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小逃亡(雑記六月)

立体を作っていると
置いた時に物が周りの空間や人にどの位まで影響するのかが気になったりする。
意識的に引きで見た時と寄りで見た時の感じ方も違うように作っている。
つまりは内側にも外側にも。
もっともっと欲張りにそんな所ではない所に向けても。
“立体”を邁進できたとしたら出来るものは自然にそういう物質に成るのだとも思いたい。
表面に見える形を作るのと同時に物凄い集中と速さで自然に内側の形も作りたい。
超立体に成りたい。
絶対的には内向的なのにわかりやすくは外向的。
私は人間の話をしているんだろうか?
在る程度生きてきた人に会うといつも思う。
この人一言では片付けられんから会った時がはじめて会った日にしようって。
今日はどんな人なんだろう。
人間はもう超立体では在るからずっとずっと見ていたい。
もしかして始めからそういう存在として在ったのかもしれない。
昔の人もそう思った時があったのかな。
話したいなって思う。。
複雑であればあるほどおもしれーと盛り上がる。
3次元なんて超えてもっと4次元5次元6次元位の複雑さには成っていて芸術こそがそれを体現出来ると信じている。
同時にもう芸術なんて言葉なんて知らんわって思ったりもする。


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