琉球での空白の数ヶ月について

皆様お待たせ致しました、noteに私木下こうゆうが帰って参りました。

誰にも期待されていない復活を認識しつつ、見えない誰かの架空の期待を栄養分にして数ヶ月ぶりの物書きを進めております。


さて、この琉球王国と呼ばれた南国沖縄に来て早半年、何も語る事が無かったからnoteを更新していなかった訳ではありません。
むしろその逆であまりにも濃密で充実した時期遅れの猶予期間を送っています。(僕と同世代の若人達は猶予期間等無く遮二無二働いているにも関わらず)
更新して無かったのは僕の中でのやるべき優先順位が低かっただけです。

猶予期間とは言っても僕は同世代の企業戦士と比べて劣った生活をしていた訳では無く、1分たりとも無為に過ごす事なくバイトをしている時間以外の全ての時間を勉強、議論、人生設計に費やしたという自負はあります。

この数ヶ月間バイトではありますが学童保育指導員として3つの学童保育所で働き、大好きな子供達と関わりながら生活費を稼がせてもらっています。
保育士、学童指導員だった知見を生かして新しい遊びの提供や子供達の挑戦意欲を掻き立てる様な関わり方をしてやる気を引き出せたり少なからず貢献出来ているかな?とは思っています。

コマやけん玉ひとつとっても子供達は大きく精神的な成長を遂げる事が出来ます。
コマやけん玉は初めてやった子からすればとても難易度の高い遊びに思えて心が折れてしまう子も多いです。

しかしコマやけん玉は最低限の練習量さえクリアして理論通りにやれば誰でも上達出来るものなんです(コマやけん玉に限らず大体の物事はそうなんですがね笑)

僕は子供達に「先生の話を聞いてやればすぐに必ず出来る様になるよ」と口を酸っぱく言ってきました。
その話を素直に聞ける子、聞けない子で上達のスピードが全然違うのは明らかでした。

全ては理論です。
あまり話を聞けない子も周りがどんどん上達していくのを意識して仕方なしに僕の話を聞くとたちまち上達する。
「木下先生の言う事を聞いたら出来た!」と言ってはしゃぎ回り、コマやけん玉を上達させる事により子供達に自信が生まれ、様々な物事に挑戦していける様になる姿を何度も見る事が出来ました。

適切に努力すれば大体の物事は解決出来る、その経験が後に社会の荒波を越えていく為の力、所謂「非認知的能力」として子供達に身に付いていくのだろうな、、と確信しました。

これからの人生僕が子供と関わる機会は必ずあります。
そして子供を持つ親と関わる機会も必ずあります。
子供には今のやり方を軸にしながら非認知的能力を向上させるやり方を模索していきながら関わり、親には非認知的能力の重要性を伝え、子供がこの能力を獲得する方法を啓蒙していきたいです。

より良い社会を作る為に。

※非認知的能力 数字にして表せる認知能力(IQ)ではなく、壁にぶつかった時に試行錯誤して乗り越えていける耐久力、思考力、対人能力等数値化出来ない力の事。
近年認知能力(IQ等数値化出来る力)よりも重要な力として注目されている。



仕事以外にもこの数ヶ月ツイキャスという配信アプリを使って毎日仕事終わりに様々な社会問題について議論してきました。
政治、死刑制度、戦争、差別、命の選別 人間の在り方etc

難解なテーマである事に加え、その人自身を形作っている価値観に繋がる事ばかりなので喧嘩になってしまう事も多々ありました。
議論に慣れていないと自分を否定されてる様な気がするのでしょう、ただ殆どの人があくまで自分の意見について批判されているだけであり自分自身を否定されている訳ではない事に気が付いてくれました。

熱い議論であればあるほど話がまとまった時の安心感、達成感を共有出来て仲間意識が強化されていきました。

僕の配信に来てくれる方達は見解の相違はあれど理想的な社会を目指していきたい、という高い志を皆持っています。
世の中無気力で社会問題に関心がない馬鹿ばかりだとイラついていた時期もありましたがそこまで世の中も捨てたものでは無いな、と思えた数ヶ月でした。

そしてこのツイキャスで僕の人生にとってとても大きな出会いがありました。

それはフィリピン人の15歳の女の子との出会いです。
ツイキャス上で何げなく絡んだこの子と大親友になるとは完全に想定外でした。

僅か4ヶ月前にツイキャスで初めて絡んでから一度も実際に会った事が無いのが現実ですがそんな事は関係ありません。
この4ヶ月様々な話をLINE越しでしました。

この子の悲惨な生い立ちから現在の置かれた状況、フィリピンという国の実情、お互いの世の中に対する見方、意見、視座、人との関わり方、哲学、人生観、これからのお互いの夢 悩み、苦しみetc. 数え切れないほどの会話を毎日の様にしてきました。

外国人である15歳の女の子と何故ここまで深まった話が出来るのか、また彼女からしてみれば26歳の成人男性と何故ここまで継続して話が出来るのか不思議で仕方がありませんでした。

ですが年齢という差で知識量の違いはあれど興味のある事、関心がある事や感性が似ている事が多くてとても他人だとは思えない様な共通点が多々ある事も大きかったり、
互いの苦しみを何故か年齢など関係無く赤裸々に語る事も出来て今では彼女無しの人生は考えられ無い様な関係性が出来上がっています。

周りの方々は僕と彼女の関係をどうしても心配してしまいがちでしたが親友になったからにはこの関係は意図的に壊す物ではありません。
(淫行問題等未成年を狙った犯罪が後を立たないからこそ心配してくれる方々は非常に良識があると思います)

親友になるのに年齢は必ずしも関係はないんですね。

彼女は僕と出会う前は自分の人生に希望が持てず、何の為に生きているのか分からない状態だったと言います。

ですが彼女は「こうゆうと出会って人生が変わった。様々な人と関わる事が出来て生きてて幸せだと思えてる」と言ってくれました。

「苦しんでいる人の為に生きる」という僕の人生の軸を肯定されると涙が出てくる様な思いです。
彼女とは激しい口論にも度々なりますが絶対に切り離されない縁を感じています(精神年齢が大体同じなんでしょうね笑)

これから未来永劫続く彼女との関係は楽しみで仕方ありません。

という訳でnoteをサボっていたこの数ヶ月は貴重な時間を積み重ねる事が出来た沖縄生活でした。


さて、そして今後の展望は、、、、。

僕は9月いっぱいで仕事を辞めて北海道に帰る事にしました。
といっても以前住んでいた札幌や旭川では無く、次の場所は道北エリアにある「美深町」です。

何故美深町か??

実は2年後の統一地方選挙(2023年4月)に出馬しようと思っています。

最終的には政治家になりたいという夢を持ちながら保育士を辞めて地に足をつけず様々な事に挑戦してきた1年ちょっとでしたが、ツイキャスで出会った同年代の同じ政治家を志す若者に触発されて、最短で一度選挙に出て政治家になってみようという気になれました。

政治家になるには選挙に受かる必要があり当選得票数の低い自治体、どうせならば生まれ育った北海道という地で挑戦してみよう、、という思いで北海道の自治体を調べていた所、ツイキャスで知り合った僕の配信の常連リスナーさんが美深町に定住している事を思い出して僕が選挙に出る際には協力してくれる、、という事だったので美深町に移住する事に決めました。

少し軽い様に思えるかもしれませんが地盤の無い僕が選挙に勝とうと思えば確実に票を入れてくれる方がいる場所で出馬する事はかなり重要だと思いました。
前回の統一地方選挙で美深町では得票数115票で当選した方がいました。

その内の何十票かは確実に入る、そこは物凄く大きなアドバンテージだと思います。

受かる為に美深町に移住するというと聞こえは悪いかもしれませんが政治家になるからには出馬する自治体に貢献する気持ちしかありません。

美深町から出馬する事を決めてから美深町について調べに調べまくってこの町の細かな部分まで知り尽くしている次第です。

美深町に移り住んでからは毎日足を使って自分の顔を売る事に集中しようと思っています。

全てはこの社会に大きく貢献する為に。

木下こうゆうの挑戦は続きます。

長文お読み頂きありがとうございました。


















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