自分が誰だったのかやっとわかった話

おはようございます。木乃セイです。

親しい仲間と話すとき、ぼくは自然と「俺」という一人称を使います。これは思い出せる限り小学校高学年ぐらいのころからずっとそうで、28歳になる今でもそう。話し方も乱暴で、言語学的には男性語に分類される言い回しを多用してます。

そんなぼくは、今ではFtXを名乗っているけれど、1年前くらいまでは自分のことを女だと思ってました。

正確に言うと、「なんかしっくり来ないんだけど、戸籍に女って書いてあるし、男になりたいわけじゃない。だから、まあ、たぶん女なんだろうな」と思っていた。

うちの親は(ぼくがうつ病になってしまうくらい)厳しかったけど、なぜか言葉遣いだけは直されませんでした。友だちも「コイツはそういうやつ」と認識してくれていたんでしょうか、ぼくをぼくとして受容して仲良くしてくれています。

環境にめちゃくちゃ恵まれてるんですよね。

何が言いたいかというと、ぼくが今まで知り合ってきたFtXの人たちは、多かれ少なかれ自分の性自認と周囲の扱いとのギャップに悩んでいる。能天気で環境に恵まれまくっていたぼくは、性自認について悩んだことがなかった。

なんか、セクシャルマイノリティの人たちは自分の環境に苦しんで、悩んでいるものだという思い込みがあったんだと思います。ぼくはあんまり悩んだことがないから、自分のことを「テンションが変なだけの女性の人」だと考えてました。だって戸籍に女って書いてあるから。

こうやって文字にすると普通すぎることなんだけど、悩んだことがあるかどうかは性自認とは関係ないです。めちゃくちゃ当然に、ぼくは女性じゃない。だって自分のことを女性だと思っていないから。

そうだ。「性自認」って、そういう意味の言葉だ。

自分が誰だったのかやっとわかった。

そういうことに1年くらい前に気づいて、それで一気に視野が広がりました。すごく楽になった。すごく楽になったということは、気づいてなかっただけで、やっぱりいくらか息苦しかったんだと思います。

かわいい格好をするのが楽しくなりました。素材が女の子なだけあって、女装がものすごく似合う。ぼくは自分に似合う格好をするのが好きなので、女装を楽しむためだけにウィッグをふたつも買ってしまいました。

そう。「女の子の格好」が、「女装」になって、自分の性別とは切り離されたんです。今までは「女の子の格好」をしたら女の子だと思われるんじゃないか、って思っていたけど、「女装」なら、「女の装い」だから、装うだけなら誰にでもできる。

もう少し背が高かったり、体型がふよふよしてなかったり、あとこんなに目がぱっちりしていなかったら、きっと男装も楽しかっただろうなあ、と思います。だけどぼくは標準体重上限ぎりぎりの148cm。「ボーイッシュ」じゃなく「男装」まで持っていくのは相当難しいと思って、チャレンジしていません。

そういうわけで今のぼくは「ぼく」です。男でも女でもない。

セクシャルマイノリティの用語的にはFtXにあたるけど、正直、これもあんまりしっくり来てません。たぶん性別、ジェンダーという概念に、ぼくは当てはまらないんじゃないかな。

そのことで悩んだことはたぶんないし、きっとこれからも悩まない。だけど悩んでるかどうかは関係ない。苦しいかどうかも関係ない。

ぼくがぼくをどう思っているか、が、いちばんに優先されるべきだと気づいた、というお話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?