麻雀の歴史シリーズ・最終回 初のプロ団体設立と初のリーグ戦の独立(文・黒木真生)
【潰してやる】
最終回と銘打ってはいるが、次回から私がプロ麻雀界に入った後の話になるので、シリーズのタイトルを変えるという意味である。決して途中で投げ出すわけではないのでご安心いただきたい。
さて、前回お話した「最高位戦八百長事件」によって、多くのプロ雀士たちが「最高位戦」というより「近代麻雀」と袂を分かつことになった。
以前から準備されてはいたが、なかなか具体化しなかった麻雀プロの選手会設立構想が現実のものになった。
当時の「近代麻雀」編集長である岡田和裕の著書「実録・麻雀盛衰記」によると「事件」から約1カ月後の1981年1月31日の「日刊スポーツ」に「日本プロ麻雀連盟設立」の記事が掲載されたという。その後、プロ連盟は同年3月6日に設立された。初代会長は小島武夫で、灘麻太郎、荒正義、森山茂和らが設立当時のメンバーであった。
伊藤優孝は「事件」の翌年の第6期「最高位戦」に出場した後にプロ連盟に入会している。
この時の話を、灘からも小島からも何度か聞いている。
灘から聞いた話は衝撃的だったが、人には話さないことにしている。一方の当事者から聞いただけでそれを他人に伝えてしまうのは良くない。灘が私にウソを言うわけはないのだが、それでも私は「一方的な情報」だけで文章は書けない。私自信が、これまで何度か「誤情報」「デマ」「ウソ」によって嫌な思いをしているからである。また「デマ」を信じてしまって、それによって動いて間違ったことをする人も見てきた。
だから書きたくないのだが、小島の話は小島個人の感情の問題だから良いだろう。
小島センセイは、なんであの時、灘さんと荒さんの味方にまわったんですか?
「あんなのは八百長じゃないんだよ。あれは言いがかりだったし、俺は近代麻雀からも相談されたから何とか修復しようと思ったけど、ある一言でカチンときちゃったんだよ」
どういう一言ですか?
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