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ライブレポート : Galileo Galilei「Bee and the wholes tour」

久々に書いてみます。
去年1年、本当にたくさんのライブに行ったんだけど、行きすぎてnoteに追いつかず、年末にインスタで総まとめしました…それをまた今度転載しておきます…

さてさて、それでもやっぱりnoteを書かねばと思えるようなライブがありました。
7年ぶりに活動再開したGalileo Galilei、Bee and the wholesツアーです。

ツアー初日が終わった後の尾崎兄のツイートを読んだ。

BBHFで音楽的に出来ないことがあってGG始動した訳じゃなくて
「この4人でやりてーな!」っていうシンプルな気持ちでスタートしてる
BBHFじゃんっていう感想は全然おかしくない
モヤモヤしちゃうんだったらしばらく離れたらいい!
GGはここにいるし
ずっと音楽作ってる 気が向いたらまた会いにきて

https://twitter.com/yuuki_ozaki/status/1664293992501227520?s=46&t=CDgYy5gyivbOHLm4j-TTcg

誰が言ってるのか知らんけど、「BBHFじゃん」は1秒足りとも思わなかった。
BBHFじゃなかったし、あの頃のGalileo Galileiでもなかった。新生Galileo Galileiでしかなかった。そのことが余りにも大きな意味を持っているようで、簡単な言葉では表現したくないけど、嬉しくて、切なくて、心の湖に温かいものが溜まっていくのを感じた。

GGとの出会いは7年前、高校3年生の11月でした(年齢バレ乙)
当時のバンドメンバーがGGを好きでCDをほとんど全部持っていたので、その時の気分で貸してもらいました。
その子の影響で、バンドでは「青い栞」と「管制塔」をコピーしてライブで演奏したりもしてたけど、本当にその2曲しか知らなくて。でも知らない曲の方が勉強が捗るので(一応受験生だったので)ウォークマンに入れて聴いてたら、いつのまにかその子よりも好きになっていました…そしたらその直後に彼らは“おもちゃの車を降りる”ことにして、最後の武道館ライブも(一応受験生だったので)行けなかった。

それからの7年間、私にとってGalile Galileiはずーーーっと「いちばんのバンド」でした。
私本当に自分でもうんざりするくらい何事も飽きっぽくて、それら漫画や歌なんかを掴んだり離したりして、そんな私が7年間も同じバンドをずっと好きだなんて信じられないけど本当に、特別なバンド。特別な音楽。
でもその特別な気持ちの真ん中には「もう二度と会うことはできない」という事実が横たわっていて、そのことがより一層この気持ちを特別にしていたんだろうなと。

そうは言っても、彼らがその後始めたBBHFのライブには何度も行っているし、そのライブや配信でGGの楽曲を演奏するのも聴いたことがあった。
だけど今回のライブは、正直そういうものとは別次元だった。

これはあくまでもこれまで彼らが話していたことを踏まえた私の解釈だけど、私がGGと出会う前、7年以上前、彼らは自分たちで楽しく音楽をしていたのが、少しずつ環境や状況の変化によって暗闇の方へと向かっていたんだと思う。大切な音楽が思い通りにならなかったり。それでおもちゃの車を降りて、押し入れの中にしまっておくことにした。

その後の7年間で、色んなことが変化した。
BBHFとしてダイキさんと音楽をするようになったし、コロナになって配信中心の時期も経験した。ざき兄はパパになって時間も経ったし、さこぴーがバンドを脱退した。
そんな色んなことの積み重ねの中でSuzume Studiosが立ち上がって、Ouchi daisuki clubレーベルからの音楽が届くことになった。彼らは押し入れからあの大切なおもちゃの車を取り出すことにした。

だから、当たり前に、あの頃のGalileo Galileiとは違う、今の、2023年のGalileo Galileiがそこにいた。
息子だった彼が父親となって歌う「老人と海」も、眠れないあの頃を懐かしく愛おしむ「バナナフィッシュと黒い虹」も、真っ暗闇の中に小さく灯りをともす「Sea and the darkness」も、全てが今のGalileo Galileiの音楽になっていた。
そしてその音楽を聴く自分自身も前に進んでいて、聴こえ方も全然違っていて、そのことに気付かせてくれる音楽に涙が溢れた。

私は最近、飽き性のハマり症なのでK-POPにめちゃくちゃハマっているのだが、アイドルの世界の音楽というのは本当に“計算高い”なぁと思う。
全てが計算されていて、賞賛も批判も、メロディも歌詞もコレオグラフも、そのリリースタイミングも活動内容も、何もかもが綿密仕組まれているのを強く感じる。

それがよいわるいという話ではなく、そういう音楽に触れてる時間が多い分、より一層計算とかそういう理論的なことでは説明出来ない、尾崎雄貴の人生や彼の判断、そしてそんな中で生まれる音楽が尊くて有機的で、美しいと思わされた。いや、実際は全てざき兄の計算の上で手のひらで転がされてるのかもしれないけども。でも本当の音楽はそういうものなんだって、そんな気持ちにさせられた。

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