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小逃亡(雑記)

工芸の事を書こうと思っていたのだが意気込んで書く私の文章など本当に面白くもなんともないので違う話をかく。

去年から全国の美術館で
走泥社再考
前衛陶芸が生まれた時代

が巡回している。
京都を皮切りに岐阜から岡山
現在は東京
菊池寛実記念 智美術館。

走泥社については各方面の皆さんご存知だと思うので割愛。

美術館での展示というのはだいたいがつまらない。展示が凄すぎて自分がついていけていない場合もあるし説教くさくて嫌だなと思う時もある

美術館が展示を企画してどんな風に展示が立ち上がるのかは詳しくは知らない。滋賀県の陶芸の森の学芸員の方とはお仕事で関わる事もあるのでお話しすることはあるがいつも忙しそうにされているなぁという印象しか無い。

そして今回の走泥社の展示。
嫌な言い方をすれば学芸員の方がそろそろ走泥社やっとこうかみたいな感じで立ち上がったのかとそういう風にとれんことも無い。

でも今回違うかもと何かひっかかるものがある。

今本質的な過渡期にあると感じている。
世の中は常に移り変わっているように見えたりするのだが本質的な移り変わりは目に見える移り変わりの後にやってくる。
重力みたいな感じでそういう風に出来ているのだから仕方ない。

自分は走泥社の地続きの所に立っていると思う。
ザムザ氏から何十年もかけて色んな陶芸家が割と真面目に身体を合わせて来た。
そして本質的に陶芸家の身体がやっと変わってきた。
もうこれは進化ですといいたい。
そういう本質的な過渡期。

今回の走泥社の展示で(美術館の展示では珍しく)学芸員の方の一緒に時代を生きている息吹を感じたのだ。
ちょっとホンマにしっかりいけよ。ここだぞっていうエールみたいな雰囲気も感じた。もう出来るでしょっていう信頼も。

どこかに回収される事なく陶芸をしっかりやりたい!



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