パニック障害③克服

克服は明確、環境が変わった。

23~24才、人生で一番働いた。
その前に悪化はした
会社の近くに引っ越しをしてしまったこと。
人がどんどんやめて、1年目でチーフ代理になったこと(責任感)
まだ自分も若いのに、他の電車ある子を先に帰らして、自分は後始末をやっていた。
忙しくない日で26時(2時)に帰り、出社は10時
忙しい日は30時(6時)、出社は10時
日曜だけは休みにしていた(ほぼ睡眠)
給与は手取りで14~16万
一日一日が我武者羅だった

お昼はスーパーに買いにいき、その帰路で歩いて食べ そして終わっていた。
ある忙しい月は1月まるまる休みなく、自分の一日の持ち時間が3時ぐらいしかなかった。
最長のタイムカードは517時間/月 
考えられない時間だけど、この時は1日24時間×30日=720時間
え?200時間も自分の時間あったかな?時間まちがえたかも。。っと思っていた
チーフにそれちゃんととっておいて、なんかの時訴えるからと言われて残しておいたけど、いつの間にかなくなった

最後はシンプルに 夜中、自分が死ぬということがわかった。
死ぬ死ぬ、もう死ぬわ~とかでない。本当の死

身体が脳が、もう死というものを悟った。
書いてて涙が出てくる もう20年も前なのに

身体が震えだした、震えるというレベルでない、左右にぐらんぐらんと動く、自分の意思でなく 振れる 周りが異常だと気づく 
もう死を覚悟したので、最後に話そうと両親に電話しようとする。

携帯を出して電話をしよと思うが、指で釦を押せない(かけ方が解らなかったと思う)
後輩に親に電話してくれと携帯を渡す。みんな大慌て。
(この時その現場で一番の責任者24才の自分)

電話をしてもらってる途中、ふと あかん心配させる っと思って、携帯を止めようと 後輩から奪って止めようとする。

切を押せば切れるのに、止め方がわからないので、携帯を真っ二つに折った

このまま寝たら死ぬ、電車も動いていないけど、どうする。実家まで700km

カッターがあったので手首を切った、外側。痛みで意識を保とうという試みだった。
その後記憶はない

目覚めたら、隣に母が居た。
意識が戻ってから父から電話があった。
「(女性社長の) 首絞めにいったるから待っとけよ」
相当電話で詰めたと思う

克服までの環境変化が長くなった

つづく


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