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麻雀の歴史②符計算が嫌じゃなくなるかもしれない話(文・黒木真生)

「符」だけを計算すればよかった

 菊池寛(きくちかん)らが麻雀賭博容疑で逮捕された数年後、日中戦争が始まった。

【菊池寛の話はここ↑】
 
 言うまでもなく戦争中は麻雀どころではなかった。
 この次に麻雀が登場するのは、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」の舞台にもなった戦後の混乱期である。このあたりから「近代麻雀」が創刊(1972年)されるまでの間は、麻雀も相当な混乱期を迎えていた。

 とにかくルールがバラバラで、カオス状態だったのである。

 今も各団体でルールが違ったりしているが、その比ではない。採用されている役が違ったりしていた。

 このカオス状態がなんとかまとめあげられて現在のルールができあがるのだが、現行の点数計算が超ややこしいのは、この時代のせいである。

 中国から日本に麻雀が来た頃は、本当に点数計算が簡単だった。

 麻雀に役はほとんどなく、面子につく「符」だけを計算していればよかったからだ。

 ちょっと想像してみてもらいたい。麻雀をやる時、皆さんは「どうやって役をつけようかなー」と考えるだろう。手役派じゃなくても最低1つは役が必要だからである。

 役牌かタンヤオかリーチか。だいたいはそのどれかがないとアガれない。

 しかし、役など必要なく、とにかく「符」を集めるゲームだったらどうか。

 1ピンの対子があって、場に出たら当然「ポン!4符ついた」と喜ぶだろう。

 899とソーズがあって上家から7ソーが打たれても、まだ9ソーがポンできるかもと思ったら我慢するかもしれない。チーしたら0符だが、ポンすればまた4符入るのだ。

 いま、手役派の麻雀を打つ人なら、チーを我慢してポンにこだわるとか、そういう雀風もありえただろう。「セレブ打法」の黒沢咲クラスになれば「ポンだと4符だけど暗刻なら8符だから鳴かない」という打ち方をして、視聴者を驚かせたかもしれない。

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 ま、とにかくそうやって符を集めてアガって「1ピンのポン=4符、9ソーのポン=4符、合計8符です」というだけだったら、誰でも計算できるはずだ。昔の麻雀の点数計算は、ほぼこれで完了だったのである。基本的なところは現代とさほど変わらない。この8符に基本符の20符を足して切り上げたら30符だ。この30符をもらうだけである。

 「符」はそのまま「点」だ。だから30点をもらうのだが、そういう点棒は今はない。実は、昔は百点棒が十点棒で、1万点棒が千点棒だったのだ。我々が使っている点棒は、昔は10分の1だったのである。

 想像してもらいたい。こうやって計算する麻雀なら、絶対に誰でもできる。そもそも、昔の中国人がいきなり現在のようなややこしい点数システムを作るわけがないのだ。

 30符を、全員からもらう。親は倍払う。以上、そんだけ。 

ツモろうが出アガリしようが変わらない

 じゃあロンした場合はどうなるのか。30符+30符+親の60符で合計120符だから120符を払ってもらえばいいのか? 否。当時の麻雀に放銃した人が支払うという概念はなかった。ロンされようがツモられようが、誰かがアガったら皆同じように支払うのだ。

 30符なら30符、40符なら40符を支払う。だから簡単なのである。

 それを日本人が「アタリ牌を捨てた人が責任をもって払うべき」と言い出したからややこしくなっていった。

 50符なら50符を支払えば良いだけのルールだったのに、50+50+100=200という計算が必要になったわけである。

 これが今の麻雀の、ロンなら1,000点で、ツモった時に割り切れないから1,100点になるという気持ち悪いルールのはじまりなのである。

 ただし、この放銃一家包(ほーちゃんいーちゃぱお/放銃した人が1人で責任を持って支払うということ)が麻雀を面白くしたことは間違いない。もし、このルールがなかったらMリーグっていうか、競技麻雀という概念もなかっただろう。

 だって、佐々木寿人がものすごく危ない牌を切り飛ばして多井隆晴に「ロン、4,000・8,000」て言われて、それを小林剛が8,000点、堀慎吾と寿人が4,000点ずつ払っていたら誰にも納得感がない。こばごうと堀はシラーっとした目で寿人を見るし、寿人は意に介さず「はい次の局」って感じでふんぞり返る。視聴者からは「何じゃこのルール、変えろよ」ってすぐに言われるはずである。

 だから、このルールの変遷は仕方がないのだが、問題はここからである。

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