見出し画像

壊れるのはいつだって一瞬なんだ

ガラスのコップ。
安くてもそれなりに強固であるガラスのコップですが、ちょっと高いところから落してしまえばいとも簡単に砕け散り、瞬時に粉々に割れてしまいます。

信頼関係。
どんなに今まで真面目に生き、誠実に人に接してきたとしても、ひとたび罪を犯してしまえば今まで積み上げてきた信頼が崩れてしまうことだってあります。

そう、何かが壊れるのはどんな時だって一瞬なのです。


さて、ここで前回の記事投稿日を見てみましょう。
この記事を書いている現在、7/18の午前4時なんですが、

一週間も間隔空いとるがな。

文章が思うように書けず、気分転換のつもりでゲームに逃げていたらこのざまです。少し前までの(ほぼ)毎日書くという習慣はどこへいってしまったというのか。このように、一か月半も続いていた習慣でさえ、ひとたび流れが断ち切られてしまえばあっという間に崩壊してしまうのです。


と、ここまでが朝に書き上げた部分です。本来はこのまま自虐ネタで締め、軽い感じの記事にしようと思っておりました。しかし、大変不幸にもこの記事の題名にふさわしい事件が起きてしまい、それについて思うことがあるので少しだけ。

もうご存知の方も多いと思いますが、7/18のお昼前に京都で大規模な放火事件が起きてしまいました。

自分はアニメがとても大好きで、もはや生活の一部になっていると言っても過言ではありません。次週のアニメを視聴することが一週間のモチベーションになるほどです。
また、精神的に参ってしまい何をしても憂鬱さが拭えなかった時には、アニメはそれらを忘れさせ、心のぬくもりや勇気を与えてくれる存在でもありました。
そんな自分を形成している一つであるアニメの制作に関わっていらっしゃる方々には、感謝以外あり得ませんし一種の恩さえ感じています。

しかし、そんな人々の身に理不尽極まりない不幸が本日襲い掛かってしまいました。間接的にとはいえど、自分の人生を彩り豊かにしてくれた人々の生活が、たった一瞬で壊されてしまったのだという事実にやるせなさが後を絶ちません。

正直なところ、いままでこのような事故事件が起きたときに、皆がこぞって悲しみツイートしているのが気持ち悪いと感じていたので、自分はそういうことをしないようにと決めていました。なんだか「私はこんなに悲しんでいます」と自分の悲しみの大きさをひけらかしているような感じがするからです。

ただこういった考えを持っていても尚、自分にとって(一方的ではありますが)関係ある人々が実際に被害にあったのを目の前にすると、こうして文章に起こして思考の整理をすること以外に淀んだ気持ちを落ち着かせる方法を見出せませんでした。よって、このような形で現在の自分の気持ちを綴ることとさせて頂きます。本当に、ただただやるせなさが募るばかりです。

理不尽な理由であろうが何だろうが、何かが壊れるのはどんな時だって一瞬です。そういった理不尽な一瞬がもう二度と訪れないことをただ祈るばかりであります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?