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真冬の奇祭(大阪マラソン2024の思い出)

ご無沙汰しております。金目鯛です。

著者近影(新種らしいです)

つい先日、年末だ~と思っていたはずですが、気づけば3月。多分次に気づいた時には夏が終わっていることでしょう。「オリンピック毎年やってない!?」とかツイートしてると思います。たぶん。

さて、今回は大阪マラソン2024の振り返りです。10月の金沢で大撃沈。持てる気力を使い果たして燃え尽きた金目鯛がシーズン最終戦にどう臨んだのか。皆さんの時間つぶしになれば幸いです。

大阪マラソンに至るまで

金沢マラソン(10月29日)~神戸マラソン(11月19日)まで

金沢で前半のハーフで調子に乗り、後半21キロを足を攣りながら完走した金目鯛は、心身に深刻なダメージを負い、金沢を後にしました。帰りのサンダーバードで、何をする気にもならず、ただぼんやりと「神戸どうしよか…」と考えていました。あと、コンフィデンスマンJPを見てました。

金沢から神戸までは中3週間しかなく、新たな準備が間に合いません。実力の上積みは期待できないということです。また、一般的にフルマラソン前の3週間は、身体の負荷を抜いていく「テーパリング」の時期に当たります。当日に充電100%でスタートラインに立つためのテクニックです。

立て直そうにも充電期間…ジレンマに陥った鯛は気付きました。自身がテーパリングが下手すぎて毎回当日コンディションが悪いことに。そのため、今回は神戸に向けた準備はせずに、前日までいつも通り過ごすことにしました。神戸はなんやかんやで3時間20分ぐらいでまとめることができました。ほぼイーブンで最後まで走れたのは初めての経験で、少し自信になりました。

奥の雑居ビル。雰囲気とテナントにめっちゃギャップある

12月~1月~2月

とにかく、毎日鯛も含めた家族の誰かの体調が悪く、全員元気で揃ったのはバレンタインの頃でした。全員インフルもあったし、なんなら鯛はよくわからない心電図もとったし、なんかよくわからない治療とかもした。とりあえずみんな元気になってよかった。
野戦病院状態で臨んだ1月末の大阪ハーフは5キロで限界を迎えたものの、大阪城公園でリタイアしてスパッツ姿で長居まで電車乗るのは辛い(荷物が長居に運ばれている)ので、泣く泣くペースを落として長居に帰りました。走ることに意味が見いだせない。というか、走ること以外に考えることが多すぎる!という感じだった気がします。(よく覚えてない)

こんな感じだったので、鯛の記憶はM-1敗者復活戦のスタミナパンのあたりで止まっています。気づいたらバレンタインでした。誰が優勝しましたか。トムブラウンですか。

大阪マラソン2024

1週間前

お待たせしました。やっと大阪マラソンにたどり着きました。
そんなこんなで、まったく良い準備はできませんでしたが、バレンタイン以降、大急ぎで身体を戻していきました。17日にぶっつけでソツケンの3.5(フルマラソンを3時間半で走れるか目安になる15㎞走)をやってみると、思ったよりスムーズに身体が動き、クリアできてしまいました。体重も増えているのに重さは感じない、不思議な感覚でした。ただ、15㎞だからできただけで、フルは怪しいのでは?と考えていました。

ソツケン3.5

そして天気予報…どうにも当日は雨予報…これが楽しみで楽しみで…フルマラソンを走ること自体、どこかヤケクソにならないとできない。と考えているので、大阪市内で2万円くらい払った3万人が真冬に雨の中フルマラソンを走る奇祭だと思うと、ワクワクが止まりませんでした。鯛にはその昔、コロナ禍の奇祭と呼ばれた#座席Tシャツバトルを扇動した過去があります。奇祭が好きです。

そのため、ほとんどの人が「晴れてほしい」「暖かくなってほしい」と願う中、鯛だけは「荒れろ…」「風も吹け…」「雪でもええぞ…」と祈っていました。ただ、前日の時点で3℃予想はびっくりした。限度があるやろと思った。

3℃て

準備

今回は、普段のノースリーブをやめて、半袖にアームスリーブとグローブにしました。本番が雨の日を想定して、冬の雨でもなるべく走っていたので、十分これでフルマラソンを走り切れる自信がありました。

補給は10㎞がアミノサウルスと塩ジェル、20㎞がモルテンのCAF100と塩ジェル、30㎞がマグオンとカフェインジェル、嗜好品としてメダリストを持っていました。あまりこだわりはないのですが、雨中の冬マラソン。前半でトラブルがあるとかなり大変なことになると分かっているので、前半の補給は慎重な組み合わせにしました。

塩ジェルは塩すぎるのが難点

当日

5:00

起床。外を見ると強めの雨。心躍る。起きて1分後にはほぼ着の身着のままランにでる。1キロ程家の周囲を走って身体を起こしつつ、気温の確認。死ぬほど寒いし、雨降ってるし、こんな中走るやつは頭おかしいと思った。ほんまに降ってどうすんねんと思ったが、奇祭開催に楽しみが止まらない。たまご蒸しパンを1つ食べたら入浴。15分ほどゆっくり過ごす。家からの参加はこの辺りが融通が利いて楽である
露出個所に入念にワセリンを塗り込む。擦れの予防ではなく、防寒用。

6:30

出発。駅で1本乗り過ごすが直後に来た電車で座れた。ありがたい。JR天王寺駅では長蛇の列、これは…と思って乗り込むとなぜか鯛の目の前だけ席が空いている。「(カエルでもいるのでは…)」と警戒したが、そんなこともなく、幸運だった。天王寺~大阪城公園を座って移動できたのは大きかった。

7:15

大阪城公園着。駅のホームで着替えてる人がいてビビる。本日1つ(2つ?)めのおっさんのケツを見た。多分なにかの法に触れてると思う。

7:45

準備が終わり荷物預けへ。鯛のブロックは大阪城ホールの隣の太陽の広場(運動場)の中に預けるが、水はけが長良川のスタジアムより悪いので、泥沼になっていた。みんなレース用のシューズを足首まで泥で汚しながら進んでいく。
0キロ地点から厳しすぎる洗礼。鯛は何度か太陽の広場にやられてきたので、殺害現場に入る警察が履くビニールのアレを持参。ノーダメージで通過することができた。

9:00

トイレを済ませ、各馬ゲートイン。雨対策ができていたので、靴も身体も濡れていない状態でスタートラインに立てた。この時点でかなり心理的な余裕はあった。雨が弱まってきたので、あわよくばシューズはドライなまま終われるのでは?と期待する

9:15 第1ウェーブスタート 0キロ地点

前の方で号砲が聞こえる、コブクロの「大阪SOUL」が流れてくる。先代のテーマソング「42.195㎞」は「なんで走るの好きなんですか?たまに聞かれて答えに困る。自分でもよう分からへんのよほんまに」という全ランナーの気持ちを代弁した歌詞が最高だったが、「夢の御堂筋逆走」や「地獄の砦南港大橋」のような固有名詞が多く、コース変更の際に代えられてしまった。

大阪SOULはその反省を踏まえて具体的な地名を使わず、抽象的な表現で作詞されている。「涙の中に光る笑顔の花を咲かそう」とか。

スタートゲートをくぐると、高いところにアンミカがいた。白いコートを着ていた。
(白は何色あるんやっけ…)」と悩んでいる間に鯛の6度目のフルマラソンがスタートした。

今回の目標

前述のとおり、決して良い準備をできていたとは言えないので、記録を狙いにいくことはせず、安全第一で目標を達成することを目指した

①初マラソンからの平均タイム3時間30分以下の継続
鯛のひそかな自慢だが、初マラソンサブ3.5以降、安定してマラソンを走れている。この状況の悪い中でそれを継続できれば自身になると思った。平均値では現在3時間28分ほどなので、それを目標にする

②リスクコントロールとチャレンジのバランス
鯛はマラソンはリスクコントロールの競技だと思っている節がある。起こるトラブルをどれだけ起こさず、「普段通り」を1秒でも長く続けるか。ただ、それは「チャレンジ」をせず無理をしないとも同義であり、このバランスの両立を目指した。とはいえ今回はリスクコントロール重視

1~5キロ

スタートからはかなりの人ごみ。試合終了直後のメインスタンド側の外に出る階段ぐらいヤバい。とにかく怪我しない、させないの気持ちで走る。
事故らなければええわとスタートして5:20/kmだった。思ったよりスムーズに出られたと感じる。2キロ地点で5分を切るペースになり、リズムが出てきた。3キロ手前ぐらいでねこじしさんを発見する。鯛はこういう時距離感を間違えがちなので後ろから背中を叩き、ハイテンションであいさつをし、握手を求め、ねこじしさんを困惑させた。

天六に向かう。実は鯛は2017年に膝の靭帯2本の再建手術をしており、その病院が天六の行岡病院であった。お医者さんに「交通事故みたいな怪我」と言われたあの日、どうやって家に帰ったか覚えていない。あれから7年。ここまで帰ってきたぞ!と少し胸が熱くなった 。

行岡名物!おかゆと牛乳とキウイの朝食…

中の島に向かうあたりで調子が良いと確信。息は乱れず、細かいペースの上げ下げもできる。これはもしかして「いける日」を引いたのでは?と感じる。ただ、好事魔多し。はしゃがない。淡々とリスクコントロール

5~10キロ

コブクロは「夢の御堂筋逆走」と歌ったが、現在は道なり。背中の大きなペースの合う人を見つけたので、後ろに付かせてもらって無心で難波へ。この時は「えっもう難波?」という感じで、解説者がよく言う「30㎞までは無心でよい」ができている感覚があった。

10キロ

右足の小指に違和感。レースシューズだと潰れるのはいつものことだが、10㎞は早すぎやろ。と憂鬱。ただ、起こったことは仕方がないので、痛みが新鮮さを失うまで接地場所を変えてごまかす。数キロ走ると痛いけど痛くなくなった。

15キロ

給水での転倒がそこかしこで起こる。鯛はこけなかったが後ろから倒れこまれる。奇祭が始まった。折り返しで3.5ペーサーとの位置を確認。2分ほどと推測。すれ違いでねこじしさんを発見。大声で声をかけて再び驚かせる

20キロ

新なにわ筋南下で右足に違和感。これはどちらかわからないが補給を早める。この辺りは去年の大阪マラソンで印象悪く、苦手なコースだったので、この一年、日常から走ることでマンネリ化させてきた。嫌やなぁとかの気持ちになることなく、マンネリ化した状態でやり過ごすことに成功。再び折り返し、ペーサーとの位置を確認、すれ違いでねこじしさんを発見、大声をかけるが向こうも少し慣れてきた様子(マンネリ化?)

再び千日前通。高速の下は屋根があって楽やなぁと嬉しくなる。そのまま松屋町筋。本日3度目の折り返しで最後の折り返し。ペーサーを確認し、ねこじしさんを発見大声をと思った瞬間…ねこじしさんが無言でこちらに親指を立ててくれた。こちらも無言で親指を立て返す。痺れた叫ばれるのが面倒だった可能性はある

谷9に上がる坂。身体はきつくなってきたが、落ちる気配がない。この辺りは少し落としてキロ5でまとめる。ハイハイタウンのあたりは慣れ親しんでいるので走っていても何も嫌な感じがしない。それでも少しずつペースは落ちてくる

33キロ

3.5のペーサーに捕まる。ネットタイムならかなり余裕はあるはずだが、ペーサーはグロスなので速い。ここは迷わず集団に入る。33キロ自分で走って一番つらいこの10キロに「集団の方から来てくれた」と思うと、とにかくありがたい。中に入ると温かく、風もなく、リズムも良い。ここから抜け出して前を走る勇気もなかったので、休ませてもらった

35キロ

右足の小指で動いた感じ。水ぶくれが破れたとすぐわかる。その瞬間はかなり痛かったが、破れたなら圧下がって数分後にはアドレナリンで分からなくなると割り切る

38キロ

ペーサーにお礼を言って集団を抜ける。大阪城が見えてくる。接地の感触が良い。ペースを上げる

ラスト195m

・去年よりもしっかりと周りが見える
しっかりリスクコントロールができた
5回分の経験で去年よりもアクシデントに図太くなれた
・準備不足の中で自身に向き合えた
・冬の奇祭、楽しかった
幸せ最高ありがとうマジで!

1%

振り返り

身体の準備はかなり不安だったが、始まってみると5キロで相当良いのが分かった。それだけに、大事に後半戦まで運んだ感じだった。15㎞まではあっという間、そのまま粘って35キロ、一番きついときにペーサーに入れたのは本当に良かった。スタートから集団走は耐えられないので、一番きついところだけ頼れたのは幸運。あとは、要所要所で現れるねこじしさんに救われた。
寒さ対策は大当たり。暑さは感じたが、寒いとは感じなかった

なかなかしっかりと取り組むことがでず、今回の大阪マラソンでひとまず「ラン」を区切りたいなと思っていましたが、まだもう少しだけできそうな気がするので、もう一年頑張ります。

24-25シーズンに向けて

○神戸・大阪と最後までトラブルのないレースが続いているのでマラソンがやっと楽しくなってきました。次回、どのような目標を置くのか悩ましいですが、記録を意識して取り組みたいです
トレイルやウルトラにもチャレンジしたい
○一人で取り組み練習に限界を感じています。人との交流の中で走るようにしていきたいです。一緒に走りませんか
○大した活動ができていないのに、スポンサー更新いただいた、阪田鮮魚店の名をもっと広められるように、頑張ります。新規スポンサーもお待ちしております。


それでは。また。

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