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プロ雀士スーパースター列伝 庄田祐生 編


【地元に残るという決断】

 私が日本プロ麻雀連盟に入った時に2歳の幼児だった庄田祐生が、今は後輩になっていて被災地で苦しんでいる。

 彼がその地獄のような経験をバネにして、将来、麻雀界でのし上がってスターになったら「スーパースター列伝」で書かせてもらおうと思っていたのだが。
 カネポンこと金本晃「近代麻雀」編集長が「庄田さんのこと書いてください。そしてそのnoteのバラ売りの売上とサポートされた全額を庄田さんに企画協力費として払わせてください。ただしずっとは追えないので1月いっぱい限定にします」と言ってきた。

 庄田が被災地で四苦八苦しながらも、その状況をリアルに発信し続けている姿を見て、カネポンが思いついたのだ。
 たまには良いことを言う。
 私の記事の売上は、被災地全体にとっては小さな額かも知れないが、庄田個人に対してであれば、少しは役に立つかもしれない。そう思って賛成した。
 庄田はまだまだプロ雀士としてはスーパースターとは言えないが、地元に残って周囲の人のため、家族や親戚のために、怪我した右足をひきずりながら頑張っている。
 両親からは「早く東京に戻れ。帰れる内に帰れ。全員が死ぬよりも、お前と弟だけでも生き残ってくれ」と言われているそうだが、彼はその申し出を断って地元に残ることを選んだ。

 1月3日の深夜。電波が悪く、充電もままならない状態だったが、LINEでけっこう長々と話した。要するに彼は東京での仕事に穴をあけることを心配していた。

 大屋小学校の体育館で避難所生活を送りながら、そんなことを気にしていたのである。

 お前がいなくても別にスタジオや事務局は困らない。気にするなと伝えた。
 「輪島の皆はずっと何もできなくて。僕がいても何もできないんですけど。でも、何の目処も立っていない時に戻れないです。いつ目処が立つか分かんないですけど」
 それが庄田の正直な気持ちだと思ったので、自分なりに目処が立ったと思うまではそっちにいればいいと伝えた。
 

【手取り13万円の地獄】

 庄田とはそう頻繁に連絡を取り合う仲ではないのだが、節目節目で重要な相談をしてくる。
 電車の会社を辞める時もそうだった。
 寮はあるが、その費用を引くと手取りが13万円しかなかった。それで朝9時から翌朝の9時まで勤務で、終電で寝て始発で起きるので4時間しか仮眠はできない。それを1日おきに繰り返すので体力的にかなり辛い。休みの日は寝たら終わるという感じで、麻雀の練習もなかなかできない。日によっては、24時間勤務の後リーグ戦に出たこともあった。4時間の仮眠があるとはいえ、きつかった。
 寮は高卒で入社して10年までしかいられない。来年には出なければならないのだが、東京の家賃は狭いワンルームでも5万円から6万円はかかる。便利な場所なら7万円から8万円だ。

 「僕、絶対に食っていけないです」

 その相談を受けた時、私は夏目坂スタジオで勤務することを勧めた。
 「僕なんかが働けるんですか?」
 別に大丈夫やろ、真面目にやりさえすれば。
 私はそう返したが、庄田は自信がないようだった。
 どう考えても、鉄道の会社で働くよりは楽だし条件も良い。ただ、正社員の契約はできないだろうから、仕事がなければ金も入ってこない。その日暮らしのような状態にはなってしまう。要はアルバイトだ。実は私もプロ連盟の仕事はアルバイトでしかない。社員のような契約はほとんどできないのだ。
 それでも皆、仲間同士で助け合いながらやっている。ちゃんと働いて、重要な仕事を任せられるようになった人は、私より(多く仕事をするからだが)高いギャラをもらっている。庄田も頑張れば、鉄道会社からもらっていた手取りの何倍も稼げるようになるだろう。否、裏方として頑張るのがゴールではないのだが、プロとして成功するために、その方法で食いつなぎながら、並行して麻雀の勉強をするのだ。そのためにもスタジオ勤務はうってつけだと私は思っていた。
 どうせお前は麻雀の世界から離れられないよ。だったら、さっさと電車の会社はやめて、プロ連盟の中で働け。不安定でも、そこにいた方が色々なことが分かるようになる。というか、そんな悪条件なのであれば、もっと早く辞めてスタジオで働けば良かったのに。

 庄田はもう27歳になっており、駅員の仕事のストレスで激太りしていた。

 「そうなんですけど、やっぱり」
 やっぱり、何や?

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