遊ぼう

たわいもない話

 スピーカーから少しだけ鋭利な音のチャイムが流れ、みんな一斉に椅子を後ろに下げる。私の高校は一学年八クラスまであり、だいたい千人くらいの人間が同じタイミングで立ち上がるので、ずごごごというそこそこ大きな音が四角い校舎に鳴り響いた。私は立ち上がった足で、前から四番目一番窓際の席に座っている澤田のところへいそいそと歩いて行った。私がつく頃には二人ほど机の横に立っており、賑やかに談笑していた。私はそこに食い気味に入り込み、ふざけた話をして十分しかない休み時間を使い果たした。チャイムが鳴るとまたいそいそと自分の席へ戻って、そこそこ使い込まれた原文の教科書を鞄から取り出した。休み時間はいつも澤田のところに行ってみんなでたわいもない話をした。それは席替えがあっても変わらず、私の中の澤田はいつも上目遣いでこちらを見ていた。そして私の中の、休み時間中の私はいつも机に手をついて立っていた。

嫉妬?

 その時間はとても楽しいものだったし、そのせいで休み時間はあっという間に過ぎていった。ただ、少し胸に引っかかるものがあった。それは私の周りに人だかりができたことなんてないことだった。
 高校の頃の私は自己肯定感が高い方で自信もあったので、少し自分を過大評価しているかもしれないが、それでもやはり私は面白い方の人間だったと思う。英単語の代わりに脳に詰まっているしょうもない知識と、どうでもいい会話の時に最高速度を記録する頭の回転のおかげで、私は結構な笑いを取れていた。決して面白くない人間じゃないはずだった。だが、私が自分の席で座っているだけでは人は集まらなかった。結局自ら人だかりに赴くほかなかった。楽しかったので別段苦ではなかったが、そのことがある種の私のコンプレックスになっていた。そして、座っているだけで人が集まってくる人間を羨ましく、妬ましく思った。
 そのころからだろうか、私は自分の仲のいい人同士が自分の知らないところで楽しそうにしていることが、猛烈に気になりだした。自分が輪の中心になれない劣等感、自分がその輪にすら入れない疎外感、そんな面倒くさいものだけが募っていった。私が高校生活で手に入れたのは卒業アルバムと、座っているだけだとずっと一人の私だった。
 そしてその私は今も私の中にいる。私がいるだけでは人は集まらない。どんなに場を盛り上げようが、人を笑わせようが、私は中心にはいなかった。私が人に話しかけられるより話しかける側の人間なせいもあるだろうが、遊びはいつも私から誘っているように感じる。最近は人から誘われることも増えてきたが、やはり私だけでは人を集められないともますます感じてしまう。
 なんだか面倒くさい内容を書いてしまったようで少し後悔している。この話は愚痴のつもりで書いたのではないが、愚痴のようになってしまって申し訳ない。ただ最後に一つだけ言わせてほしい。私を誘ってください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?