アウトプットだけじゃ枯れてしまう

#エッセイ

■絞り切ったスポンジはからから

このところずっと書いてたんですが。
思うところあって書いてる訳なので、どんどん書ける。
むしろ書く=吐き出すになってしまっていたのでそこは反省。
別に義務でも何でもないんだから好き勝手に書いていいのでは?
ってご意見もあると思うんですが。
それでもやっぱそのまま垂れ流すのはいかんな、と。
最低限誤字脱字に気を付けようとか、誤用がないように調べるとか、分かりやすい文章とか。
推敲は何度もするけれど、やっぱり情動が先走って読みにくいかも。
毎日ドラマとまでは言わないけれど何かしら起きるんですよね。
トラブルエンカウント率の高さったら!
経験値を上げるためにフィールド上を徘徊してるわけでもないのになぜか遭遇する。
で、そこから過去の記憶がよみがえったりすると『うわぁぁぁぁぁ』って
頭抱えて床に転がって吐き気で倒れそうになる。
気持ちを落ち着かせるために書く。
よって独りよがりな、突っ走った文章が出来上がる、と。

それならば。
情動によって書くんじゃなく、『書くぞ!』と確固たる意志を持って
書いてみようかと。
内容はまあ変わらないかもしれなけれども。
そしたらですね、まあ書けない。っていうか書くことない。
なんということでしょう!
わたしってこんなに引き出しなかったっけ?
あれだけ本も漫画も貪るように読み、映画演劇音楽とありとあらゆる
インプットをしてきたのに?なんでだ!?
で、思ったんですよね。
インプットしてきたって思ってるだけで、実はそうじゃないのかもって。
確かに読んだり観たりしているのは間違いない。
が、そこで終わってるのかも。
『あー、面白かった』『あー、泣けたわぁ』で、終わってしまって
『何故?』が無かったかのかもしれん。
何故泣いたのか、何故笑ったのか、何故感心したのか
何故怒ったのか、何故、何故、何故。
深く掘り下げなかったのは、意味があったのか。無かったのか。
情動と言いながら実は芯のところでは動いていないのでは?
上っ面で反応していただけなのでは?
うわぁ、怖い。

偉そうにインプットだアウトプットだってさぁ。
お前何様だよ、自分の気持ちを掘り下げることすらしてないじゃん。
覗くことが怖いのか、はたまたそこに何もないと分かってしまうのが
怖いのか。
多分ね、何もないことはないと思うんですよね。
でも自分が思ってるようなものはないと思う。
残念だけど、とっても残念だけど。
今ね、心のスポンジはからからなんです。
ちょっと膜が張ったみたいになって、入ろうとするものを弾いちゃう。
ゆるゆると時間を掛けて、シャワーのように浴びせていればいつか
膜は溶けてからからのスポンジに沁み込むでしょう。
だから読むことはやめないし、書くことも諦めない。


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