見出し画像

大事にしたい関係だからこそ「あえて言う」選択

大事にしたい関係だからこそ言わなきゃならないことがあります。もうほんと、これはかなり勇気がいる。



相手に言うまでもない。気のせいかもしれない。気のせいかも、じゃなく十中八九わたしの気のせい。わたしの気にしすぎ。わたしの器が小さいだけ。


だけど。

「わたしのことは、どうでもいいの?」わたしはその人に大事にされてないんじゃないかというさみしさがあふれる。


だけど。

わたしは大事にされていないんじゃないか、は自分から自分へ向けての言葉だというのもわかる。きっとこれは自分内で解消しなきゃならないことだから、相手には言わないでおこうか。


だけど。

どうしても、どうしても気になる。引っかかる。何度も思い返してしまう。何回も考えてしまう。そしてこれをそのままにしておいたら、もうその人とは本心からの笑顔で接することができなくなって、次第にわたしはその人から離れていってしまう。


だけど。

それを相手に言ったら「そんなこと気にするんだ」とバカにされるかもしれない。そんなことを言いたてる器の小さい自分は嫌われてしまうかもしれない。


だけど。

それを言わなきゃ自分がかわいそう。相手を信用してないことにもなる。


というはざまで、気持ちが行ったり来たり揺れ動きます。


言うまでは怖くて怖くて。やめようか、どうしようか、グルグルしました。先延ばしにすればするほど言いづらくなるのもわかっていたので、タイムリミットを感じて焦りも出てくる。


そしてようやっと、「じつはね…」とメッセージを送ると、ラッキーなことに相手もわかってくれて、いまは元の関係です。本当によかった。本当にうれしかった。


相手に何かを伝えるとき、その相手がそれをどう受け取るかは、もう自分ではどうすることもできない。結果がどうあろうと、「伝える」を完了したとことで、少なくとも自分の気持ちは昇華する。それで充分良しとしなければいけないんですよね。


黙っていれば自分も相手も傷つかなくて済む。でも伝えられなかった思いは必ず自分の中にわだかまりとして沈殿しつづけ、ついにはその重さゆえにその人との関係に耐えられなくなって、結局疎遠になってしまう。わたしが我慢すればいいのだ、わたしが気にしすぎなのだ、とそれを今まで延々と繰り返していくつもの関係を失いました。本当に大事にしたい関係ならば、リスクをとってでも伝えなきゃならないときもあることが、いまやっと見えてきた感じです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?