孤独をやり過ごすための駄文
両親と花見に行った。
場所は地元の大きい公園というかほぼ森。
母がカタクリの花も見たいということで、桜が咲いているお花見広場に行く前に、湿地園みたいなところを通り、池の方に出た。カタクリの花は残念ながらもう終わっていて、母と残念だったねーなんて言いながら、ぬかるんだ道を歩いた。
そこからお花見広場に行くためには、山を切り開いて作られた小さな階段を登る必要があった。コロナ前なら、母も父も余裕で登れるくらいの階段。
コロナ禍と父の癌がわかったのが確か同時期。
母の自己免疫疾患がわかったのもそれくらい。
それに加えて、コロナ禍で、めっきり外出が減った二人の体力がぐんと落ちていた。
私が先頭を歩き、二人は途中で休みながら登っていて、時々振り返っては二人がいるか確認する。結局、お花見広場には私が1番に到着して、ほぼ満開の桜を一人で見ながら二人を待っていた。昔は、両親の背中を追いかけていたはずなのに、いつの間にか追い越して両親の顔を待っている。なんだか寂しいなと思った。
数十分後、二人も到着。ようやく花見だというもころで、もう花見どころじゃない、帰りたいというので、さらっと桜を見て帰ってきた。
帰りにスーパーに寄ってもらい、夕飯の買い物をしたところで二人の体力は尽きた。父はスーパーの途中で気持ち悪いと言って車に戻った。母も、家に帰るとすぐに寝始めた。
あぁ色々と変わってしまったんだなと思う。三人での日々はもうそう長くはないのかもしれない。
いつも何となく、自分の周りには死というものが付き纏ってるけど、またそれが濃くなってきたような感じがして、いつもならやり過ごせることがやり過ごせなかった。しかも、さっき坂本龍一の最期の一日というドキュメンタリーなんか見てしまったから余計に死というものをリアルに感じてしまい、気が滅入ってしまった。この感覚を同年代と分かち合うことは難しいんだろうなと思うと、ものすごく孤独感を感じる。
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