩を着せ、自分は恩を着ない④いい結果は自分が奪い取り悪い結果は他人に押し付ける
的な態度があると思う。世の中に慣れたら、うまく世の中を乗り切ろうと思ったらこういう処世術ってけっこう誰もが身に付けるよなあと。
でもイベントでリンドウが「死んで」、その全責任が自分にあると認める。これを通してガラッと変わるけど、変わるということは変われる素質が元々あったわけで。この変化ってのはかなりリアルなものがあると思う。
・アリサとの特訓後にカノンとの特訓に行くわけだが、カノンは「がむしゃらに強い敵と戦っても変わらないものですね……」と言う。
アリサは変われたが、カノンは変われない。
これが何に基づくかと言ったら、アリサは自分の責任で人一人殺してしまったということ、そして次からはそうさせない、犠牲者を出さない、そうした思いが強くあることと無縁ではない。
そこでアリサは一度全否定した、そして新たに自分を作り直そうと思い直したわけだ。
だから特訓に行っても最初は何もしない。見てるだけで、怠けてんじゃないかと思えるほどである。ところが実際にはよく観察している。他人を認め、他人のいいところを取り込み、自分のものにしよう、自分のプラスになるようにと経験を咀嚼していくのだ。
その結果、新しい戦闘パターンが加わる。仲間を支援するという戦い方を編みだしモノにすることに成功する。これが戦力として非常に大きい影響を持つことになる。
・一方のカノンは特訓に行く……ということは危機意識はあるわけだ。誤爆が多いとか、本当に仲間の役に立っているのかという迷いはあるわけだ。実際けっこう味方なのに厄介な存在であったりする。
そして特訓に行くわけだが、今ひとつ何かを得たという実感なく特訓は終わる。
なぜなのか。恐らく根本的なところで自己否定がされなかったからではないか。
アリサは一人殺したという強い自責の念がある。
一方カノンの場合、誤爆してもそりゃ確かに邪魔だけど、でも誰かが死んだわけではない。結果的に皆無事で戦いも無事終わらせられてりゃなんてことはない。結果オーライではないか。むしろ自分も役に立出てる部分もあったかも知れないではないか。
そういう意味での自己否定がない。自分に矛先が向かわないのだ。
戦いが速く終わったら「今日の占いすっごく良かったんですよ?」と言う。あくまで実力ではなく、占いのおかげであり、運が良かったことが結果に繋がった、という話になるのだ。そうして矛先は自分に向かわない。自分な矛先が向いてない状態で闇雲に特訓してもいい結果は望めない。
アリサは自分のせいで、という自責の念を徹底的に自分に向けたおかげで新たな道が開けた。自分がダメだから新たにやり直したい思いが活路を開いた。
一方のカノンはベクトルが自分にかかってない。少しはかかっていたとしても、その力は弱い。決して強いものではない。
主人公はこうしてアリサとカノン、二人と別々に特訓するわけだが、その成果があったというのは偶然とかたまたまではなく、こうしたベクトルの向きからも汲み取れるのではないかと思われた。
まあそもそも特訓自体が話の中で2回しかない。と思えば、特訓したいです! と言えるだけカノンの向上心も評価されるべきものだと言えるのかも知れない。
ただ、そのモチベーションは恐らく人並みだった。一方のアリサのそのモチベーションとは比較にならなかったに違いない。
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