甘いことが優しさなのか

きのむーです。

2日ぶりになってしまいました。すぐに決めごとを破ってしまいました。。



この2日間は何をしていたかというと、いつものように研修をうけていました。それと1つやらなければいけないものが回ってきました。

それは、3分間スピーチです。

自分の見たニュースの内容と、そのニュースと自分を絡めたことを3分間にまとめて発表をするというものです。


何だ、そんなこと簡単じゃないかと思うかもしれません。私にとってはとても気持ちの重いものでした。私はあがり症で自分の意見をみんなの前で発表することがとても苦手です。注目されると頭の中が真っ白になり、自分が何を話しているのかわからなくなってしまいます。たとえそれが20秒とかだったとしてもです。


小学2年生くらいまでは参観日に親にいいところを見せようと手を挙げて積極的に発表していた覚えがあるのですが、、


話がそれましたが、名前と研修の意気込みを話すだけで頭が真っ白になる私が3分間も話すことができるのだろうかと不安で不安で仕方ありませんでした。


憂鬱になってしまった1番の理由は、他人からの評価があることだと思います。まだあんまり知られていない人だからこそ、その印象が染みつきそうだと考えて震えました。あとは質問にきちんと答えられなかったらどうしようとか、ニュースが他の人とかぶったらどうしようとか、、


私が選んだニュースは、政府によるコロナ対策の満足度が高いベトナムではどのような対策を行っているのかです。簡単にまとめると、これまでの感染症の経験から、いち早く空港を閉鎖、アプリで感染者の移動状況の把握をするなどの対策をして、死者0人、収束間近になりつつあるというような内容です。これをうけて、いち早く行動に移すこと、経験を積むことを意識して何事も取り組みたいと締めくくりました。


本番は在宅勤務なので、カメラを通しての発表でしたが、心臓はバクバクでした。原稿ガン読み、カミカミながらもなんとか終えることができました。


同期1人1人から評価コメントがメールで送られてくるのですが、これを開くのもドキドキでした。私が思っているよりもみんなは優しい評価をくれてました。


原稿読んでいるような話しぶりだったのに評価は満点。

もちろん、気をつかってくれていることもわかります。



でもこれって本当にいいの?これって優しさなのかな?

このままだったらこの人はその結果で満足してもっと良くなれないんじゃないのかとも思います。



逆にしっかり原稿読んでたよね、声に強弱なかった、この言い方は印象に残らないかもと指摘してくれた人っもいました。自分でわかってたこともありましたが、なるほど!と思うこともありました。また、指摘してくれた人たちは良いところもいいつつ、そのようなコメントもあったので、この人たちは怖いなんて一切思いませんでした。むしろ、よく見てくれている、指摘してくれてありがとうという気持ちです。


また、私は人に評価するときは否定の言葉を一切言わないようにしていました。自分はできていないからです。でも評価される側からすると、この人もできていないのに自分にこんなことを言ってきておかしいとも一切思いませんでした。


今まで評価や指摘におびえまくっていたけど、それは間違いだということに気付きました。指摘は頭ごなしに否定したりしなければ、全く怖いものではなく、自分をパワーアップさせるために必要なことだと思います。



これからは評価するということがあれば、ちょっと気持ちを一歩前に踏み出して、人に良くなかったことも伝えてみようかと思います。それも優しさ、その人自身を思ってのことだから、、






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