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若手プロに知ってもらいたいこと 麻雀界に奢る奢らない論争はあるか


【奢る奢られの一般論】

 少し前まで「X」では「奢る奢らない論争」で盛り上がっていたみたいですが、自分で食べたものは自分で支払うのが当たり前ですよね。だから論争になること自体が本来はおかしいんですよ。
 すごく極端に言うと、あなたが友達と食事に行って、友達が自分の食べた分だけ支払った場合、あなたが勝手に「奢ってもらった」と勘違いして帰ろうとしたら「食い逃げ」をしようとしたことになります。
 「奢ってくれないの? ケチ!」というのは非常におかしな話で「奢ってくれないの?」と言っている方が本来はケチなんです。
 ただし、男性が女性とお付き合いしようとする際に「奢ってくれないような男は嫌だ」という相手だった場合は「そういうもの」と理解して、ちゃんと毎回奢ってあげないと仕方がないと思います。どうせ付き合ったり結婚したら金はかかるわけですから、議論したり正論を唱えてもまったく意味はありません。それがいやなら、その女性とは付き合わなければいいんです。

 ま、そんなことは皆さん理解しているという前提で、ですが。実は私は、1997年以降、ずっとワリカンとか、自分で食べた分だけ払うということがありませんでした。たぶん、2回とか、多くて3回とかじゃないでしょうか。
 プロ麻雀界に入ってからは、誰かに奢られるか、もしくは自分が奢るかのどちらかだったのです。26年間も。
 もちろん、プロになる前、大学生の時はみんなでワリカンにしたり、自分の分だけ支払うということもありましたよ。でも、先輩がいたら多目に払ってもらったり、奢ってもらったこともあります。ワリカンをする時に、女の子がいたらその子だけはゼロとかもありましたね。理由は「女の子だから」でした。その時代は、男女がクッキリと区別されていたので「女の子だから払わなくていい」ということに、誰も「おかしい」と言いませんでした。
 高校時代とか、神戸にいた頃はほとんど「自分の分だけ」を支払っていました。それを「ワリカン」と呼んでいたような気もします。草野球チームの人たちは、私以外は全員社会人でしたが、奢ってくれるか、多目に払ってくれるかのどちらかでした。
 これがまあ、世の中の普通の状態ではないでしょうか。基本的には自分の分は自分で支払うけど、先輩たちはたまに奢ってくれたり、たまに多目に支払ってくれたりする。そういうものですよ。
 でも、麻雀界とかマスコミ業界は、そういう中途半端なことがなかったんですよね。少なくとも私の周囲では、ですが。

【経費になる奢られ】

 私は1999年から馬場裕一プロが率いる「麻雀企画集団バビロン」に所属してきましたが、この当時、竹書房の人とご飯を食べる時はいつも「奢られ」の側でした。

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