見出し画像

腕組み長考はダメなのか

【目的が違う】

 少し時間が経ってしまったが、長村大のツイートが物議を醸した。

 「腕組み」は、実は昔は「マナー違反」とされていた行為で、雀荘によっては「腕組み禁止」と書かれた紙が壁に貼り出されているところもあった。
 誰かが腕を組んで長考を始めると、周囲はチラチラとお互いに目を見合わせる。「こいつ、遅ェ上に腕まで組みやがったぜ。これっぽっちも申し訳ないという感情がないのかよ、え?」みたいなアイコンタクトがあった。長考している人にも目線は向けられるのだが、本人は気づかない。それに気づくようなタイプの人には「配慮」というものがあるから、そうはならないのである。
 これが3回目ぐらいになると、誰かがしびれを切らして「新聞持ってきてー!」と店員に言う。もちろん、新聞を読みたいわけではなく、嫌味で言うのである。新聞読めるぐらいにこの人遅いわと。
 こんな話をすると、昔の麻雀打ちは嫌な奴が揃っていたのかと誤解されるかもしれないが、そういうわけでもない。普段サクサク打っている人がたまに長考したって誰も文句は言わない。毎回毎回遅い上に、時々大長考が来るから鬱陶しいのである。しかも、謝罪の言葉もないどころか、自分が遅いことに気づいてすらいない。そもそも、こういう人に限って、相手がたまに長考すると指で卓の枠をトントン叩いて催促したりと「え? あんたに他人をせかす権利ないよ?」というような行動に出る。要するに「ワガママ」なのが嫌われているだけの話なのだ。
 だから長村の言っていることは、ある一定以上の世代の打ち手にとっては常識的な話であり「最近あまり言われることがなくなってきたけど、やめてほしいわ」という愚痴なのである。
 これに対し、リプ欄を見たところ、腕組み否定派が半分、肯定派というか「それぐらいええやん」派が半分といったところだった。だが、引用ツイートをしている人の多くは、長村の意見に同意していた。
 つまり、大半の人は、長村が勝手に持っている「前提」を理解しているということになる。「たった1回の腕組み」に対して「イカン」と言っているわけではなく「そもそも遅い上に、他人の時間を奪っても平気だという態度が腕組みに表れている」という「前提」だ。ある意味で、遅刻して謝罪しない人への怒りに似ているのかもしれない。
 もし、この「常に遅い」のと「遅いことを悪いと思っていない」という「前提」まで詳しく記されていれば、もっと長村に同意する人が多かったかもしれない。「別にそれぐらいいいじゃん派」の中には「たまに長考するぐらいいいじゃん」という意見の人もいるだろうから「たまにじゃない」ということが分かったら意見が変わりそうである。
 問題は、その上でもなお「遅くてもいいじゃん」という考えの人がある程度いることである。

ここから先は

2,506字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?