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合理的とズボラのちがい


「合理的」と「ズボラ」は同じ物事を表から見るか裏から見るかだけの差だと考えていて、あえて違いを探すとすれば“美意識”なのではないかと思うのです。そこに美意識があるのか、ないのか。ある方が「合理的」と言われ、ない方は「ズボラ」と言われる。


イメージで言うと「合理的」は、モノを丁寧に扱っている感じ、逆に「ズボラ」はモノを雑に扱っている感じ。たとえば、足でドアを閉めるという行為が「合理的」ではなく「ズボラ」と表現されるのは、美しくないから、見ていて不愉快だから、モノ(この場合はドア)を雑に扱っている感じがするから、といった理由が考えられます。仮にバレエの選手がカラダのバランスを取りながら流れるように足でドアを閉めるとそれは芸術になりますが、一般人が一般人の動きでそれをするのはただの「ズボラ」にしか見えない。そこには雑さしかないからです。雑な人を不愉快に感じるのは、たぶんそれを見ている人が「この人はきっと人間(ひいては自分)への扱いも雑なんだろう」という危機感を感じるからでしょう。


しかし、とここでまた思うのです。そこに美しさを感じたり、逆に雑だと感じたりするのは、古今東西の人類が普遍的に持つ感覚だろうかと。つまり、感じ方は人それぞれでしょ?ということ。ドアを足で閉める人を見てどう感じるのか、どう評するのかは個人によって、そしておそらく東西や時代によっても違うと思うのです。少なくとも本人がそれを「合理的」ととらえているなら、それはもう「合理的」でいいじゃないか。と以上、ズボラーの言い訳でした。


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