タコピーの原罪

 7SEEDS(セブンシーズ)というマンガをご存じだろうか。
 
 コールドスリープしていた少年少女が、はるか未来の世界で同時期に目ざめて、崩壊してしまった世界を生き抜く話だ。
 ボクは最後まで読めていない。

 世界中の人が絶滅してしまった孤独な世界で、日本人の同年代の少年少女たちが、現代日本を懐かしんで会話が盛り上がるシーンがある。
 危機的なシーンが続いていたため、読者はそんなアットホームな会話にほっと胸をなでおろすのだ。

 そんな中「ドラえもんを知らない同世代の子たち」が複数混ざっていることに気がつく。
 「日本語を話していて、同世代で、なんでドラえもんを知らないでいられる?」

 日本語を話しているのに、いきなり強烈な違和感が生まれる。
 異物があぶり出される瞬間である。
 とたんに冷や水を浴びせかけられたようになる演出には舌をまいた。

 そのドラえもんだ。

 タコピーの原罪はドラえもん世代に強烈なアンチテーゼをはなつ。
 <便利な道具で幸せになるというのは幻想だ>
 強烈な主張。
 素敵な道具で夢を見せてくれたドラえもん。それを見て育った多くの日本人が抱く「すてきなガジェットがぼくたちの生活を向上させてくれる」という共通夢。

 読んでいると、執拗なまでにその幻想に牙をむいているような気がしてならない。

 どんな機能を持った道具でも、使う者が問題の本質をとらえていなければ何も生まない。それはそうだ。
 どこでもドアでは親子の関係は改善されないし、愛されなければ人は愛せないし、そのくせ人が愛されているのをみれば妬みをとめられない。
 
 タコピーは、ドラえもん世代全員に冷や水を浴びせかける。便利な道具と、幸せになることはまったく無関係である、と。

 この作品は、愛情飢餓の子どもの主観から語られることによって、読者までもが認知のゆがみを経験する。個人的に「子どものころってそうだったな」と強烈に思いだした。

 大人にせめられているような気がする
 大人に突き放されているような気がする
 大人の関心がない気がする
 大人に過度に期待されているような気がする
 そのうち見放されるような気がする

 こういった感情を抱えたまま人間関係を築いても、決して幸せにならない。タコピーのハッピー道具は、ことごとく空転する。
 現代日本にはびこったドラえもん幻想をぶち壊さんとする、ひとかたならぬ気合を感じる。

 この作品のテーマが何なのか、まだ分からない。本当の意味で窮地におちいった子どもの、つぎの一歩を見せてくれるのではなかろうか、と期待しているのだ。
 救済なのか。
 生き直しなのか。

 どこに着地させるのだろう。それが気になるのだ。

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