20240319

たとえフィクションの中でも子供がひどい思いをするのが苦手で、
たぶんそれは、わたしがフィクションのキャラクターにも人生を見ようとしてしまうからだ。
人形を作るときに、とにかくそれが『存在する』ように、とそれだけを信じてつくっている。それは、生まれて、育って、生きて、老いて、死ぬということ。
それを他人の作品にも適用してしまう。
マンガのキャラクターも、イラストのキャラクターも、わたしには生きているように見える。
つまりわたしには、フィクションとノンフィクションの境がわからないということなんだと思う。
息苦しさを表すのに時々纏足を作ることがあるけれど、毎回吐き気をもよおしながらつくっている。
特にセックスワーカーを彷彿とさせる子供の表現や、片方が明らかに子供に見える年齢差のあるカップルで性行為を匂わせるものが苦手で、フィクションでも耐え難いなと感じる(だから、特定の作品が見られない事がある)
小さな子供にも、大人のそれとは違う意味での性欲(興味?)があるのも身をもってわかっているけれど、大人がそれを利用して(もしくは無理やり)性行為や暴力をするというのが耐え難い。

今日、たまたま目にした医療従事者の人の呟きを見てそれを確信したので書き置いてみる。
幾人かの作家と、梁石日の闇の子供たちを思い出した。
散文。

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