司馬遼パイセン

学生時代、モンゴル語科の連中には司馬遼太郎ファンが多かった。

アジア言語は通常、偏差値の輪切りで入ってくる。
我がベトナム語学科なんか、新入生に志望動機のスピーチを求め、悶絶するのを上級生や教官が楽しむ、タチ悪い伝統もあった。
そんな塩梅だから、モンゴル語では「司馬遼太郎さんに憧れて」が幅を効かせていた。

モンゴル語の連中の司馬遼崇拝は、ちょっと鬱陶しくて。
慶応卒の「福沢諭吉先生」とか、萩市民の「吉田松陰先生」みたいな、そういうノリがあった。
いま書いてみて気付いたが、そうか、司馬遼さんも「幕末の偉人」にカウントされとったんやなwww

私が外大に在籍した3,4昔前は、モンゴル語の教官が農業や村おこしに凝って、外大では稀有な、語学を課さない語科だった。
教官に連れられ、兵庫で農作業に従事すれば進級できる。学祭でB棟前に八百屋を出すに至っては、誰呼ぶともなく「外大農学部」と、あだ名された。
地方進学高の出身者、幕末の偉人に憧れて、文末に「キニ」を付ける連中が、2流国大で野良仕事に励む。
平成初期のモンゴル語科も、非常に旧制学校臭い雰囲気を漂わせていましたな。


また、外大の司馬遼さんに対する扱いが酷くって。
売れてからも「あんな物は通俗小説だ」「我々は国立大だ」と教官たちが嫌悪感をあらわにして、司馬遼さんとは没交渉だったそうだ。

「我々は国立大だ」は事あるごとに外大の足を引っ張った現象で……

私が就活で、大阪読売にセミナー日程を聞いたら「外大ならポスター送ったはずだ、学校に行ってないのか?」と怒られた。寮務就職課に確認したら「我々は国立だから協定を遵守する、貼らない」と。
学生の多くは、阪大へ行って求人を確認していた。
で、私は、銀行強盗みたいに学生窓口のカウンター上に立って。
「寮務就職課長だせぇ! おまえら公務員やからサボるんが本分やろけど、学生の邪魔だけはすんなボケェ!」と軽く立ち回り、応接間に通されて管理職と談判。外大のマスコミ就職、90年代以降に増えたのは俺のお陰ですw

歪んだ「我々は国立大だ」。国立大の末席だからこそ、の劣等感の裏返しですな。
このために司馬遼さんと母校は疎遠だった。

例の如く「我々は国立だから」により、募集要項だけで外大にはパンフレットが無かったが、寮務就職課の山崎さんという職員の尽力で、ようやく「大学案内」という冊子が出来た。当時としては「大胆に洒落た」と自負されていた。
表紙をめくると、箕面学舎の航空写真の上に、司馬遼さんから一筆もらってある。

当時、母校の有名人といえば、司馬遼さんと……後は非常階段(ジャン!)。

司馬遼さんから一筆もらうのに、外大当局は箕面から東大阪へお百度参りをしたと聞いた。そら大変やで、バスで千中まで35分、北急~御堂筋線で難波も30分余り、それから近鉄、2時間コースだ。

OBを粗略に扱ってきたバチが当たった。

就活でいただいた産経新聞の会社案内も、外大のソレに酷似していた。開いてみて「あ、白髪のオッチャンまた載ってら、よう出てくんなぁ」。
「あのオッサンな、出世止まってもて、ふてくされて席で小説ばっかり書いとってん、ほんで辞めて偉なった」と語る年配者にも出会った。

気宇壮大な人物を描いていた司馬遼さんだが。せせこましい人々に冷遇され、名声の後に手のひら返しされて、どんな心境だったんだろう。考えると可笑しい。ひょっとすると、その反動で、ロマンチックな文学を作られたのかもしれない。

ともかく「菜の花忌」シンポジウムのたびに、私は記事に母校が載っているかを探していた。
いかにも、お情けで加えてもらったような、持ち株を手放した旧創業家がお義理で招かれた風情、そんな感じで、載るか載らないかの大阪外大だった。
それを見て「どのツラさげて出席しとんねんwww」と毎年笑っていた。
ほどなく、阪大に併合されて消滅した。
いまは阪大だし、故人の評価も固まった、以前より顕彰しやすい。
もっと臆面なく自分たちの先輩だと阪大が言うのでしょう。それもまたオモロイがな。

大阪って街がずるずると転落していった、みっともない時代に生きられて、格好いいヒーローを描かれたのでしょうか。

実は、司馬遼さんの本は、ほとんど読んだことがない。
モンゴル語の連中が、ことあるごとに「司馬遼太郎さんはぁ」とヤカマシイので、奴等がアレを唱え始めると「で、お前は司馬遼か?」と切り返すことにしていた。
なんでも「語学嫌いな外大生」だったそうで、サークルBOXに生息していた我々劣等生にとっては遠い先祖に該当するはずだが、もうすっかり権威になってられたので反感さえあった。「モンゴル語科の百……農民が崇拝する人」という認識だなw

新聞業に就職するにあたって、司馬遼さんを1冊も読んでないのは、さすがに不味いのではないかと思い立って本屋へ行った。外大に入って8年が経っていた。

本屋で見たら、司馬遼小説って長いのねw
何巻も続いていて、こりゃ出勤開始日までに間に合わん、何か短いの、ないかいな?と。
1冊、短そうなのがあって、これが良いだろうと買って帰った。
『歴史の交差路にて―日本・中国・朝鮮』
司馬遼太郎氏・陳舜臣氏・金達寿氏の鼎談。

読んでみたら、丸っきり、外大生が飲み会や夜勤バイトや徹マンで、うだうだ無限にダベッてるような話が書いてあった(そりゃそうだ)。なるほどこれは俺たちの先祖w
それから30年になるが、肝心の小説はまだ読んでいない。改行でむりくり行数を増やした記事みたいだとは知っている。これから読むのが楽しみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?