出資を受けるということ。

 クラウドファウンディングという言葉が浸透して久しく、中小企業から個人まで、活動をするためにいろいろな使い方をされている。
 先日、その資金繰りの方法でネットで少し炎上していた案件があり、見ていて思うところがあったので少しばかり。

 その案件は、冒険家に憧れている大学生がアラスカを自転車で走りたいからお金や物資がほしいというもの。では出資者を募るにあたり、どのようなプレゼンテーションをしていたのだろうか。ツイッターもブログも、ほぼ個人的な情熱とアラスカの素晴らしさしか書かれていない。申し訳程度にビデオレターや出資者へのアルバムを作るなど書いてあるが、基本的には気持ちだけが先走っているように感じた。
 とらえ方は人それぞれだが、私には(出す余裕の有無はともかく)出資するに足る案件とは思えなかった。
 では出資するに足るものとはなんであろうか。個人からなら頑張れという言葉を添えてお金を出すだけの話がほとんどではあるが、この場合は企業からの出資も受け付けていたため、条件は厳しくなろう。企業にとって出資は、必ず見返りがなくてはならない。今回なら広告塔として仕事をするのかどうかというところになる。当人はブログやツイッターにて商品の紹介をすると言っているようだが、無名の大学生では広告塔としての力に欠ける。自分に出資してもらえるだけの価値を付けられるのか。また、それを出資者に認めさせることは出来るのか。出資者とどのようにタイアップしていくのか。そこまで含めて、自分の価値を高めなければいけないということになる。こうしてお金を得ようというのであれば、ひとりの大学生だけではなく、ビジネスマンにもならなければならない。スポンサーシップを受けるというのは、広告としての業務を請け負っているようなものなのだ。モータースポーツ漫画「カペタ」でもそのあたりの話は出てくるので、興味のある方は読んでいただきたい(ステマ)。

 さて、では個人からの出資についてはどうだろう。彼の情熱に心を動かされてお金を出す人は企業に比べると可能性はぐっと高くなると思う。しかし、彼は失策を犯していた。アラスカに冒険に出て、素晴らしい写真などをプレゼントすると言ったが、その素晴らしさを「検索してみてください」とも言ってしまったのだ。つまり、彼に代わりに見てきてもらうまでもなく、検索すれば良いという解答を自分で用意してしまったのだ。
 そうなると、出資者が求めるのはただひとつ。彼の冒険譚だ。どのような行程でどのような出来事に遭遇したのか。写真では見ることのない感動はあったのか。伝えられるのか。そこにかかってくる。

 炎上するというのは、それだけツッコミどころが多いということではある。全ての人に共感してもらうというのは不可能な話ではあるが、彼にはこの機会にプレゼンテーションを学んでほしいと切に願う。せっかくの若さを無駄にしないように。

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