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清掃ロマン小説「汚れたウエスで涙を拭けるか」第二話

前回までのあらすじ
国分寺美装のアルバイト清掃員、七瀬照彦(33)埃にまみれて労働するだけの思考停止の日々。そんなある日、社員の小林の死を知る。

※この小説はフィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。

「汚れたウエスで涙を拭けるか」

第二話です。

「小林さん、死んだらしいよ」
先輩アルバイトの高畑さんの言葉にはあまりにも現実味がなく、瞬時には理解出来なかった。
それ以上何も言わずにハイエースにポリッシャーや送風機を積み込もうとする高畑さんの顔を僕はじっと見ていた。
何も言わない僕のリアクションを見て、嘘でもついてると思っていると思ったんだろう。
高畑さんはもう一度、さっきより少しはっきりとした発音で「小林さんが死んだ」と告げた。

今朝まで一緒に働いていた小林さんが死んだ?身近な人の死を経験したことがない僕はまだピンと来ていなかった。

「高所ガラス作業中に事故があったらしい。大島さんが現場検証でまだ警察につかまってるから、今日1人足りないよ」

高畑さんの言い方は何だろう。
今朝まで一緒に働いていた人が死んだというのに、縁もゆかりもない芸能人が死んだニュースを告げるみたいな温度だ。
冷たい言い方だが、後になってからならわかる。高畑さんも、こんな経験初めてでどう伝えていいかわからなかったんだろう。
本当は心臓がバクバクしているのに、それを僕に悟られたくないし、僕との距離感やコミュニケーションの取り方がわからないんだろう。
清掃会社とはそういう人達の集まりだ。

昔、よその清掃会社の方から言われたことがある。
「清掃業界ってのは、社会不適合者の受け皿なんだ」
酷い言い草だなと思ったが、理解も出来る。
清掃にも勿論技術が必要だが、元々清掃なんて誰でも家でもやっていることで、プロの仕事も単純にはそれの延長。基本的には誰でも教えてもらえれば出来る簡単な作業。
理想を言えばコミュニケーション能力も必要だし、清掃はチームプレイだから協調性も必要だ。
でも大半は求人を出しても、コミュニケーションなんてどうにもならない人達が応募してくる。
他の仕事を色々やった上で、職場で上手く行かなかった人、大なり小なり問題を起こしてきた人が選ぶ職業。
第一希望が清掃業なんて人はいなくて、人とコミュニケーションを取って楽しく仕事をしたい人はこの職業をまず選ばない。そんな業界なのは真実であり、変えていかなければならない清掃業界の闇の核の部分だと思う。

小林さんの話に戻るが、後に大島さんから聞いたところによると、ロープでのガラス作業中に落下したらしい。あんな腕のいいベテランが落下事故?小林さんは、屋上の釣り元にロープをしっかりと結んで、そのロープを身体に結び、屋上から飛び降りて壁を蹴って1階へ向けて壁を降りていく。
何十年もやり続けてきた慣れた作業だ。
今日はその屋上の釣り元にロープを結ぶのを忘れたらしい。
はっきり言って考えられないミスだ。
どこにもロープを結んでいないのに、10階建ビルの屋上から飛び降りているのだ。
あまりのハードワークによる集中力の欠如としか考えられない。
50代後半のおじさんが40時間以上、働き続けているのだ。
会社よ、こんな予想も出来ないようなミスでいつか事故が起きることくらい予想出来たんじゃないのか。

調べたら、日本ではガラス作業中の落下事故で、年間数人は亡くなっているらしい。
そのほとんどが人為的なミス。
普通だったら起こりえないようなミスばかりらしい。
あまりに疲れ過ぎると、安全面にまで頭が働かなくなるのは僕にもわかる。

だいたい国分寺美装だけではないだろうが、小さな清掃会社では安全面に対しての管理が甘すぎる。
現場によっては特別に厳しいルールが課せられていたりもする。
それを守らないのだ。
例えば安全靴の着用義務。
朝礼で元請け会社の班長から、各自きちんと安全靴を履いているかのチェックが入る。
朝礼の時は全員履いているのだ。そしてチェックシートには丸をつけられる。朝礼が終わると当たり前のように全員普通の作業靴に履き替える。
安全靴では重過ぎて作業がしづらいからだ。
この朝礼に何の意味があるのか。
脚立作業でも禁止されている天板にも登るし、大型パチンコ店の天井を清掃する時など、天井が高すぎて12尺の脚立でもとても届かない為、並んでいるパチンコ台の上に登って、その不安定なパチンコ台の屋根に脚立を乗せて、その脚立に登って天井を拭き上げるのだ。
不安定な上にとんでもない高さ。
しかも脚立の天板の上に立って、それでも届かないから爪先立ちになって天井を拭いている。
中国雑技団だ。
これをヘルメットもハーネスもつけないで、特殊な訓練も受けていない生身のおじさん達が行っているのだ。

こんな反則を全員が当たり前のように行っているのが国分寺美装だ。この会社では息を吐くように嘘をつくようになる。
もっともっと小さい事例で言うと、清掃作業では報告書に作業写真を載せるルールがある現場が多い。
きちんと適正な道具を使って、定められた範囲を作業しているかどうかをお客様に報告するためだ。
国分寺美装では作業に入る前に、写真を撮る箇所に道具を持っていって、作業している風の写真を撮影する。
ルール通りに作業中に写真を撮るには人手が足らず、いちいち写真の為に作業がストップするのでとても面倒なのだ。
だからダミーで先に写真を何十枚も撮影してから、作業に入るのだ。
これだって充分反則行為だろう。
とにかくルールをいかにして守らず効率的に作業をするか、そればかりが優先される。適正人数ではなく、人件費を削減するため少人数で仕事をしないと会社が赤字になってしまうからだ。
ギリギリの人数で作業をしていかに利益を出せるか。皆がこればかりを考えている、考えなければならない根本的なシステムの欠落。
小林さんもこの渦に巻き込まれてしまった。

くそっ、悲し過ぎるじゃないか。
会社のため、家族のため、働いて働いて死んでどうする?小林さん。
この事故だって、他のガラス職人に欠員が出て、仕方なく小林さんが応援に行った現場だ。

「今から、お通夜とか行かなくていいんですかね?」
僕は高畑さんに聞いた。
「でも現場あるからな」
高畑さんもどう答えていいかわからないようだった。

結論を言うと、僕も高畑さんもお通夜どころか葬儀にも参列しなかった。
お通夜の時も現場があるし、翌日の葬儀の時も現場があったから。
社員の大島さんすら葬儀にも参列していない。
僕らは香典として1人3000円徴収されて、
国分寺美装からは社長と事務のおばさんの2人が代表で参列しただけらしい。
大島さんに少し文句を言ってしまった。
大島さんも困っていたようだけど、「でも現場があるから、誰か代わりに現場入ってくれるならいいけど、現場に穴を開けることになるからな」と言っていた。
そして「逆の立場でも小林さんも現場に行ってると思うな」と、悲しみが倍増するような事を言われた。
そして、確かにそうかもと思った。

その夜の現場で、僕はワックスを雑に塗った。
悔しくて悲しくて、会社への不満もあり、自分には何も出来ない。シュプレヒコールの代わりにワックスを雑に塗った。
歯を食いしばって力任せに雑に塗った。擦れや抜けがたくさんある酷い仕上がりになった。
仕上がりを見に来た高畑さんもこの夜は僕に何も言わなかった。

作業終了後にもワックスモップを洗わなかった。
ワックスモップはきちんとゆすいでから洗濯機に入れないと、洗濯の時、他のモップもワックスまみれになってしまうのだ。
ワックスモップをゆすいでしまうと、今の気持ちまで洗い流されてしまいそうな気がして、わざとワックスモップを洗わなかった。
使用済みモップを持ち帰って洗濯する高畑さんはこれも僕に何も言わなかった。

バッテリーを充電しなかった。作業が終わって会社に帰ったら必ず使用したバッテリーを充電器に挿して充電して帰らなければいけない。充電しておかないと、次に使用する人が充電切れで困ってしまうからだ。バッテリー充電はいつも僕の仕事だ。でも僕はこの日、バッテリーを充電せずに帰った。充電してリセットしてしまったら、小林さんのこともリセットされてしまうような気になったからだ。僕は怒りに任せてバッテリーを充電器の横に転がした。怠慢な僕の行為を目にしても高畑さんは何も言わずにそのバッテリーを充電器に挿してくれていた。それを見てようやく少し涙がこぼれた。

こんな大きな事故を起こしたのだから、会社が潰れてしまうかと思ったのだがそうはならなかった。ニュースにも出たが、報道されたのは一回だけ。ワイドショーでよく見る、会社に報道陣が集まるような事態にはならなかった。実は勝手に僕が小林さんは国分寺美装の正社員だと思っていただけで、小林さんは業務委託の個人事業者、いわゆる1人親方だったのだ。会社とは雇用関係はなく、業務委託をしていただけ。しかも事故の現場に関しては契約上の元請けは国分寺美装ではなく、別の元請け会社が存在するらしい。責任の所在などの法律の詳しいことがよくわからないが、労働基準署の調査は入ったものの国分寺美装の社長は刑事罰を受けなかった。仕事中の安全面に関しては口酸っぱく上から指導を受けるようになるが、それもしばらくすると通常運転に戻り、会社もそのまま何事もなかったかのように続いていた。心のどこかで「こんな会社潰れたらいい」と思っていたのだが、そうはならなかったことで、虚しさと食い扶持が無くならなかった安堵感が共生して、日々の労働にもさらに息苦しさを感じていたが、時間が解決するというのは本当で僕もまた会社と同じように通常運転に戻っていくのだった。

そして半年が経った。

通夜にも葬儀にも参列しなかった僕は、いまだ小林さんに線香を上げに行ってもいない。
僕はそんな人間だ。
小林さんのことを忘れてしまったわけではないし、時折思い出して考えてしまう。
なら線香くらい上げに行けよ。
あの涙は何だったんだ。
そのくらいの時間は作れた筈だ。
あんなに会社のことを悪く罵り、正義づらしてたくせに。
このことを考えていると、おい七瀬、お前も会社と一緒だよと頭を殴られたような衝撃を受ける。結局小林さんのことをなんとも思っていなかったんではないかと誰かに見透かされてるようで、心臓を掴まれたような心持ちになる。僕はそんなしょうもない人間だ。偽善者にもなれやしない、社会不適合者でありクズだ。身近な人を偲ぶことすら出来ない男だ。情けなくなる。

小林さんが死んだ後も、それでも現場は回っていく。1人足りなくなったらシフトがどうしようもなくなるなんて考えていたけど、結局何も変わらず回っていくのだ。
もし僕が死んだって同じだろう。
僕の葬儀には誰が来てくれるのだろうか。皆は3000円払ってくれるのだろうか。あまり考えると気が重くなるから、なるべく心を無にして考えないようにしている。

でもあれから、少し高畑さんとおしゃべりをするようになった。
ハイエースでも喫煙所でもほとんど言葉を交わすことがなかったけど、小林さんの一件からお互いに何か心境の変化があったのかもしれない。
勿論仕事終わりに飲みに行ったりするような近い関係性ではないけど、休憩中に高畑さんのプライベートなことをポツリポツリと聞かせてもらえるようになった。

高畑さんは38歳。ミュージシャンを目指して18歳の時に新潟から上京してきたらしい。
やはり、喫煙所で皆が話していた噂は本当だったのだ。
「どんな音楽やってたんすか?ロックすか?」とか聞いてみるが、「う〜ん、ジャンルにわけるのは難しいな」などと濁されるばかりで、バンドなのかシンガーソングライターなのかもよくわからない。
「ライブとかどこでやってたんすか?」と聞くと、「新宿とか渋谷とか」と地名だけで、具体的なライブハウスの名前などは何も教えてくれない。どんなミュージシャンだったのか、しばらく謎のままだったのだが、色々と質問してその答えを繋ぎ合わせているとようやく高畑さんの音楽活動の全貌が見えてきた。

率直に言うと、高畑さんはミュージシャンではない。ミュージシャンではなかったのだ。
ミュージシャンに憧れて東京に出て来たまでは正解だが、その後が興味深い。
高畑さんは楽器が出来ない。楽譜も読めない。
歌は上手いらしく、高校生の時は新潟の地区のカラオケ大会に出場して準優勝したことなどはあるそうだ。
とにかくこの20年、曲を作ったこともバンドを組んだことも人前で歌ったこともないという事実がわかった。
当初はゆずみたいにストリートミュージシャンとして、東京での音楽活動をスタートさせようと思って上京してきたらしい。
勉強のため、新宿や渋谷で歌っているストリートミュージシャンの路上ライブを何度か見に行ったことはあるそうだ。
しかし、自分1人で路上で歌うのは恥ずかしい。ハードルが高すぎる。
明日こそ、路上ライブを開催しようと自分を奮い立たせるが、結局この20年一度も路上ライブを開催したことはなかったらしい。
せめてカラオケに行って歌唱力を伸ばしたいと、近所のカラオケ屋さんで1人カラオケをやっていたらしいが、当時はまだ1人カラオケというのが当たり前ではなく、1人で入店しようとすると店員に怪訝な顔をされ、1人で歌っていると飲み物を持ってきた店員に笑われているような気がしてきたらしく、もう15年はカラオケにも行っていないらしい。ただのカラオケ好きなおじさん、いやカラオケすら行かない歌の好きなおじさん。
音楽活動歴は無だということがわかった。それなのに「いつかは音楽で飯が食えたらいいな」などと時折口にしたりする。音楽舐めるな。
やはり清掃員はクレイジーだ。

そんな高畑さんと僕は最近2人で、おしゃれなアパレルショップの清掃現場に入ることが多い。渋谷のアパレルショップの閉店後に店舗内の床の掃除機をかけたり、マネキンや什器を拭いたりする軽作業だ。
閉店後でお客さんはいないが、20代のきれいな女性店員さんがたくさんいて、僕らが清掃している横で品出しなどをしていたりする。
「お疲れ様です」くらいの会話しかすることはないが、若い女の子とおしゃべりすることなんて自分の生活において皆無なので、ただの業務上挨拶ラリーだけでもウキウキした気分になってしまう。
男子校が急に共学になったような気分で、この現場に入れる日が楽しみになった。
高畑さんも同様に、この現場に入る時は少し浮かれているように見える。休憩中もいつもより饒舌で、昔の彼女の話なんかもしてくれる。
高畑さんは年相応には見えるが、元々顔がイケメンなので若い頃はモテたらしい。清掃員には珍しく、彼女がいた時期もあったようだ。今は汚らしい作業服に身を包んでいるが、甲本ヒロトのようにロックンロール的に痩身で、ずんぐりむっくり清掃員の僕から見るとかっこよく見える。無精髭を剃って髪も散髪して、きちんとした身なりになったら若い彼女くらい出来てもおかしくなさそうだ。

「最近、金髪の子からよく話しかけられるんだよな」と唐突に高畑さんが言い出した。
金髪の子とは、僕らが清掃に入る日にはいつもレジ締めをやっている女性店員だ。
僕はお疲れ様です以外しゃべったことはないが、高畑さんとはしゃべっているのか、それは知らなかった。
羨ましいなと思った。
「何て話しかけられるんですか?」
と聞くと、「このレジ下って埃が溜まりやすいんですけど、どうしたらいい?とか俺に聞いてくるんだよな。参ったな」と言っている。

何が参ったのかわからないが、高畑さんは上機嫌だ。
「俺がレジ周りを拭いてる時もチラチラ見てくるんだよな。参ったよ」
よく参る人だ。

そして高畑さんは僕に「どう思う?」と聞いてきた。
驚いた。どうもこうも思わないし、もしかしてちょっと勘違いしてるのかなとも思ったが、そんなことは口に出せないので、「どうですかね〜」と答えにもならない答えをしてみた。
高畑さんはどう捉えたのかわからないが、「そうだよな〜そういうことになるよな。いや参ったな」と呟いた。
いや、マジで何に参っているんだ?

その時は、まさかあんな事になるとは思ってもいなかった。


              つづく

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