母親のことが好きじゃない、なんで?

いつからだろう?親のことを『面倒くさい』と思うようになったのは。

うちは片親だ。生まれてから中3までは父親も一緒に暮らしていた。
母の父母(私から見て祖父母)と母の姉(伯母)と同居の6人家族だった。
父は、母の実家に来るまでは東京で大手製薬会社でなかなかやり手のMRをしていたようだったが、母の特殊な職業で開業したいとなった時に祖父から「こっち(母の田舎の地方都市)で会社 兼 家を建てて住もう」ということになって同居が始まった。父は祖父の強い勧めでMRを辞めて祖父が社長をやっていた会社に中途入社した。(※祖父が興した会社ではなく、ある大企業の地方支部の社長をしていた)

まあこの辺の流れはそんなに重要じゃないのでまた別で書く機会があれば。

で、件の母だが昔から人に厳しかった。父にも厳しかったが一人娘の私にも厳しかった。当時、愚図でのろま(と言われていた)だったので母の意に沿うことができず、学校の成績は悪くないほうだったが、片付けができない・親の言うことが聞けない・嘘をつく・怒られたときに愚図で何も返事ができないから腹が立つと時には体罰もされていた。
外に出されたり、玄関にずっと立たされたり、頭や顔を叩かれたり、ひどいとハンガーで背中をシバかれたり・・・今思うと結構アウトなレベルだった。

・・・ちなみに、「嘘をつく」とか「何も返事できない愚図」は弁解したいのだが、母は超理論武装派で小学生の私に対しても物凄い理屈で詰めて話してくる。一方的にわーっと話され、ちょっとでも反論すれば怒られ、何か言うことはあるか?と言われて発言した際に少しでもつじつまが合わなければ責められ・・・という経緯があって、それを逃れるために嘘をついてみたが、結局気のすむまで言葉で殴られるのでそのうち口を開くことをやめた。そういう経緯だった。これは母にはいっていないけれど。

(本題に戻って)怒られている最中に納得がいかないこともあったが、仕事をバリバリしていて金銭的にも家庭の実権の全てを握っていた母は、私が反抗的な態度を取っていると感じると「今後何のお金も出さないから好きに生きればいい」という金銭的な脅しをしてきた。私はそれを言われるとどうすることもできずただ謝った。すると母はいつも勝ち誇ったような顔をしていたのをよく覚えている。当時はインターネットもPCもそこまで発達・普及していなかった上に実家は田舎だったのでそう簡単にアルバイトもできず、もし放り出されたら生きていけない環境であった。

そんな母が怒り狂っているとき、ほかの家族はどうしているの?と思うだろう。

まず伯母は論外。大学生のころから統合失調症を患い、社会に出ずに暮らしているし幻聴やせん妄もあって人が起きている時間にはほとんど部屋から出てこなかった。母とは折り合いが悪かったのでまともに会話もしていなかった。

祖父と祖母はとてもやさしく、よく「この祖父母からこの母が生まれて、どう育ったらこんなきつい人になるんだろう?」と心底疑問に思っていたくらいだ。そんな祖父母なので、母が私に怒っているとき心は痛めていたようだが止めることも庇うこともできないようだった。

父は決して気の弱い人ではなかったが、その頃の母は男性ホルモンでも出ているのか??というくらい猛々しかったので、父は母が怒るのを止めるのを諦めているようだった。中学3年生の時に父は家を出て行ってしまうのだが、母の後日談では「あんたの教育方針であの人と揉めたのも大きな離婚理由だから」と言われたので、表立ってかばってくれることはなくても父は父なりに裏で母に意見してくれていたのかもしれない。真相はわからないし、母は「自分が嫌われて離婚になったわけではない」と思いたくて他責から出た言葉だったのかもしれない。

中3の時に父が出てゆき、すぐに離婚となってから母は変わった。精力的に仕事をすることは変わらなかったが、精神的に少しおかしい時期を経て今度は私にべったりになったのだ。

「勝手に実家が嫌になって出て行った身勝手な父」という私と母にとっての共通の敵が出来たと母が思ったことも大きかったのかもしれない。それか、中学に入るころから背が伸びた私が母の背を追い越して力も付き考えも急速に大人になっていったこともあるのかもしれない。(勝てないと思ったのかも)あるいは両方か?

今でこそ少なくなったが、離婚した当時は母は毎日・毎時間のように父の悪口を言っていた。内容も繰り返しのことが多かったから聞いているだけで自分の心が病みそうだったのを覚えている。父を嘲ったり「娘を大事に思うならこんなやり方しない(つまり父は私を大事に思っていない)」みたいな刷り込みも茶飯事だった。私はすでに出て行ってしまった父にはさほど興味がなかったのでそれを言われることそのものよりも「そう刷り込むことで自分の味方につけようとする」という母の行為にげんなりしたものだった。

とにかくそんな調子が続き、表面上は母との関係はうまくいっている?ように思っていた。しかしそれはまやかしだったことがこの先の人生で分かっていくのだった。

私は高校生になり、幼いころから自分も手伝いをしていた母の職業にあこがれを持ち大学受験を考える。しかしその職業は、大学の学部数が極端に少ない上に人気で倍率がとんでもないので入るのは至難の業。

何とかもらえた学校からの一般推薦も27倍の倍率の壁を越えられず落ちた上、学力が足りず一般受験も落ちて浪人生となってしまう。

浪人も1年目はよかったが、2年目3年目となるとまた関係がこじれだす。
1年目で大幅に伸びた成績は、大学合格には十分な水準に達していたはずで、予備校の講師や母親も全く心配をしていなかった、私を除いては。

私は極度の緊張しいで、受験の時は毎回激しい腹痛と戦っていた。
何も考えられないトイレ行きたい・・・!と我慢しながら戦って受験を乗り越えられるほどの学力までは到達できていなかったといえばそれまでだが。そんなこんなで世間でいう【多浪】になっていった。

他の難関学部に受かって、行くことを考えなかったわけでもないが、母の後継者になってくれるよね・・・という期待の目と自分自身の意地もあり、また、母の「もう一年チャレンジしよう」と私の「頑張らせてください」との交互のせめぎあいでの結果の多浪だった。

この選択が後々母親を「めんどくさいな~」と思う要因なのだが。

そんなこんなで結局、長かった浪人生活は失敗に終わり、国家資格を持つ母とは浪人の間、何か関係がこじれたときにはいつも呪文のように「あんたみたいに社会にも出ないで成人も越えた世間知らずの人間なんて、雇ってくれるところないし、まともな職業になんか就けないから」と言ってきた。高校は私立でアルバイト禁止だったし、浪人生時代も「バイトなんてやる暇あるなら勉強しろ」と言われてアルバイトすら経験したことがなかったので、こんなにまともに働いてお金をたくさん稼いでいる母が言うんだからきっと私はまともな職には就けないんだ・・・と暗示をかけられていた自分がいた。

※誤解のないように言うが、母には多大なる感謝もしている。
浪人中にアルバイトしなくていいと言ってくれたり、多浪で(予備校に通わなかった年もあるが)地元の予備校だけでなく東京や大阪の予備校に1年間ずつ通わせてくれたり、私立受験でかなり嵩む受験費用(&受験の間の連泊費)を出してくれていたのは、今自分が子供をもって同じことができるかと言われたらできない。それくらいすごいことだし、感謝している。

また、中高一貫の私立に通ったが、離婚してから高校入学後も何不自由ない学校生活を送らせてくれて、学校行事で3週間海外に住む授業も当然のように行かせてくれた(私立に来ている子でも金銭的な事情でこの授業を諦める子もいた)し、何だかんだと娘に目をかけてくれていたのは承知の上だ。

しかし、浪人生活から解き放たれてみると、意外にもあっさり未経験で医療職に就くことができ、転職して大手メーカーの法人営業担当になることも、その後に次々に転職することもできたのだった。

再び閑話休題・・・
そんなこんなで人生にある意味「傷」を負ってしまったのだが、社会人は難なくスタートすることができた。しかも浪人生をやめて解き放たれたら、すぐに彼氏ができてその彼氏と結婚することにまでなったのだ。
人生輝いて見えたな、あの時は。

その彼氏とは結婚したのちに3年半で離婚してしまったのだが、そのあたりから始まるのだ。「浪人させたことを後悔している、間違いだった」の言葉の呪い祭りが。

そう、母の何がめんどくさいかというと、何かと過去の失敗を持ち出してくるのだ。もちろん離婚したことも過去の失敗になってしまったので、当然呪いワードに入ってくる。

その後も私はいくつか転職を重ねるのだが、本人が前向きになろうとしても「多浪してるから」「結婚に失敗したし」「転職失敗しているのも人を見る目がないから」と毎回のように言ってくる。別に意地悪で言っていないのかもしれない、嬉々としていることなんて一回もなかった。でもいつも過去の失敗をここぞとばかりに言ってくる。

「今してる話と過去のその話って何も関係なくない?」なんてまともなことを言った日には怒り出す。火に油状態になってしまうので段々とめんどくさくなっていった。

思えば、こうしてめんどくさいと思うほうが勝っていって、いつの間にか子供の時のように恐れることはなくなっていった。
それはたぶん、肉体的にも成長して社会の中でも認められてお金を稼いで自活できるようになったからだと思う。さらに言えば自分にはもったいないようなかなり年下の新しい夫と結婚して順風満帆だったのもあったと思う。

しかし人生はそう上手くはいかなかった。

なんと先日、投資詐欺にあってしまったのだ。
前職を退職した後、個人事業主をしていたのだが、将来に不安を抱いていた時に突然LINEでよくわからない投資グループに入れられて、しばらく様子を見ていたがついに手を出してしまった。

自分のお金だけでやっていたのが、順調に利益が膨らんでいくのを見て、夫のお金も借り、さらに利益が出たので母に言ったらお金を貸すと言ってくれて。

でも結果としてそれは詐欺だった。税金を払わないと口座からおろせないといわれてしまい税金は700万超にもなっていておろせない。いや本来は税金を先払いする義務はないのだが、向こうは払わないとおろせないの一点張り。

元本の数百万を失ってしまい、警察に届け弁護士にも相談したが返ってくることはないと思ってくださいと言われた。

もちろんこの件は完全に私が招いたことであるので、夫はもちろん母にも事件発覚後にすぐに謝罪の電話を入れた(実家は新幹線の距離で遠方のため電話)

この件に関してお金をすぐに返せなくなったので怒られるのは当たり前だと思ったが、その時に衝撃的だったのが
詐欺にあった話と借りたお金の話をしているのに「浪人時代の失敗」と「結婚の失敗」「転職の失敗」を引き合いに出してきて延々と怒り始めたのだ。

これにはさすがに理解に苦しんだ。
いや、事情としては母は怒って当然だし、私は謝るしかないことはわかっている。でも今その話って関係ある?というか過去のことで今言われてもどうにもならないし・・・と目が点になって、久々にめんどくさいと感じたので記事として書きとどめておきたくなった。

母とは適度に距離を取って、新幹線の距離で私は関東に住み夫と家も購入したのでいい距離を保っていたのだが、お金を借りてさらに失敗してしまったのは私の大いなる悪手だった。

今月、祖父の法要で実家に帰らなくてはいけないのだが、今から気が重く何かで吐き出したと思いNoteが思い浮かんだので、自省も含めて書いたら長くなってしまった。

お金を返しきるまでは理に適っていない𠮟責も甘んじて受けることになると思うと今から頭が痛いのであった。



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